クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ねこの検品

2011-02-08 05:58:34 | ネコ
立春を過ぎたと言っても、朝の室温はまだ寒く、外は今朝も氷点下近く迄下がっているのだろう。持病の腰が痛くて、部屋の中でも歩くのが辛い。
日曜日の事、家内が買い物から帰り、食料品を調理台に並べると、早速クーたんが家内の足元にやって来て、制止を振り切って飛び乗った。クーは並べられた品物一つ一つに鼻を近づけては匂いを嗅ぎ回っていた。デパートやスーパーマーケットの受け入れ・検品係と同じように、確かめていたのである。家内が冷蔵庫等所定の場所に仕舞い終えるのを見届け、流しに下りて水を飲んでいた。
ココも家内がエコバッグを、食卓に置くとバッグの中に顔を入れては叱られているが、ココの場合は検品と言うよりも、おもちゃになるものを探しているのである。ゴムバンドの1本でも見付かれば、それを咥えて床に飛び降り、遊び出すのである。
家ねこは好奇心が強いものである。

春だニャー。眠いので簡単に

2011-02-07 06:07:52 | Weblog
春だにゃー。僕もお父さんも今朝は眠いのだニャー。お2階からコー君とマー君の元気な足音が降って来るけどぼくは眠いのだにゃー。だからブログお休みなの。」とココが申しております。
失礼しました。また明日をお楽しみに。

『人 これを離すべからず』

2011-02-06 06:27:42 | ネコ
今から33年前僕と家内は、東京・成城の聖愛教会の聖堂で、2人の手を合わせ司祭はその上にストールを巻き『人 これを離すべからず』祝福の祈りを捧げて頂き、大勢の人々が見守る中結婚行進曲に併せて退堂したのである。幸せへの第1歩。
人とワン・ニャンにもこのような目に見えない神の力で結び合わされている。クーを最初に抱き上げた時、ココの写真を初めて見た時、人の力ではない、自分を感じていた。これが神の力だろう。その神の力にしたがって夫婦はクーを家に抱き入れ、ココを遠く神戸から貰い受けた。また、神の命じたごとく、2ニャンを終生家族として育む事を誓ったのである。
昨晩、四国・金比羅で半死半生で拾われたリブちゃんのブログと、公園で拾われ一緒に住むため転居されたご夫妻の愛猫カリン君のブログを呼んでいても、その事を強く感じた。残念な事に今の日本ではそんな人ばかりではない。この犬バカだから要らない、みんなに懐かないからこの猫要らないと動物愛護センターに持ち込む輩が多いと言う。愛護センターと美名であるが、ワン・ニャンの殺処分場。持ち込まれて数日後にその命は煙となって煙突から消えて行く。自分の子供にはしないであろう行為をワン・ニャンには罪の意識も無く平気で行う。これだって動物愛護の法律で言う「動物への虐待と遺棄」にならないのか。
僕達は1回神の力で結ばれた命。人の力で解くのは「罪」である事を自覚しよう。

日々楽々

2011-02-05 06:05:26 | ネコ
我が家の小坊(コボン)ココは何の悩みも無く、毎日が楽しくて仕方が無いように見える。美味しい食事、温かな部屋、沢山のおもちゃ、クーと言う遊び相手。3食昼寝付き以上の環境で過ごしている。
そんなココも1時は命を奪われそうな環境に置かれた。生後間もなく母猫から無理矢理離され、六甲下ろしの北風が吹く中、カートンボックスに入れられ、公園に捨て置かれた。後半日置いておかれたらその命は消えていただろう。幸いにも小学3年生に見付けられ、温かな家の中に。温かなミルクと食事を与えられ、大勢のニャン兄と姉に可愛がられた。そしてブログに紹介されて我が家に。捨てられた事は忘れ、小坊として家族を信頼し成長した。
犬も猫も人の手で飼いならされ、人と共に暖かな家庭で暮らすのが1番の幸せ。今も多くのワン・ニャンの命が煙となって消えて行く。悲しい事だ。高度成長期以後日本人は多くの富を得経済は豊かになったが、拝金主義が蔓延した。
お金で買えない物それが「命」。

立春

2011-02-04 06:23:57 | ネコ
今日は立春。お日様が力を増し段々と春が近付いて来ると言う。クーは日向ぼっこが大好きな娘。昨日も写真のように、光が沢山入る今の小引き出しの上で朝寝をしていた。黒い毛にも光が当って輝き、茶色に見える程だ。眩しいから手で目を隠すが、背中を触ると温かくなっていた。午前中はこの場所で寝て、昼ご飯を食べた午後は自分の部屋に入り、出窓で西日を浴びながらもう一寝入り。日が陰る頃「今日も良く寝たわ」ねこ体操をしながら居間に入り「夕ご飯まだかしら」と家内に甘えたのである。
これ全て家ねこの特権。この子を家に入れて良かったと心底思う僕と家内である。

怒りのブログ:相撲協会は即刻解散すべし

2011-02-03 06:30:03 | Weblog
今日は猫ブログは休載する。
今朝の朝刊を一目見て怒りが込み上げてきた。
相撲の八百長が本当だった。公益法人相撲協会は即刻解散すべきである。
今の大相撲は「スポーツ」の範疇。だが、スポーツは競技ルールに関係者全てが従って行われる。
相撲は江戸時代から「見世物」として行われて来たが、先人達の努力で日本固有のスポーツの地位まで高まった。八百長が容認出来るのは、プロレスや1部の格闘技である。
僕は小学生の頃から1対1で戦う相撲が好きで、当時東京新聞社の運動部長をしていた父に強請り、相撲のキャップの新山記者に願って記者席で観戦させてもらい、仕切りの時間には決まり手やルールを教えて頂き、その素晴らしさに魅了された。テレビでは杉山アナウンサーの放送に聞き入ったものである。
相撲が見世物からスポーツへと引き上がったのは、相撲協会以上にファンと新聞・放送関係の努力の賜物。また、力士も初代若乃花、大鵬、千代の富士等人格的にも優れた方が輩出された。現在の横綱白鵬も日本人以上の日本人になり切っている。25歳の若者であるが、その見識の高さは尊敬に値する。
しかし、勝負を金銭でやり取りする事は、スポーツである以上絶対に許されない。相撲には清く正しくが要求される。この際公益法人を解散し、八百長裁判で受取った慰謝料も各社に返還し、来年の初場所迄全ての場所を休み、その間に0から出直す事が必要である。力士・親方・役員の資格も改めて審査し、大相撲の運営方法は幅広い方々で考えたらいかがであろうか。親方は全て審査制にし、外国籍であっても白鵬のように見識ある方には認めるべきである。
大相撲は全てをご破算にし0から出直す時である。

コッコ~!

2011-02-02 06:08:27 | ネコ
毎夕のように台所から「コッコ~!ココ!」と家内の声が聞こえて来る。夕食のカリカリを食べ終えたココが台所で遊び始め、調理台に上ろうとして家内がそれを制止しようとし、少々大きめの声を出すのである。夕食後のココは遊びモードに入り、家内の後ろに付き纏って、Gパンの後ろに爪を立てて立ち上がったり、隙を付いて調理台に飛び乗って、夕食の材料が入ったボールの匂いを嗅いだりと。やんちゃをしている。見かねて僕が「ココ、こっちへお出でと」と呼ぶと、一旦は居間に入って来るが、夕刊を読んでいてココから目を離すと、また台所へ行ってしまう。
昨夕は夕食の残りを食べていたクーのお尻に足音を殺して近付き、尻尾の先端に手でチョチョイをした。ビックリしたクーは振り返りざまに高速パンチを繰り出す。その中の数発がココの頭に命中した。ココは頭を振りながら居間に退散したが、反省の色は全く無く「やられちゃった。クーちゃん強いんだよ」で終わり。
仔猫のような悪戯を毎日毎日楽しげにしているココである。

食べられるから元気

2011-02-01 06:24:19 | ネコ
日本海側の地方にお住まいのみなさま、大雪お見舞い申し上げます。
雪は降らないものの、我が街は今朝も氷点下の寒さが続く。そんな朝でも5時過ぎには息子の住まいでは台所に灯りが点り、人の気配がし、良い匂いも漂ってくる。嫁が息子の弁当を作っている。この愛情が一杯詰った弁当と孫の元気な笑顔が、息子の働く力。
僕の力は寒くても元気に遊ぶ我が家のクーとココ。兎に角良く食べる。メタボを心配し食事の量を減らしているのだが「お代わり頂戴」のおねだり攻撃。負けるのは僕と家内。今朝も既に茶碗の中は空っぽ。ブログを投稿し終わって台所に行けば人やかなお嬢さんのクーまでも足にスリスリし「ご飯足りないの。お代わり頂戴よ」となるし、ココはもっと直接的に、カリカリ容器を床に落とす。
しかし、彼らはこうして食べられるから元気に過ごしているのだ。食欲がある事は元気な証し。健康のバロメーターである。
今日も良く食べ、遊び、眠って元気に過ごして欲しい。僕はその元気を貰うのである。