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若草な日々

若草な日々をゆるく綴る

これで受験勉強なのか?と迷う

2007-08-05 16:42:48 | 40代専業主婦が大学に入学した経緯
10月に書類を全部揃えて願書を提出したが、願書に「出願する理由」を書いて提出する必要があった。夫は深夜、私のミスのチェックをしてくれた。彼の誠実さには本当に感謝している。それでも、後日願書を出したと聞くと驚いていた。

とうとう、今まで頭の中にあった様々なことを、一気に文字にしていった。

急激に文字を書き始めた事に対して家族は何を思っただろう。全部終わったのは11月くらいだった。受験日まで残り1ヶ月くらいだった。

そして残りの1ヶ月は、自分で想定した「仮問題」に論述する事をした。いじめ、自殺、アンガーマネージメント、児童虐待、お受験の持つ利点と問題点、などなどなど、を自分で論述していった。

自分で問題を出して自分で答える。そして判定評価も自分。何をしているんだろうと思うこともあった。でも他に方法は無い。これなら受験に失敗しても後悔しないな・・・と思えた。誰の意見も無い中で自分の答えを作り判定評価する事のばかばかしさは、やったものにしか分からないだろう。

こんな受験勉強をしている人間がいるのか?

専業主婦の受験勉強は・・・こんなに適当

2007-08-02 17:32:23 | 40代専業主婦が大学に入学した経緯
受験勉強するには当然過去問が必要。

大学に過去問を取りに行き・・・そしてその場でへなへなと倒れこむ(気持ちだけね)。2年前まで問題文は全部英語だった。1年前から問題文は日本語だった。

今、それらの問題を見れば、それなりに勉強して落ち着いて取り組めば何とか出来るのではないのか・・・と思えるのだけれど、それは心理学を学んだ後だからだろう。そのときは、もう駄目だと思った。大学卒業後19年間、全く英語に関わっていなかったので見ただけで駄目だと思ってしまったのだろう。

でも、ポジティヴにも、英語から日本語の問題に変えたのは何らかの理由があったからに違いないと考えた。だから、私の受験のときにも日本語での設問だろうと勝手に想定した。

で、勝手に日本語設問を想定した試験対策を考えた。

私は、1校を1回だけ受験するという特長を生かした試験対策をとることとなった。

世間の教育に関する様々な問題についてのケーススタディを扱うことにした。週刊誌などの(くだらない)教育に関する記事も、小中学校教員向けの教育心理専門雑誌も、当然話題の特別支援教育の雑誌も一通り読んでいった。

で、平行して行ったことは、教育心理学の基礎を身につけることである。それぞれのケーススタディで見聞きした事象を、教育心理学の理屈で説明出来ないと駄目なので、丁寧に心理学の歴史からスタートして順番に学んでいった。で、勉強するたびに自分の見聞きしたケースが、それらの概念で説明できるか考えた。

ので、本を読んでいるか、ぼやっとしているか(本人はまじめに考えているのだが)の状態が長く続いていた。家族は勉強していないと考えていただろう。およその範疇の基礎をざっと学び、超最低限の勉強は終えた。ちょうど願書を出す頃になっていた。

読んだ本、雑誌の類は60冊程度にはなっていた。

何故大学生になろうとしたのか・・・

2007-07-31 22:46:42 | 40代専業主婦が大学に入学した経緯
何故専業主婦が大学生なろうとしたのか・・・。

専業主婦生活に不満があり、人生をやり直したかったから・・・ではない。

読んでいてくださる方は知っているけど、私には現在2つの逃げられない物がある。中途半端な障害を持つ故に周囲に理解してもらえない息子の事と、私自身のパニック障害(不安障害という精神系の病気)の事。でもそこにばかり気が行っているのは、良くないとは思っていた。

たまたま見た大学のサイトに学士編入募集の案内が載っていたのがきっかけ。息子の家庭教師をボランティアでして頂いていたお嬢さんが大学院に進学されたので、どこに通っているのかなとサイトを見たら、募集があった。

・・・それだけ。

それでなんで受験しようと思ったのかは実のところ良く思い出せない。たぶん・・・

①このままだと精神的にいつか無理が来ると思っていた事

②何故だが家族が、私は口で何かを言う事だけで何も出来ない人間だと思い込んでいた事(様々な活動をしていたので行動派なんだけど、何故か理解して貰えていなかった。)

③息子の未来に誰も興味を示してくれず、親だけで解決するしかないと前々から考えていた事。

この3つが、なんとなくほわんと重なった。

そして私は夫に聞いた。

「私に200万を賭けてみない?」と。

「息子の家庭教師に200万費やすよりも、私が教育心理学を学んできた方が息子にとって価値があると思わない?」とも尋ねた。

夫はあっさり「いいよ」と答えた。

約束は1つ。『受けるのは1校だけ、そして1年だけ。落ちたら二度とチャレンジしない。』それだけ。夫は私が本当にやりきるなんて思っていなかったのだ。勿論その事は「いいよ」と言われた瞬間に分かっていた。でも、夫は約束を破る人間ではない。その事も分かっていた。

当然予備校などとんでもない。独学でのチャレンジがスタートする。

学校を選ぶことにしたが、結局自宅から一番近くて通学しやすい昼間の大学で編入試験がある場所にした。それでも片道1時間少し。結局一番最初に見たあの家庭教師のお嬢さんの大学だった。超有名な大学なので、受かるか否かは全く予想がつかなかった。

大学なんて想定外

2007-07-31 02:22:12 | 40代専業主婦が大学に入学した経緯
あっさりと今まで書いてきた受験に至る過程を、のんびり書いてみようかと思いました。

大学に入って大変なことばかりで、辞めてしまおうとばかり思っていましたが、ここに来て、良い事もあったのかなと考えるようになった事があります。

ともかく苦しい毎日で、逃げ出したいとばかり思っていました。今も宿題8本抱えて(通信制大学での科目履修も含む)逃げたい気分です。卒論の準備まで始めないといけないし、苦しくないわけが無いです。

おまけに息子に指導もしないといけない。(読んでない方の為に・・・息子は、注意欠陥で、何かをしている最中に自分のしていることを忘れて他の事に気を取られてしまう。そんな障害を持っています。)今日は、シャワーの最中に裸で出てきてレゴを組み立てていました。それを見るたびに、いちいち体は洗ったのか、顔は洗ったのか、髪は洗ったのか、歯磨きは済んだのか、聞き続けました。1時間40分かかりました。6年生でこれでは、しんどいです。私は息子の未来に希望が持てない。息子には障害者としての補助が受けられる保証が無い。身体にも異常が無く、高くはないが知能指数も障害では無い。

それでも良かったと思える事は、生きている意味を見つけられたこと。努力しても徒労に終わりがちだった自分の人生のなかで、努力の行き場が見つかったこと。

努力しても努力しても息子の障害は変えられない。でも「親御さん頑張ってください」と無責任に関係者は言い続けるのです。こんなに頑張っているのにこれ以上何が出来るの?・・・言い返したい気持ちをずっと堪えて来ました。

又、逆にあらゆる場所から息子は追い出されてきました。行き先も無いままに。人として扱われること無く。こちらでは、あきらめの悪い親だと言われるのです。障害があるのに「ココ」にいるなんて親の見栄だと言われ続けました。行き先があれば悩むことも無いのです、行き先が無いのに出て行ってくれと言われ続けました。

じゃぁ、どこに行けばよかったんですか?

息子は人扱いされてきませんでした。9歳になったばかりの頃、息子本人から「自分は何のために生まれてきたのか分からない」と言われたときに、理不尽という言葉をかみ締めました。同情すらされない障害。本人にどれだけ苦痛だったのか。

しかしそこからもイバラの道は続きました。私は、生きていく事がイヤになっても死ぬことすら許してもらえませんでした。残された息子はどうのなるのかと問われれば、我慢するしかなかった。今でも同じ思いです。理解されない、分かって貰えない。死ねるものなら死にたいとずっと思い続けてきました。でも息子の面倒を見れるのは私だけだから、生きている。そんな生活でした。

大学での良かったとこは、私のことを一人の人間として皆が見ること・・・でしょうか。まぁ過去の学歴を気にしたりするあたりに物凄い違和感を覚えますが。私には、過去の大学の偏差値も、今通っている大学の偏差値も、取るに足らないごくごく本当につまらない事でしかないです。

障害児の親であることが一番で、パニック障害を抱える精神科通院中の人間であることが2番ですから。まぁ、障害児の親であることもパニック障害を抱えていることも学生に内緒にしているのですから当たり前なのですけど。

後期が始まって早々にカミングアウトする予定です。所属するIJの会でボランティアを募ろうと言うことになったからです。それでも、学生が私の大変さを分かることはないでしょう。無理ですもん。関係者すら親の気持ちは推し量れないのですから。きっと今までと同じ一人のおばさん学生でしかないでしょうね。

でもそれが気楽。そこが一番良かったところ。

というながーい前置きを書いて、何で大学生になろうとしたのか、どう準備したのか試験対策はどうしたか等々を書くこととします。

これも息子に残したい想いだから。