6月16日、バイデン米政権発足後初の🇺🇸🇷🇺米露首脳会談が🇨🇭スイスで行われた。
会談後に発表された共同声明では、「戦略的安定」に対する両首脳の共通認識を示し、そのための対話に着手することでも合意した。
会談前には「最悪」の関係に陥っていた米露関係は☝️これで改善される方向へと向かおうとしているが、これを不安に感じる国があった。
(👨中●だ❗
👧ピンポーン💡)
会談前日の6月15日、中●外務省の報道官は記者会見で「中露の団結は山のように強固で、友好は堅牢(けんろう)だ」と強調する一方で、
「中露関係を破壊しようとする策略はその目的を果たすことはないと忠告する」
とも述べた。
(👩「忠告」。)
他国の首脳会談に対してこのような言い方をするのはいかにも偏屈であり、一種の被害妄想だと思われるが、「中露の団結と友好をことさら強調してみせたのは、むしろ中●側の「自信の無さ」の表れではなかったか。
(👶偏屈=素直でない。
自分の考えを曲げない。自分の考えを知られるのがこわい。自信がない⇒偏屈。)
昨年あたりから中●は、🇯🇵日・🇺🇸米・🇦🇺豪・🇮🇳インド、🇨🇦カナダら環太平洋諸国などと、ことごとく対立を深め、人権問題では、欧州諸国とも対立することとなった。
こうした中で、中●にとっては、従来良好である中露関係が、より一層の重要性を増し、最大の友好国🇷🇺ロシアこそが、中●を孤立状態から救い出す救世主のような存在となっていた。
(👨中●って、孤立してるんだ。
👧パパ、知らなかったの❔
👨そうだよな、中●共産党と習●平 氏は、ウイグルにあんなひどいことして😢……。)
そして、中●は一時、軍事同盟の締結まで視野に入れて、旧友のロシアとの関係をさらに進化させようと考えていたのである。
今年(2021年)2月、中●の外相は、ロシアのラブロフ外相との電話会談において、
「中露の戦略的連携は、全方位的、全天候的、無禁区、無上限だ」と発言した。
(👧❔)
彼はここで、「全方位・無禁区」という言葉を使って、軍事同盟も含めた深い同盟関係をロシアとの間で構築していきたい、との強い意欲を示したのである。
しかし、ロシアの態度は🌬️実に冷淡であった🍃
4月、ラブロフ外相は国営テレビにおいて、中●と軍事同盟締結の可能性をきっぱりと否定した👐その後も、ラブロフ外相は「ロシアと中●は現在の連携の形に満足している」と述べ、両国関係を同盟関係へと進化させる可能性を再び否定した。
ロシアと同盟して欧米と対抗するという習●平政権の「戦略」は結局、ただの「片思い💔」に終わってしまったのである。
その中で、よりによって「朋友」のプーチン露大統領が習●席の頭越しに「敵方」のバイデン大統領と会って関係の改善を図ったのだ‼️習●席と中●側の挫折感🤕、失望感🙍の大きさ🥵は押して知るべし、ではないか。
もちろん米露間の関係改善はそう簡単にいかないし、プーチン大統領はアメリカとの対話を進めながら、中●との良好な関係も、ある程度は維持していくであろう。
しかし、ロシアには中●と同盟を組んで欧米と対決するつもりがないことは明らかである。そしていざとなったとき、ロシアが欧米を敵に回して中●を助けるようなことは、まずあり得ない。
その一方、米露首脳会談に先立って開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)と北大西洋条約機構(NATO)首脳会議において、
中●と習●席こそが「🥇世界の問題児」だ‼️、と認定されてしまい、
関係各国が一致団結して中●問題に対処していくことが西側主要国のコンセンサスとなった。
💀国内の人権侵害と🥇対外的覇権主義政策の推進をやめない限り、習●席の中●が「👿世界の敵」となる日もそう遠くないだろう。
👀📷写真✨は スイスのジュネーブで、首脳会談に臨むバイデン米大統領(左)とプーチン大統領(右)
=16日(ロイター)
👆以上、石 平のChina🇨🇳Watch(産経新聞)より、
『(中●、)旧友・ロシアに袖にされ…』でした。
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
せき・へい
1962年、中●四川省生まれ。北京大学哲学部卒。
1988年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程終了。
民間研究機関を経て、評論活動に入る。
📖『謀略家たちの中●』など著書多数。
(👨以下の書籍も良かったです。
📖『天安門三十年 中●はどうなる』(石 平、安田峰俊 共著 育鵬社)、
📖『中●の電撃侵略2021-2024』(門田隆将、石 平 共著 産経セレクトS-021)
📖『世界が地獄を見る時 日・米・台の連携で中●帝国を撃て』間近に迫る中●の武力侵攻を食い止めよ❗(石 平、門田隆将 共著 ビジネス社))
石 平氏は平成19年、日本国籍を取得。
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先日刊行された拙著📖『国家の尊厳』(新潮新書)は幸い売れ行きは好調で、講演の依頼もいただいている。7年9カ月にわたる安倍晋三政権と、菅義偉(すが・よしひで)首相の政権運営を単純な図式で裁断、批判するのではなく、「戦後日本」の政治史に位置づけ論じてゆく。
その際、常識となっていた2つのものの考え方が限界を迎えていること、つまり令和の日本を考える際の「ものさし」にはなり得ないと論じた。以下、簡単に筆者の主張を振り返った後に、新書(『国家の尊厳』)では言い切れなかった事柄を、補足説明してみたい。
従来の図式は変わり
戦後、政権を評価する際に、私たちは無意識のうちに2つの「ものさし」を使ってきた。
1つは私が「竹内図式」と呼ぶ権力批判のあり方であり、
(👩魯迅の著書の訳者、竹内好(たけうち・よしみ)さんかな❔)
第2が「自由と民主主義」ということになる。
例えば、戦後を代表する思想家に竹内好(よしみ)がいる。魯迅研究を中心とする中国文学者でありながら、時代に向かって積極的に発言し、丸山眞男とともにオピニオン・リーダーとして活躍した。
竹内の評論「民主か独裁か」によれば、岸信介内閣のもとで日米安保条約改定をめぐり強行採決が行われた際、
これは日米の外交問題ではなく日本国内の民主主義の危機であり、市民が権力に対抗すべきだと竹内は言ったのであった。
私はこの
市民=👼善vs.権力=👿悪を、「竹内図式」と呼び、令和の今日、この図式では社会を読み解くことの不可能性を強調した。
なぜなら新型コロナ渦で顕在化したのは、行政府の権力には限界があり、東京都知事に代表される地方自治と保健所に、政策決定権力が握られていたからである。
安倍政権は独裁どころか、地方自治体との折衝に苦慮しつづけたのであり、自らの限界を痛切に感じていたに違いない。この冷静な事実を不問にして、緊急事態宣言と私権制限をめぐり、いつも通りの「竹内図式」を適用して事足れりとするのは、令和の日本を分析し損なっているのだ。
新たな国家像を創り出せ
現代のグローバル社会に眼を向けてみよう。米国のGAFAに象徴されるように、
若者を中心に生きる意味、生の充実(と)は
起業し、国際舞台で活躍することにあるのであって、国境を飛び越えて(世界中の人々と)つながろうとしている。
その時、相変わらず「竹内図式」を振り回して若者の政治的無関心を叱りつけるのも、やはり時代へのセンスを失っている。
(👨=今の時代を勉強することが足りていない。)
つまり単純に権力批判を振りかざすだけでは、生
(👩生きることの)
生の充実は得られないし、政治を変えることもできないということだ。
また第2に、「自由と民主主義」を唱えるだけでも、令和日本を理解できなくなっている。
犠牲者を少なくするのが政治だとすれば、
統制国家・中●がとった政策こそ、コロナ渦における優れた国の証しとなるだろう。
(👴例えば中●が変異株とワクチンを同時生産しておっても)
そして実際、開発独裁型の小国群にとって、今や中●は理想の国家像なのであってG7をもじって、「G77」と主張する政治家もいる。
(👴揶揄(やゆ)しておるのだよ。)
国連が多数決で物事を決める場所なのだとすればらG7に代表されるリベラル陣営は少数派であり、
中●を筆頭とする多くの小国群が束になって、国際秩序の変更を迫っているとも言えるのである。
(👨あーあ、頼りの国連も今や中●が仕切っているのかぁ。小国群がなぜ中●側に賛成するのかきちんと検証しなければ、その一票は本物の一票ではない。小国を助けて公にお金を出すことは賄賂ではないしなぁ。中●はずる賢いんだよなぁ❗中●は本当に地球全体の未来を考えに入れているのかなぁ❔
👩いないよ。)
🌕よってわが国は単純に「自由と民主主義」を叫んでいるだけでは国際社会の荒波を渡っていくことはできない。
🌕「竹内図式」と「自由と民主主義」に代わる、新たな国家像を私たち自身が創り出さねばならなくなっているのである。
🌕政治家に求められるのは
拙著(『国家の尊厳』)では触れられなかった人物の言葉をヒントに考えてみよう。
マックス・ウェーバーの古典的名著📖『職業としての政治』には、「心情倫理」と「責任倫理」という有名な定義が書かれている。
1919年1月、第一次世界大戦の敗戦によって🇩🇪ドイツ全土に革命的気分が漂うなかで、
(👴1月4日、ベルリンでスパルタクス団の武装蜂起。
1月5日、ミュンヘンでドイツ労働者党(ナチ党の前身)結成。)
ドイツ全土に革命的気分が漂うなかで、ウェーバーは、
🌕「興奮は真の情熱ではない」
と喝破(かっぱ・見抜く)した。心情とはロマンチックな感動に過ぎず、自分の純粋な心情のみを重んじてしまう。社会の不正に対する純粋な抗議の心がこれに当たる。しかし政治家に求められるのは、責任倫理のほうではないのか。(それこそ、)結果に対する責任を痛切に自覚し、行動する人間がとる態度のことだ。
そして本書(📖『職業としての政治』)は、次の言葉で締めくくられる-。
❇️「現実の世の中が……どんなに卑俗であっても、断じて挫(くじ)けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず❗』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への天職』を持つ」
(👨中●で言えば❇️劉暁波氏だったかな。でももう彼は居ない。
👩📖『それでも人生にイエスと言う』の著者ヴィクトール・フランクルももう居ない。
ガンディーも、マザー・テレサも、キング牧師ももう居ない。)
おそらくはニーチェを意識したこの言葉を読んだとき、筆者(矢崎 彰容 氏)は言いようのない感動に襲われた。世の中のくだらなさを心底味わった人は、人間社会への絶望(感)に襲われる。従来の図式やイデオロギーが通用しない現実を前に、人は挫けそうになる。
「それにもかかわらず」社会をもう一度作り直そうとすること-令和日本のデザインは、ウェーバーの言葉を出発点になされなければならない。
(せんざき あきなか)2021.6.24
(👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏)
(以上も、産経新聞 オピニオン『正論』から
『M.ウェーバーの警句と令和日本』
日本大学教授 矢崎 彰容さんの記事、言葉でした。
先崎彰容
センザキ・アキナカ
1975(昭和50)年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。2021年5月現在、日本大学危機管理学部教授。専門は日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『バッシング論』など。
👧📖『センスは知識から生まれる』って、ホントだなぁ。
👩2021年6月24日 木曜日の産経新聞11頁オピニオン13版は、一面の3つの記事全体が関連し合い、全文が読み応えがあり感動した❗教えてくださってありがとうございました❗
後ほど⚾🖊️『直球&曲球』by宮嶋 茂樹 も掲載させていただきます。
👧「備忘録」「サウンド・オブ・サイレンス」「地下鉄やトイレの壁」として記しているので、おかあさんが人の文に絵文字を投入して申し訳ありませんでした。
👩6月24日 木曜日の産経新聞 11ページ、オピニオン13版は、新聞紙一面が黄色いマーカーで染まりました。