クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ねこの目

2011-09-20 06:10:22 | ネコ
昨夜は強い雨が降り続き、今朝も弱い雨が路面を濡らす朝である我が街。
8年前、僕はねこを生まれて初めて抱き上げた。そしてその夜、そのねこクーの顔を良く見ると、顔の半分位の大きな目。その目は球面を半分に切ったようになって、可愛い。その仕草も愛らしいが、目も僕の心を捉えた。ねこの顔の中で一番可愛いのは、やはり目であり、8年経った今も変わらぬ。
今クーの顔にレンズを向ければ「お父さん煩いのよ」と言われそうなので、昨日の昼前、ブログを読んでいる僕の傍にやって来たココの顔を写した。勿論ココの目もクーの目と同じように可愛く、澄んでいて、穢れのない目である。
ねこの目は感情も示し、真丸に大きく開いている時は、心が穏やかで、尖がった目をしている時は、怒っているか、恐怖心を持っている時と言う事もこの8年で学んだ。
彼らが常に真丸な目で過ごせるように、僕も心穏やかに日々暮らして行こう。

勿体無い(もったいない)

2011-09-19 06:27:00 | Weblog
今日は敬老の日の祝日。我が街の空は晴れ、朝日が差し込んで来る。
お年寄りを敬い、その人生経験をこれからの生活に生かして行くのは、日々の心掛けから出来る。かく言う僕達戦後生まれの者、団塊の世代も老人世代に入る。折り在るごとに貧しかった戦争直後の生活を、若い世代に話し・聞かせる事も必要だろう。
昨日の日曜日は、中学の同級会で新宿に出掛けた。7名が集まりこじんまりと中華料理を楽しんだ。味も悪くなく、サービスも良い店であった。おしゃべりをしながらも、出て来た料理は残す事無く食べ切った。「勿体無い」の精神で。我々の世代は、食べたくても、何も無い時代に成長した。食べられる事が嬉しく・感謝するのを身を持って学んでいる。僕達の両親は、子供達に食べさせるために、どれ程心を割いたのであろうか。それを知っている僕達の世代には「勿体無い」の精神を今も持っている。
今日の写真は、台所のクーたんの椅子に座って、カリカリが茶碗に入れられるのを待つクー。日本が急カーブで経済成長するのに合わせ、ワン・ニャンの食事も改善され、これからは長生きで、家族としての絆が深まるのだろう。

並んで

2011-09-18 06:14:10 | ネコ
今朝、朝刊を取りに玄関を出ると、綺麗な朝焼けが。しかし、湿気が多く蒸し暑い。居間の温度計は27.5度を指し、湿度も75%である。こう言う時は下着姿で快適に過ごす。昔父等は暑くなると、家で過ごす時には1日中半袖シャツにステテコ姿で居た。昔のステテコは、下着と言うよりも、部屋着であったのだが。
ところで昨日の朝の事。僕がブログの投稿を終えて、台所で一服吸っていると、クーが居間のテーブルに上がった。勿論金魚の糞も後を付け、たまにはねこらしく、音を発てずにテーブルに登り、クーの横に。クーは電灯のカバーに入った虫を見詰める。ココもクーの真似をして、同じ方向に視線を。普段なら怒り出すクーが知らん顔。暫らくこの姿のままであった。
今朝もクーが流しの洗い桶で、新鮮で冷たい水を飲みだすと、早速ココも流しに上がり「ぼくも」と洗い桶に行き、クーに「おはよう」と鼻と鼻を付けてのねこ挨拶をし、クーが飲み終わるのを静かに待ち、その後タップリと飲んでいた。
寂しがり屋のココは、クーの事が大好きなのである。

クーに出来て?

2011-09-17 06:03:21 | ネコ
台風の影響なのか今朝の我が街は、どんよりとした暑い雲に覆われ、部屋の中に居てもジメジメとし、クーラーON。
クーは書棚の電話機の前に飛び移っても、電話のダイヤルボタンを押す事は100回に1回以下と滅多に無い。ところがココは、同じ事をしても100回に99回はボタンを押し、気が付くのが遅くなると電話機が「ピピヒャララ」と鳴り出す。家内の実家等の親戚ならば「ごめん、ねこがボタンを押しちゃった。……」で済むが。兎に角何事にも大雑把なココは、ボタンを押しても頓着しない。繊細な神経の持ち主のクーは、些細な事でも細心の神経を使って行動する。だから、胃に負担がかかり、胃酸過多になるのかもしれない。
昨日の夕方は2回続けて戻し、動物病院へ。診察した獣医師が悩む程の元気で、悪い所は見当たらぬと言う。月曜日にもう一度診察して治療方法を決めるとの事だ。そのクーは来週の金曜日、彼岸の中日には我が家に来て8年の記念日を迎える。何時までも元気に過ごして欲しいと願っている。

今朝もおしゃべりクーたん

2011-09-16 06:05:14 | ネコ
朝ご飯を食べに台所に入って来たクーは、コーヒーを入れている家内に向って「ニャゴニャゴ」と話しかける。茶碗にはカリカリが入っているが、何か文句を言いたげな顔。翻訳すると「ご飯を食べるからお背中を撫ぜ撫ぜしてよ」「もう止めちゃうの?」ご飯を少し食べた後は台所の奥に行き、僕に向かって「早く窓を開けてよ。クーちゃんお外見るのよ」と。
外を見て「今日も異常なし。野良ちゃんも来ていないは」と確認し、扉の前で「ミャオ~」「お部屋に帰るの。扉を開けてよ」。その数分後扉をノックしながら「ミャオー」「私、そっちへ行くは。ここあけてよ」と我が侭の言い通し。
今朝もおしゃべりなクーたん。その後も家内や僕に向かって盛んに話し掛ける。最後は台所からパソコンテーブル迄後を付けて来た、金魚の糞に向っての「シャッぁー」と威嚇。毎度の事故ココもなれたものでさっさと飛び降り「僕はご飯食べよう」と台所へ入って行ったのである。

残暑厳しくても

2011-09-15 06:03:27 | ネコ
昨日は孫のマーは数時間我が家でお留守番。ママが出掛けても泣く事はなく、居間に入るとさっさと一人で遊び始めた。この数時間、じっと椅子に座っていたのはねお昼の納豆蕎麦を食べている間だけ。それ以外は動きぱなし。その体力に脱帽。
昼過ぎ、ココがご飯を食べに居間に入って来ると「ココちゃーん」と手を出す。ココはその手にねこパンチ。勿論手加減した優しいパンチ。それが嬉しいのか、何回も手を出す。食事を終わったココは、台所の奥の冷蔵庫の上で一休み。マーが帰った後、2ニャンはお昼の残りを食べていた。
夕方、相撲を見ていると、外から兄弟で遊ぶ大きな声が聞こえて来た。残暑が厳しくても、幼い彼らには無関係のようだ。多少発熱していても、夢中で遊んでいた。彼を見守った、ジジとババの方が熱中症になりそうであった。

不意打ち

2011-09-14 06:12:59 | ネコ
昨日の4時過ぎ、夕刊を取りに玄関を出ると、孫2人が家の前で遊んでいた。兄のコーは自転車の練習、弟のマーは只見ているだけで面白くない。マーは「ジジ」と言いながら門を開け、玄関も開けて、靴を脱いで上がり込んだ。「ここは僕のお家」と言う感じで。居間のソファーでは、ココがヘソ天になってお昼寝中。マーは「ココちゃーん」と言いながら、ココのお腹を撫ぜた。この不意打ちにココはビックリして右往左往。マーは大声で笑いながら「ココちゃん待って」と追い掛ける。「マー、マイクと違うから追いかけると嫌がるよ」と言いながら止めに入り、ココを廊下に逃がした。マーはトーマス機関車で一人遊び。兄のコーと違って一人静かに遊べるチビッ子。20分程遊んだ後、玄関に出て行き「僕帰る」と靴を履いて道に出た。自分の家の玄関でママを呼び、家の中に。
それから1時間程過ぎた頃家内の携帯電話がなった。マーが38度寸前の熱を出したと。明日預ってと言う事だ。我が家の周りでは、手足口病が流行しており、マーも移ったらしい。今日は10時過ぎから4時間位マーのお相手。先程も書いたように、一人静かに遊べる子なので、手間は掛からぬが、クーとココにとっては受難の1日となるだろう。

満月

2011-09-13 06:11:12 | Weblog
昨晩は中秋の名月で、6年ぶりの満月。
良く晴れた我が街でも月光が輝いていた。
我が家から20歩程の児童公園からの1枚。
「月の光が震災に遭われた方々や、台風被害で今も避難されている紀伊半島の方々の心に優しく照らすように」と祈る。
今日はねこブログはお休み。
「神よ、今尚災害で苦労されている方々に、満月のように優しい光で心を癒し賜え」

「ゴァーン」とココも

2011-09-12 06:08:34 | ネコ
昨日、大相撲中継を見ていると<台所からココの声が聞こえて来た。その声は「ゴァーン」。クーはお腹をすかせると、おチビの頃から「ゴァーン」と食べ物を強請っていたが、ココの「ゴァーン」は初めて聞いた。時計を見れば4時半になるところ。毎日の夕食時間。台所で仕事をしていた家内の足に纏わり付きながら、夕食の催促をしていたようだ。
それにしても、この言葉は何処で覚えたのだろうか。クーが時々言うのを聞いて覚えたのか。ココは余り声に出して強請らないねこ。声で言うよりも体を使って強請る事が多い。僕や家内の体にスリスリしたり、舐めたりして要求を伝える。
昨日はご機嫌で声が出たのかも知れない。益々可愛いココである。

言葉

2011-09-11 06:17:12 | Weblog
民主党の鉢呂代議士が、大臣就任9日目で辞任したと今朝の朝刊が伝えている。念願が適い、嬉しくなって、後先の事を何も考えずに新聞記者に向って悪い冗談を言い、原発事故被災者の心を傷付けたのが真相だろう。僕もこの発言を読んだ時「何て心無い野郎」だと思った。
今、テレビコマーシャルを聞いていて「この会社、何を言いたいの?」と思うことが度々ある。60歳過ぎのおじさんにはちんぷんかんぷん。外来語をやたら使い、意味が分からぬ。コンピューター用語が氾濫し始めてから酷くなって来た。漢字で書いても分かるものを、わざわざ外来語にしている。
また新聞を読むと、滅多やたらに平仮名表記が目立つ。漢字は表意文字であり、見ただけで意味が分かると言う、便利さがある。漢字で書けるものを平仮名で書くのは、小学生でも読めるようにとの配慮か。漢字書きにして振り仮名=ルビを振る方が読み易い。明治の頃の新聞は皆そうであった。
兎に角、言い言葉、読み言葉共、カタカナ語を減らし、漢字を増やして欲しいし、天下国家を論ずる国会議員の“先生”方には人の心を踏み躙り、傷付ける言葉は発して欲しくないものである。