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『収容所群島』vs『The Snow Queen』(ロシア)

2022-02-14 04:26:13 | 日記

Nidoto nai yoni.
人種差別、戦争など、
二度と過ちを繰返さないように‼️



(👧教育とは、
受験やテストに受かるための
勉強のことだけじゃないよ‼️

教育とは、 
相手の気持ちがわかる、
『優しい心』を育むこと
だったんだっ‼️ 
わーん😭😭😭😭😭😭
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊
🌊🌊👠👠🌊🌊🌊🌊
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊)







平時の時には本性は出ないけど、
戦争になると少数ながら
殺人を楽しむタイプの
犯罪的な人間が兵士の中にいることがわかる、
と言われている。
(オスカー・ディルレヴァンガーのこと。)
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【ゆっくり解説】ナチスの中でも最悪の殺人者
オスカー・ディルレヴァンガー




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【歴史ミステリー】
第二次世界大戦後のナチスに何が起こったのか?

(👧第二次世界大戦後の
ソ連の収容所とは❔
ソ連の収容所って、
ソルジェニーツィンの収容所群島のこと❔

「1945年齢春、
ドイツの捕虜になっていた兵たちは
ソ連帰国後に囚人となった。」

非ナチ化に50年⁉️

ほとんどのドイツ人が
ナチスに協力していた。

ナチスに協力した人を罰して
省こうとすると、
ドイツ社会が回らないほどだった。
だから協力した人々のことも使った。

現在の中ごくとロシアはどうなんだろう❔
昔のドイツと同じかな❔



ソルジェニーツィンが著した
『収容所群島』という本があります。

❌は私が、
「これはひどい‼️」と感じた部分です。)

ウィキペディア検索
収容所群島

『収容所群島』(しゅうようじょぐんとう)は、ソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの記録文学。

📖『収容所群島』
(しゅうようじょぐんとう)
著者
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
訳者
木村浩
発行日
1973年-1975年
発行元
YMCAプレス社

フランス
言語
ロシア語


旧ソ連における、
反革命分子とみなされた人々に対しての
強制収容所「グラグ(グラーグ)」への投獄、
凄惨な拷問、
強制労働、
処刑の実態
を告発する文学的ルポルタージュである。

統制の厳しい本国では出版できず、
1973年から1975年に
❇️フランスで発売。
🌕️🌕️各国語訳が進められた結果、
🌕️🌕️人権上由々しき問題として
🌕️🌕️大反響を巻き起こした。

当然ながら(👧残念ながらでしょう)
❌❌ソ連では
❌❌禁書扱いされた。
ソルジェニーツィン自身は、
続刊が出版されている最中である1974年に
❌❌市民権を剥奪されて
❌❌西ドイツへ国外追放されている。

タイトルの
「収容所群島」とは、
広大なソ連領内の各地に
点在する収容所の
分布のありようを、
大海中に点在する
島々になぞらえた表現である。

内容
各章の題は木村浩訳。

第1部 牢獄産業 編集
1 逮捕
「群島」へ死にに行く人々はまず逮捕される。

2 わが下水道の歴史
収容所に送られた人々の歴史は
1917年に始まる。
刑法58条(国家への反逆罪)がもっともよく使われた。

3 審理
逮捕者の審理に使われる多くの拷問法。

4 秘密警察
「群島」へ人を送る取調官には、
❌❌指令の正確な実行と
❌❌無慈悲さが要求される。

5 初監房-初恋
囚人にとって最初の監房は、
同類の囚人たちが初めて出会う場所である。

6 その年の春
1945年春、
ドイツの捕虜になっていた兵たちは、
ソ連帰国後に囚人となった。

7 機関室のなかで
判決は特別審議により決められる。
❌❌正式な裁判ではない。

8 幼児期の法
1917-1920年の5つの公開裁判の紹介。

9 法は成人する
1920年代前半の
5つの公開裁判の紹介。

10 法は成熟する
1920年代後半-1930年代の
公開裁判の紹介。

11 死刑
死刑の歴史。
臨時政府は1917年に死刑を廃止したが、
1918年に復活。
1937-8年の2年間には
❌❌100万人近くが死刑になったという。

12 禁錮
収容所以外の禁錮刑もあった。
有名人など、
❌❌一般囚人に混ぜてはならない人々の刑として。


第2部 永久運動 編集

1 群島の船
「群島」の島々の間を
囚人は運ばれる。
囚人車輌や護送車で。

2 群島の港
❌❌ソ連のほぼすべての町に
中継監獄がある。
そこは囚人が
❌❌収容所の生活に順応するための準備の場所でもある。
収容所では「一般作業」だけは避けるように作者は教えられた。

3 奴隷キャラバン
貨物列車、だるま船、徒歩による囚人輸送。

4 島から島へ
特別護送という方法もある。囚人と護送兵は、
❌❌一般人の乗る列車にさりげなく相乗りする。



第3部 
❌❌絶滅=労働収容所

1 オーロラの指(👩オーロラで
『クリスタルナハト』を思い出してしまう。)
1918年7月の
❌❌法務人民委任部の
❌❌「臨時指令書」によって
❌の収容所群島が誕生した。
(👧収容所など誕生させること自体、
ダメだ。)

2 群島は海から浮び上がる
帝政時代からあったソロフキ島修道院監獄は、
1923年に特別収容所になった。
(👧修道院を監獄にした⁉️❌‼️)

3 群島は癌腫を転移さす
1928年から特別収容所は
ソロフキ島の外へ
増殖をはじめた。
最初の大事業として、
1933年に白海運河が作られた。

4 群島は冷酷になる
群島の歴史で、
いつが人間にとって最もつらかったか。
❌❌戦時中に軍配があがる。
(👴戦争すれば人権は即なくなる。(加藤周一))

5 群島の基盤
群島の運営基盤として、
❌❌差別食運用制度、
作業班、
❌❌インチキがある。

6 ファシストどもが運ばれてきた!
❌❌「ファシスト」とは58条違反者の別名。
作者自身の経験を交え、
収容所生活の第1日めを描写。

7 群島住民の生活
収容所では多く働けば配給食も増えるが、
消費エネルギー増大の補充には足らない。
つまり「大きな配給食が死をもたらす。」❔

8 収容所のなかの女性
収容所に年頃の新入女囚が来ると、
❌❌男特権囚に誘われる。
❌❌彼らの女になれば、
❌❌暖かく、
❌❌食べ物のある生活ができるのだ。

9 特権囚
特権囚とは一般作業を免れ、軽労働を職とする囚人。
収容所から生きて出られる可能性が高い囚人。

10 政治犯の代りに
❌❌ソ連では政治犯の代りに、
❌❌58条違反で多くの名もない人が収容所に入れられた。

11 忠誠派の人びと
正統派共産党員が逮捕される事もある。
❌❌彼らはソ連自体がおかしいのではなく、
❌❌自分の逮捕についてだけ何か間違いがあったのだと信じている。

12 密告
❌❌収容所の管理のために
❌❌密告も奨励される。
ただし資料が少なく、
作者自身の経験が語られる。

13 一皮剥がしたら、もう一皮剥がせ!
収容所入所中に、 
❌❌さらにもう一期の刑期を宣告される事もある。特にそれが多かったのは1938年。(👧なぜ❔)

14 運命を変えること!
脱走を試みる囚人もいる。
❌❌収容所周囲の現地住民は
❌❌すすんで脱走者を捕まえた。
❌❌当局による報酬が高額なので。

15 懲罰
❌❌囚人らはなんらかの理由をつけられて  
懲罰監房や、
労働作業つきの懲罰構内に送られる。

16 社会的近親分子
社会的近親分子とは58条によらない、
一般の犯罪者。58条組にくらべ優遇された扱いを受ける。

(👨『刑法58条 国家への反逆罪』のほうが、
「一般の罪」より重い罪だって⁉️)


17 少年囚
❌❌1935年から12歳
以上の犯罪者も収容になった。
彼らは数日で「群島」に順応する。
すなわち、力だけが正義であると知る。

(👴『力だけが正義』の国。
なんという恐ろしさだ。
この世の地獄。
青少年はすぐに悪いことに染まる。
これは非常に由々しい。)

18 収容所群島のミューズたち
❌❌収容所には文化教育部があり、
素人演芸会や合唱会も企画される。
(👴北と同じではないか‼️)

19 民族としての囚人たち
❌❌囚人がZ/K「ゼック」という民族を構成していると考えた論考。
(👨「何が『囚人という民族』という考え方だ‼️」)

20 犬の務め
収容所役人には
共通の特徴がある。
❌❌傲慢、
❌❌専横、
❌❌貪欲、
❌❌好色、
❌❌悪意、
❌❌残忍。

21 収容所周辺の世界
収容所周辺の運転手や技師などの
自由雇用人と収容所との関係。

22 われらは建設する
白海運河に始まる、
収容所囚人たちによって行われた、
大事業のリスト。
(👩無報酬で仕事させたのか❔)


第4部 魂と有刺鉄線 編集

1 向上
😢収容所は人の心を変える。
😢あなたは自分の弱さを知った。
😢だから、他人の弱さも理解できるようになったのだ。

2 それとも堕落か?
😢収容所で堕落するのは、
😢収容所へ入る以前に心が豊かでなかった人びとである。
(👨ホロコーストの強制収容所には、📖『夜と霧』📖『それでも人生にイエスと言う』の著者ヴィクトール・フランクルが居た。
彼のような崇高な精神で居つづけることは、僕らにはなかなか困難なことだと思う。)

3 打ちのめされた娑婆
❌❌群島の外の世界も
ばかりき群島の毒に冒された。
その影響を10項目あげる。

4 若干の運命
誇り高い2人の囚人の運命を描く。



第5部 徒刑 編集

1 死を運命づけられた人びと
1943年にスターリンは徒刑を復活させた。
1948年には特殊収容所が創設され、
58条組はそちらへ送られた。

2 革命のそよ風
❌❌特殊収容所の刑期は10年でなく、
❌❌25年が普通となった。(👧刑期が25年⁉️)
この刑期は囚人に新しい気運を生んだ。
そんな刑期をつとめるのは不可能だ。
ならば、いちかばちか..
(👨脱走するんだね❔)

3 鎖、また鎖
作者が1950年に入所したエキバストゥーズ特殊収容所。この9月にテンノとジュノダークがここから脱走した。

4 どうして我慢したのか?
⁉️囚人にどんな反抗手段があるか?
🌕️世論が味方してくれなければ、(👨世論が味方にって、強権国家だから。)
脱走か暴動しかない。

5 石の下の詩と真実
作者はエキバストゥーズに来る2年前から叙事詩を作るようになった。
🌕️頭の中だけで。
🌕️紙に書いて看守に見られてはならない。

6 確信にみちた脱走囚
ゲオルギィ・テンノは1948年に逮捕され、25年を宣告された。彼は脱走を決心し、1950年9月にエキバストゥーズで決行した。

7 白い仔猫
テンノが脱走時、自動車の強奪に失敗したため、ステップを20日歩いた。出会った一般人から国内旅券などを奪えば脱走は完成だ.. 
しかし彼にはそれはできなかった。

8 道徳を伴った脱走と高度な技術を伴った脱走
6つの脱走計画。いずれも失敗した。

9 自動小銃をかかえた若者たち
⚠️収容所の警備兵たちも、
⚠️みずからこの職を志願したわけではない。
❌❌軍事委員会に招集され、
⚠️⚠️彼らなりに祖国に忠誠を尽くす。

10 構内で足下の地面が熱くなるとき
特殊収容所では58条組が集められ、
一般犯罪者は少数だった。
すると、収容所内の盗難事件がなくなった。
囚人はお互いを信用し、
協力するようになった。

11 手探りで鎖を破る
1952年1月、
エキバストゥーズで
囚人のストライキが起こった。
そこの囚人の一部が他の収容所へ運ばれると、
その情報が広まっていった。

12 ケンギルの40日
収容所群島史上最大の反乱は、
1954年5-6月、
ケンギル収容所で起こった。
しかしT34戦車が投入され、(👩戦車⁉️)
鎮圧された。



第6部 流刑 編集

1 自由時代初期の流刑
ソ連の流刑は1922年の強制移住から始まった。

2 百姓の悪疫
1929-30年に、農業の集団化が行われた。コルホーズへ加入しない、「富農」とされた農民1500万人は、シベリアなどへ強制移住させられた。

3 流刑地は濃密になる
❌❌カラガンダは代表的な流刑都市。
ただし流刑地で仕事にありつくのは、都市が小さいほど難しい。
❌❌コルホーズでは収容所と違って、
配給パンさえないこともある。

4 諸民族の強制移住
❌❌1937年に朝鮮人たちがカザフスタンへ送られた。
❌❌1941年にヴォルガのドイツ人たちが移住させられた。❌そしてバルト人、タタール人、ギリシャ人、チェチェン人...

5 刑期を終えて
刑期を終えた囚人たちは、
次に流刑となる。
1953年、作者も流刑となり、
学校教師の職を申し込んだ。
🌕️そしてラジオでうれしいニュースを聞いた。
🌕️スターリンが死んだのだ!

6 流刑囚のささやかな幸福
作者は数学と物理の教師になれた。
🌕️フルシチョフの時代になって、 
🌕️58条組の流刑が廃止され、作者も自由の身になった。

7 娑婆へ出た囚人たち
流刑にされずに、
本当に釈放された囚人は、
住民登録がなければ就職できない。就職していなければ、住民登録ができない。



第7部 スターリン死後

1 今になって切り捨てるだなんて
1962年、作者は
『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表した。読者から手紙が殺到した。
しかし1964年を最後に、
彼の作品は発表禁止となった。

2 為政者たちは変わるが
🌕️🌕️「収容所群島」は残る
1954-1956年は、「収容所群島」史上もっとも自由な時代だった。1961年に規律が改定され、現在の収容所となった。

3 今日の法律
1962年に
ノヴォチェルカースクの電気機関車工場からストライキが起こった。
❌❌軍隊が終結し、
❌❌群集に一斉射撃をした。
(👨『天●門●件』と同じではないか‼️)

その他の事件を含め⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
⚠️この国に法律はないと結論する⚠️
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️


日本語訳
ソルジェニーツィン 『収容所群島 1918-1956 文学的考察』各・全6巻、木村浩訳
新潮社、1974年-1977年、新潮文庫、1975-1978年。ブッキングにて復刊、2006年-2007年
関連文献 編集
ジョヴァンニ・グラッツィーニ『収容所群島への道 ソルジェニーツィンの愛と苦悩』花野秀男訳、二見書房、1974年。
原卓也ほか『ソルジェニーツィンを考える』ロシア手帖の会編、集英社、1975年。
クロード・ルフォール『余分な人間 『収容所群島』をめぐる考察』宇京頼三訳、未来社〈ポイエーシス叢書 10〉、1991年10月。ISBN 4-624-93210-2。 - 原タイトル:Un homme en trop。
ナターリヤ・レシェトフスカヤ『私のソルジェニーツィン 前夫人の回想記《時間との論争》』中本信幸訳、サイマル出版、1974年。ISBN 978-4-377-20227-4。
ジャック・ロッシ、ミシェル・サルド『ラーゲリのフランス人 収容所群島・漂流24年』外川継男訳、恵雅堂出版、2004年9月。ISBN 4-87430-031-6。 - 原タイトル:Jacques, le francais。

(👴👨👩👧👦
このような悪い歴史の流れを
21世紀に、2022年に
まだ受け継ぐ(引き継ぐ)つもりならば、
ロシア(プーチン氏)も
中ごく(共産党と習●平氏)も、
まったくもって
ほんとうにどうしようもない。
軍備が凄いから
すぐにやめてもらうわけにもいかない。
いったいどうしたら良いのだろうか⁉️
ヒトラーが自殺して
参謀は『ニュルンベルク裁判』で裁かれて、
やっと世界はほっとしたのに、
また習●平氏が台頭し(👨次は🇳🇵ネパールを侵略)、
彼に輪を掛けてプーチン氏が台頭‼️
世界はペキンオリンピックの真っ最中‼️
その間にウクライナ戦争⁉️
台湾戦争⁉️
ショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)
でもしようというのか⁉️)




書名  『ほんとうにあった
・・・・・戦争と平和の話』 
・・・・・タリバンの衝撃を受けた、
・・・・・パキスタンの少女マララ。
・・・・・🇺🇳国連で難民支援に、
・・・・・奮闘した緒方貞子。
・・・・・ユダヤ人亡命者の命を
・・・・・救った杉原千畝。
・・・・・激戦地での取材を続けた、
・・・・・山本美香。
・・・・・「アンネ・フランクのバラ」
・・・・・を育てる日本の中学生。
・・・・・戦争と平和にまつわる、
・・・・・14の物語と3つの小さなお話。
・・・・・❇️「事実だけがもつ感動」
・・・・・をおとどけします。
・・・・・🌕️戦争はなぜいけないのか❔
・・・・・(👧一番下で引用があります👇️)
・・・・・🌕️平和とは何か❔を自分で
・・・・・考えることができる1冊。
・・・・・小学校中級から総ルビ
・・・・・ノンフィクション
監修   野上 暁
発行日  2016年06月15日
出版社 「講談社
・・・・・青い鳥文庫」 刊行のことば
(中略)森には、かぎりない自然の力と
いのちのかがやきがあります。
本の世界も森と同じです。
そこには、人間の理想や知恵、
夢や楽しさがいっぱいつまっています。
(中略)
「講談社 青い鳥文庫」は、
70年の歴史を持つ講談社が、
1人でも多くの人のために、
すぐれた作品をよりすぐり、
安い定価でおおくりする本の森です。
その1冊1冊が、みなさんにとって、
青い鳥であることをいのって出版していきます。
この森が美しいみどりの葉をしげらせ、
あざやかな花を開き、
明日をになうみなさんの心のふるさととして、
大きく育つよう、応援を願っています。
昭和55年11月 講談社

定価  680円(+税)




書名 『罪なくして罰せず』
著者  中坊公平 
・・・・弁護士として、
・・・・常に不正と
・・・・戦い続けてきた、
・・・・自己の人生を語り尽くした
・・・・力作。《解説=安藤忠雄》
発行日・2001年07年01日
出版社 朝日新聞社
・・・・朝日文庫な-22-1
定価・・520円+税



書名 『裁かれるのは誰か』
・・・・法と正義なき○○を斬る‼️
・・・・❇️国民主権の実質化。 
・・・・❇️法と正義が持っている、
・・・・❇️普遍的価値の実現。
著者  中坊公平vs錦織 淳
出発日1998年01月01日
出発日 東洋経済新報社


👴👨👩👧👦❇️❇️❇️❇️❇️
❇️法と正義が持っている、❇️
❇️普遍的価値の実現。❇️❇️❇️❇️
❇️急がれる『世界法規』の制定。❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


👇️
👉️正しいことぐらい強いものはない-。
そのとおりです。
「もう一つは、
よその国と
あらそいごとがおこったとき、
けっして戦争によって、
相手を負かして、
自分の言い分をとおそうとしないことを決めたのです。
穏やかに相談をして、
きまりをつけようというのです。

なぜならば、
いくさをしかけることは、
結局、自分の国を
滅ぼす羽目になるからです。」

「国民主権」と「平和主義」、
そして「基本的人権の尊重」
を加えた3つを
「日本国憲法」の基本三原則
と呼んでいます。

「基本的人権」というのは、
人間が生まれながらにして持っている権利のこと。

その(基本的人権の)「尊重」とは、
自分が考えたこと、思ったことを
自由に発言する権利や、

選挙や政治に参加する権利、

平和な暮らしをする権利、

知る権利など、

さまざまな権利を大切にすることです。

この三原則を国は、
守っていかなければならないと、
「日本国憲法」は述べているのです。

その前提にあるのは、
憲法第13(一三)条の
「個人の尊重」という考え方です。

少し難しいかもしれませんが、
その文章を紹介します。

『第一三条
すべての国民は、
個人として尊重される。

生命、
自由
及び
幸福追求に対する
国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。』

国民ひとりひとりが、
自分であることを大切にするとともに、

他人からも大切にされ、
また他人のことも大切にする。

それぞれの命や、
自由や、
それぞれの幸福を
追いもとめていく権利がある。

この権利は、
みんなの迷惑にならないかぎり、

法律や国の政治のうえでも、
最大に尊重される必要がある
と言っています。

つまり、
かけがえのない自分が、
自分にとっていちばんいい生き方をするのを、
誰もじゃますることはできないということです。



戦争の記憶を忘れない

戦争中には、
ものごとを自由に語ったり、
表現したりする権利も 
おさえつけられていました。
(👨これから戦争になっても同じです。
人権が押さえつけられます。
だから戦争はいけないのです。)

政府に反対することを言ったり
本に書いたりすると、
警察につかまり、
牢屋に入れられ、
厳しい取り調べを受けました。
(👩日本はそうならないと
誰が言い切れますか❔
特に相手国に占領・侵略された場合。
相手国に占領された場合、
日本政府が相手国の政府の仕事を
させられるかもしれません💦)

漁でカニ(蟹)をとって🥫缶詰めにする、
大きな船で働く人たちが、
どんなにつらい労働を
(👧👨それは📖『蟹工船』(小林多喜二[著])だ‼️)
どんなにつらい労働を強いられているかを、
「蟹工船」という小説で描いた作家の、
小林多喜二は、
(日本)政府に反対する運動をしているという
疑いで逮捕されます。

そして取調官の厳しい拷問によって
殺されるという事件も起こりました。
言論や表現の自由が、
(日本も)戦争中には
ほとんどなかったのです。 

(👨日本は昔はそうだったけれど、
現在のように変わることができたんだ‼️
👧👦良かった💨‼️)

戦争中も、新聞や雑誌は
もちろんありましたが、
(日本)政府の都合のよいことしか
書くことはできません。

だから、
戦争で負けそうになっていても、
(日本)国民はそのこと(負けていること)を
(日本政府から)まったく知らされず、
ずっと勝ち続けているように
思わされていたのです。

(👧👦なんか、子供向けの本の方が
大人の本より
ずっと真実を教えてくれるね❤️
講談社 青い鳥文庫、ありがとう😉👍️🎶

👩ニュースで
各国のトップや外相がなんやかんや、
戦争をするとかしないとか、
がっちゃがっちゃ言っておられますが、
まず、民主主義国は
基本的人権の説明をしてからにしてほしい。
相手の国は強権国家で、
国民には基本的人権は、無いのですか❔
そうなら時代遅れな、
どうしようもなく悪い憲法だな‼️
国民の命が軽い‼️)


戦争が終わるとともに、
言論や表現の自由も回復されて、
戦争中に発売が禁止されていた雑誌や本が、
次々と出版されるようになりました。

子どもの雑誌もたくさん発売されるようになります。
マンガ雑誌がブームになるのも、
戦争が終わってしばらくしてからでした。

戦争が終わる前の日本では、
女性には選挙をする権利も、
選挙される(選挙で選ばれる)権利も
あたえられていませんでした。

政治には男性しか参加できなかったのです。
(👧選挙に関しては日本も
タリの国や、
マララさんの国の昔と同じだったんだ‼️)

女性の国会議員はもちろん、
市会議員などの地方議会の議員も、
女性はひとりもいませんでした。

ところが、戦争が終わった年の12月に、
女性が政治に参加できるようになり、
1946年4月に行われた
衆議院議員総選挙では、
39人の女性国会議員が誕生しました。

初めて選挙に参加できるようになった女性たちが、
日本中で大きく燃えたのです。

野上 暁さん:女性が政治に参加できなかったなんて、
ちょっと信じられないでしょう。

(👧はい。信じられません。
👩信じられるよ。タリの国が
いまだにそうでしょう。)

また、選挙権は、
1945年12月から、
20才以上の男女にあたえられていました。

ところが2016年6月からは、
18歳以上の男女が、
投票できることになります(なりました)から、
戦争中のことを考えると
大きな違いです。

選挙を通して国民自身が、
国民の意見を代表する議員を選び、
その人たちによって
国の政治が行われていくのです。

選挙は国民にとって、
民主主義をささえるうえで
大事な権利です。

女性が政治に参加できるようになった最初のころは、
選挙で投票する人の割合はとても高かったのですが、

最近ではその権利、
自分たちの民主主義をささえる大事な権利を
生かそうとしない人が増えてきています。

1990年ころまでは、
60%台の後半から、
70%以上あった選挙の投票率が、
2014年では約53%。
(これは)有権者の半分ちょっとです。
これで国の政治が、
動かされることになるのですから、
民主主義の危機だと言ってよいでしょう。

あの戦争から
(👴第二次世界大戦じゃな。)
あの戦争から
70年以上も(時が)すぎてしまうと、
戦時中の、おそろしい記憶もうすれてしまい、

(日本)国民の政治に対する、
無関心と無責任が
広がってきているようで
気がかりです。

戦争という、
(👴市民と兵士の死という)
大きな犠牲の上に
獲得した権利を、
自分から放棄してしまっては、

再び戦争への道を
歩みかねません。

戦争の悲惨な体験をわすれないために、
しっかりとかみしめ、
継承していくことが
大事です。


(👨以上のことは僕自身も、
わかりすぎるほどわかっているつもりです。

だかしかし、
こちらがどんなに
交通ルールを守りながら
周囲をきちんと見回して運転していても、

それでも猛スピードで
突進してくる輩(やから・国のこと)が居る。
彼らのことを
いったいどうしたらよいでしょう⁉️

👴そのために法律があります。

👩👧👦おじいちゃん、
座布団10枚‼️)







平和のために大切なこと

日本と同じように
第二次世界大戦に負けたドイツの
ヴァイツゼッカー大統領が、
1985年に当時のドイツの連邦議会で行った、
終戦40周年の記念講演には、
教えられることがたくさんあります。

ヴァイツゼッカーは、
過去のあやまった歴史の記憶を、
直接その時代を知らない世代も
きちんと受け継いでいくことの
必要性を語ります。

過去の歴史を変えたり、
起こらなかったことにしたりはできないし、
過去に目をつぶる人は、
現在起こっていることも見ないようにしがちです。

非人間的な行為を
心にきざもうとしない者は、
再びそうした危険におちいりやすいのだと言います。

そして、歴史の真実を
冷静かつ公平に
見つめることができるようにと、
若い人々にうったえました。

「ヒトラーはいつも、
偏見と敵意と憎悪とを
かきたてつづけることに腐心(心をくだくこと)
しておりました。
若い人たちは、
たがいに敵対するのではなく、
たがいに手をとり合って
生きていくことを
学んでいただきたい。」(岩波ブックレット『新版 荒れ野の40年-ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』永井清彦 訳)

❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
ヴァイツゼッカーが言うように、
ほかの国や民族に対する
偏見と敵意と憎悪こそが、
戦争を引きおこすことにつながります。
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
世の中には、❌❌❌❌
戦争をすることによって
利益をえる人たちが
たくさんいます。
❌❌❌❌❌❌❌
兵器をつくる人たち、
それを売って利益をえる人たちや、
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
その人たちにささえられている
政治家たちです。
❌❌❌❌❌❌
そういう人たちは、
国民に偏見や敵意をあおり、
❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌❌
国民はそれにつきうごかされて、
相手の民族や国を
力でこらしめることに
賛成してしまうのです。
❌❌❌❌❌❌❌❌
さっこんのヘイトスピーチ(民族や国籍などを理由に、
個人を侮辱したり攻撃したりする発言)や、
ほかの国との軋轢(あつれき)を理由に
軍備を強化している日本の現状は、
とても危険でもあります。
しかも戦争の放棄をうたった
憲法第九条を
変えようという声も
出てきています。

そのような動きに対して、
たくさんの人々が
国会のまわりに集まって、
声をあげました。

選挙という民主的なルールで多数をしめた政府であろうとも、
本来守らなければならない憲法を無視したことに対する怒りの声でした。

多くの憲法学者からは、立憲主義をないがしろにするものだとも言われました。

このように一般市民が
政府を批判することは、
表現の自由が保障されているからこそできるのです。

戦争は、
あらゆるものを
徹底的に破壊します。

人を殺し、
町をこわし、
自然を破壊し、

人の心さえも
ずたずたに引きさいてしまいます。

そんな戦争を起こさないためには、
どうしたらいいのでしょう。

人類はそのために、
さまざまな知恵をしぼってきました。

『日本国憲法』が、第九条に
『戦争の放棄、
戦力の不保持、
交戦権の否認』つまり戦争をしないこと、
軍隊をもたず、
武器をもって戦うことを認めないと、
はっきりとうたったことは、
悲惨な戦争を体験してきた、
ならではの、
大きな成果だといえます。

国と国との間に
もめごとがあったとしても、
あくまで話し合いで
解決することが大切です。

「憲法第九条にノーベル平和賞を」
というのも、
そのような人類の知恵に対する
高い評価によるものといってもいいでしょう。
武器の力でなく、
言葉の力で
解決しようということです。

(👨ほんとうにそうだと思う。
武器を使う人たち(武器製造人・
武器販売人・武器を買う政府)は
頭のなかが
科学だけ(化学だけ)
発達してしまった、
武器の力だけを信じる、
言葉の力を知らない、
非常に短気な類人猿。
何でも暴力で解決しようとする。
僕は彼らの武器と
狂気が脅威で、

自分の国日本だって
それ以上の武器を持っているぞと、

武器の量と
武器の精度が
どんどんどんどん
エスカレートしていってしまう。

『ほんとうは自分は
戦争なんかしたくない。でも、
⚠️相手が戦争を始めようとするので
⚠️自分は仕方なく戦争をするのだ』
=この言葉に最大限の注意をしなければならない。
この言い訳は、
『戦争をするための戦争プロパガンダ
(戦争をする、戦争を始める、
戦争を肯定するための
ほんとうに巧妙に考えられた
人間の弱いところを突く口実)』だから。)



友だち同士のいさかいでも、
暴力にうったえれば
相手をうらむ気持ちがのこってしまいます。

(👨暴力で相手や、
相手が大切に思う人々を
殺したり
傷つけたりしたら、
相手と相手の家族、
相手側の国民は加害者を恨む。)

誠実に話し合って解決したほうが、
そのあと仲良くなれますよね。

❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
ふだんから言葉の力を信じ、
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
言葉の力をみがきあげ、
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
自分で考える能力をきたえていくことが
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
平和を願い、
戦争を引き起こさないことにも
つながるのではないでしょうか。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️

(👧強権国家では、
最近では民主主義国ででも、
武器を使いたい、
戦争をしたい場合には、
こんな当たり前なことも
情報統制して
市民に聞かせない、
行き渡らせないことがある。ようだ。)


📖『ほんとうにあった戦争と平和の話』
講談社 青い鳥文庫

《参考文献》
『新版 六千人の命のビザ』
『グァムに生きた二十八年』
『鎮魂の旅路』
『日本人 その生と死』
『飛べ!千羽鶴』
『奇跡はつばさに乗って』
『信濃路はるか』
『あんずの木の下で』
『アンネのバラ』
『アンネ・フランク物語』
『マララ』
『マララとイクパル』
『マララ・ユスフザイ国連演説&インタビュー集』
『わたしはマララ』
『氷海のクロ』
『戦争を取材する』
『山本美香が伝えたかったこと』
『山本美香 最終講義 ザ・ミッション』
『山本美香という生き方』
『緒方貞子 戦争が終わらないこの世界で』
『緒方貞子という生き方』
『共に生きるということ』
『紛争と難民 緒方貞子の回想』
『私の仕事』

(👧🇺🇳国連に緒方貞子さんがいたなら❤️
きっと国連はもっと、
しいたげられている人々の役に立ったはずだ。
でもいま国連(やIOC)は正しく機能していない。
緒方貞子さん(や緒方貞子さんのような人々)は
国連にもういない。
それを見計らったように台頭する中ごく共産党。
今の国連といったら、中ごくがたくさんの資金を出しているし、
国連幹部の座席は中ごく共産党でうまっている。
だけど、緒方貞子さんの物事の判断を引き継ぐ人は必ず居るずだ。

👨その緒方貞子さんのかなり昔の著書には、
日本政府が中ごく共産党と懇意だった(今も❔)頃のことも
たくさん書いてあった。
中ごく人の中にも
国家間を良くしようと思う人がたくさんいて、
緒方さんにもたくさんの中ごく人の友人がいたそうだ。

いま、中ごくの人たち(ビジネスマンや留学生ら)が
世界中の国々から
データを盗んで帰国していたと耳にするが、

その、緒方さんの中ごく人の友人の方々が全員、
国家間のみならず、
心の底から自分の国、中ごくだけでなく、
世界全体の平和を願う人であることを、
僕は心から願ってやまない。

映画『さらば、わが愛』の監督さんは自著で、
中ごく共産党はどこまでも追いかけてきて
とても恐ろしいと述べている。

中ごくのマンガを見ても、
国民を取り締まる人たちはパンダと呼ばれ、
パンダの集団がみな均一な、
全員こちらを睨み付けるような目付きをしていて
そんな風な人たちが
ほかの国を憎んでもしも攻めてきたら
ほんとうに恐ろしいと僕は震撼する。
このような人たちが、
億の単位で存在するとすると、
世界は、このように国から教育されている人たちに対して
いったいどう対処すればよいのだろうか❔

彼らといえばたとえば、

①ペキンオリンピックに行き、
ペキンのとある路上で
コメントしようとする
外国のテレビ局の
報道陣の男性に
「ここは禁止区域だからダメダメ‼️」
と言って押し戻し、
テレビに放映されてしまった
中ごく人のボランティア。

②自分が今まで言ったことは
みんな嘘でしたと言って
中ごくの超高級ホテルの一室で
引退宣言をした女性元テニスプレイヤー。
ホテルの部屋の鏡には、
中ごく人男性が数人映ってしまっている。
その写ってしまった中ごく人男性のような役割の人たち。

③『世界人権デー』の日、
中ごく共産党は、
中ごく人の弁護士などに
その日は特に
中ごくにおける人権について
語ってほしくないので、
弁護士など人権に関わる人たちを
自宅に軟禁し、
一日中外出させなかった
というニュースを見た。
その時も、
弁護士一家の家庭(マンション)の前には
見知らぬ中ごく人の男女が張り付いて
弁護士一家を見張っていた。
弁護士一家が「身分証明書」を見せなさいと言っても見せない。
彼らは「子どもを学校に送ってやろうか❔」
などと言った。
弁護士一家は、
「誰があんたなんかに子どもを預けるものか‼️」と言った。

そういう、中ごく共産党の誰かに頼まれて
一般の中ごく市民を監視する人たち。

④新疆ウイグル自治区にある
ウイグル人職業更正訓練所のほんの一部に、
イギリスのBBCが入ることができたとき、
BBCの質問に「いいえ」と答えるウイグル人の
後ろにずらりと並んで腕組みをする、
いかにも頑丈そうな体格の中ごく人の男性たち。

自分の国の国民さえも監視する、
そういう人たちを
世界はいったい
どう取り扱えば
よいのだろうか❔


「見よ、今もやつは
そこにいる」
と、映画の監督は言っている。


👴彼らは、
🦜心理今日などの
洗脳された人々どころではない。

🦜心理今日の洗脳された若者たちは
洗脳を解かれて
いつか元に戻ることができる人もいる。

しかし、①~④の人たちはわからない。
❌❌お金の力で、その仕事が
悪かろうが悪くなかろうが、
別に特別な自分の考えもなく、
請け負ってしまうのかも知れない。

留学生などの場合は
本気で母国のために
悪事とは思わず
やっているのかも知れない。)



『アラブ諸国、ウイグル人拘束』
中ごくに送還 秘密収容所も』
欧米メディア報道
2022.02.15付 産経新聞。





FUKKAN(復刊)より、
『収容所群島』の読者レビュー(ほんとうにたくさんのレビューのなかのほんの一部)


①(『収容所群島』は、)古典的な名作であり、
彼がここで描いた、人間の一面は、
今も決して消えてなくなったわけではない。
こうした書を時代へ伝えることこそ、
出版社の本来果たすべき使命であると思う。
しかし、現状においては貴社(新潮社)のような、
一流の出版社にしか期待できない。
新潮文庫の一として復刊するならば、
けしてリスクの大きい投資ではないと思う。
ドストエフスキーなどと同様、
ロシア文学のロングセラーとなりうるはずである。



②人という生き物は、
理想をどう咀嚼し、
現実化していくのか?
政治体制について思いを馳せる時、
それは欠くべからざるテーマだろう。
常に進歩への試みを続けるのが
人間としての義務ならば、
過去に行われた、
共産主義思想という実験の結果について、
より多く知っておきたく思う。


③戦争や弾劾、
差別や貧困を知らない私たちの世代には
特に必要な本の一つであると思う。
僅かでもこのような書物から
当時の凄惨さを垣間見たい、
そう考えることすら浅はかかもしれないが、
それでも読む事が必要であると思う。
絶版という形で
それが叶わないというのは悲しい。


④個人的には、
❇️この著者本人や本書に描かれた、
❇️数千万人の人々の運命に想いを馳せることが、
❇️生きる上での糧となっている。
本書は、
ソ連の社会主義もとで
圧せられてきた文学の不毛を絶った、
一級の作品であり、
当時のソ連を記録した
生々しくも貴重なる記録である。
今は亡き俊英の歴史学者坂本多加雄氏は、
本書(『収容所群島』)を、
「日本が治安維持法以来
戦った相手が何であったか?
すなわち、
それなくして
👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️👇️
二十世紀の意味が分らないソ連の本質を
理解する上で不可欠」👈️👈️👈️👈️👈️👈️
と評して(『収容所群島』を)
推薦しておられた。
是非(『収容所群島』の)
復刊を願います。


⑤どうせなら以前出た版みたいに
男性の姓が性転換するような誤植が目につく新組みにするより
最終版で訳し直してほしい。
またネフスキーのような
日本女性を妻とした日本学者でもある人や
シチェルバツキーのような邦訳がある、
仏教学者といった人についてなど、
人名紹介は細かくつけてほしい。


⑥本としての価値は言うまでもないが、
アプルボームの「グラーグ」のように
未だにボリシェヴィキの強制収容所の歴史を書くと
彼女を「右派」だ
と見なす向きがいるには呆れた。
聞き慣れない言葉、
徒刑(カートルガ)。
要は
殺す為の強制労働を強いる収容所ですね。
アウシュビッツなどの絶滅収容所とは、
(ソ連の収容所は)基本が違うのです。
あくまでも強制労働中に亡くなって行くので...
(あまりにも過酷で
生き延びた人は居ないようですが)
まー、どっちが人道的なんだろうと思うと
迷ってしまうのです。
1ヶ月で疲弊してか、
すぐにやられるか?



👨別件の
「パキスタンにおける『名誉殺人』」
SNSで政治的な発言をした妹を
家の恥さらしとして殺したというニュース。

👧パキスタンて、マララさんの国。

👩いろいろな進化過程の国がある。
ずっとそのままか、
マララさんのような人物が出て
よいほうに変わってゆけるのか❔
無知。
マララさんたちによって
教育によってこれから
知ってゆける可能性がある。
パキスタンには『ラジオ・ムッラー』
がいるそうだ。
それが何か調べて、
精神分析をすべぎと思う。
彼らを近い将来、
世界の法廷に
招待できればいいなと思う。


しかし、腹が立つのは、
確信犯的な現在のロシアだ。
とても賢いのになぜ
ソ連から残虐性を
いまだに
受け継ぐのか❔
この、栄えある21世紀に‼️

ロシア(ソ連)は、
『罪と罰』などの文学を持つし、
『Snow Queen』(雪の女王)という
素晴らしいアニメーションも制作した。
ソ連の芸術家たちは、
『永遠』という言葉もちゃんと知っていた。
間違ってしまった人間(カイ)を
『絶対に救うという信念』を持つ人間(ゲルダ)に
何十年も掛かって救わせた。
『雪の女王(冷酷・残虐)という悪』から救い出した。

やはり『善い(清く正しい)精神を持つ人間を 
排除してしまう(しまった)』ことが、
ソ連(政府)と中ごく(政府)の
最大の犯罪なのではないか❔と思う。
だから、いま、
清く正しいDNAが遺(のこ)らないはずだ。




YouTube検索ワード
①「カイを求めて」ロシア
②「The Snow Queen」ロシア 
③宮崎 駿 新人時代に
影響を受けたアニメ
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
👆️👆️👆️👆️👆️👆️👆️👆️👆️
👧アンデルセン原作の
📖『雪の女王』を
アニメーションにしたロシアの作品。
目の中に物事の善悪が判別出来ない
悪のガラスの破片が入り、
雪の女王、冷酷・残虐の女王の城(国)に
拉致(誘拐)されてしまった少年カイ。

カイの幼なじみの少女ゲルダが、
長い長い苦しくつらい旅をして、
みんなの力を借りて、
ラストはとうとう
カイを見つける。

カイは、冷酷の女王の城の中で
何十年もの間、
冷酷の女王とたった2人で
何不自由なく暮らしていた。
カイはなぜか
冷酷の女王から
はめ込みパズルを渡されて、
最後の1つの部分(ピース)
が見つからなくて首をかしげていた。

カイがどんなに考えても
自分だけではわからなかった言葉は、

『永遠』という言葉だった。

👩注目すべきは、こっちじゃない‼️
冷酷の女王と少年カイは、
外部からのプッシュ(相手が話してくれたことに感動する心)
がなければ、
自分の力では
その(冷酷な)性格を
絶対に変えることは出来ない。

YouTube
「宮崎 駿
新人時代に影響を受けたアニメ」
より

宮崎 駿監督が、
新人時代に影響を受けたアニメとは、
ロシアが制作した『The Snow Queen』。

川の精に自分の赤い靴を捧げ、
「川さん、川さん、(わたしを)
カイのところに連れてって‼️」
と(川に)呼びかけるゲルダ。
(👩靴は自分(ゲルダ)が旅して歩くために
一番重要なアイテム。
その一番重要なアイテムを川に渡すゲルダ。)

川は、
(ゲルダがカイに会いたいと強く願う)
その『想い』を受け入れ、
船を導いてくれるのでした。

(カイをさがす旅の途中ゲルダは、)
ある時は山賊に襲われ、
乱暴な山賊の娘の檻(おり)に
入れられてしまいます。

(👩ゲルダは、自分がしてきた
これまでの長い旅の話と、
自分にとってカイが、
どんなにかけがえのないものか、
自分がどんなにカイを愛しているかを
山賊の娘に、とうとうと語りました。)

愛するカイへの
熱い想いが(相手の山賊の娘に)伝わると、
(ゲルダの話を聞いた山賊の娘の)
態度が一変します‼️

彼女(山賊の娘)は、
(自分が今まで)
檻に入れて囲っていたペット(の動物)を
すべて

(👧この動物たちはきっと、
ロシアや中ごくにとっては
自分の国の国民なんだ‼️
中ごく共産党なんてのは、
世界中の人々を
動物ぐらいに思っているんだ‼️

👨郷美、それはちょっと
言いすぎかな❔

👴いや、当たらずとも遠からじ。)

彼女は檻に入れて囲っていたペットのすべてを解き放ちます‼️

乱暴さの裏に、
優しい心が隠れていました‼️

(👧だから、
マララさんが『教育』だと
言ってんじゃん‼️

教育とは、
受験やテストに受かるための
勉強のことじゃないよ‼️

教育とは、 
相手の気持ちがわかる、
『優しい心』を育むこと
だったんだっ‼️ 
わーん😭😭😭😭😭😭
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊
🌊🌊👠👠🌊🌊🌊🌊
🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊🌊)



乱暴さの裏に
優しい心が隠れていました。

ゲルダのひたむきな想いが、
他人の凍った心を
溶かしていったのです。


(👧素晴らしいなあ、アンデルセンと
ロシアの芸術家さんたち‼️


👨そんな素晴らしいアニメーションを
制作することができるロシア国民なのに、
ロシア政府はいま、いったい何やってんだ‼️
「ウクライナ侵攻」なんて(怒)‼️
それも、きょう‼️
2022年02月16日じゅうに侵攻(戦争)なんて‼️
ダメ😢🆖⤵️

雪の王様プーチンさんを
いったいどうすれば
いいのだろうか❔


👩「想いを貫く」ことは
それはそれで大切だけど、
それだけでは
相手に伝わらない。
ただ頑として
想いを貫く人もいる。
それは頑固なだけだ。

人間がほかの動物と
決定的に異なることは、
言葉を発することができて
お互いの言葉を
理解することができるということだ。 

せっかく人間に生まれたんだから
やはり戦争(武器と暴力)でなく、
言葉で解決したい。

👧言葉を理解しないならば、
プーチンさんと習●平さんは、
「ウーッ‼️」と唸って
相手に飛びかかる猛獣と
どこが違うの❔
同じでしょ。

猛獣だって、
あんたがたと同類にされては
困る‼️と鳴いているよ‼️

プーチンさんと習さんも、
自分の子どものことは
可愛いでしょ。

自分の子どもへの愛を
世界の子どもたちへの愛に
広げられないものですかね❔



👨泣き叫ぶウクライナの子どもたちや、
ウイグル人女性の映像を
世界中に流しますか⁉️


👴世界中の市民に
本当のことを報道しないから、
戦争も終わらないし、
戦争が始まってしまうし、
ウイグル人権侵害も
いつまで経っても解決しない。
多くの人が死んでしまう前に
とめたり、解決してほしい‼️



👩ああ、そうだ‼️
ヒトラーだって、
ドイツ国民が賛成しなければ、
『ホロコースト』なんてできなかった。
ヒトラーだって、
ドイツ「国民の受け」を
非常に気にしていた。

👨ということは、
ロシア国民はいま、
何を考えているの❔

👩ドイツは、
ヒトラー政権の時は
『軍国主義』だったよね。
やはり国民は何も言えなかったの❔
いつからドイツは『強権国家』になったの❔

👧そういうことを
わたしはまったく知らない。

ロシアはいま
どのくらい『強権国家』なのですか❔
ロシアの国民が
「ウクライナ侵攻をやめろ‼️」
というべきじゃないの❔

国の政策は
誰が決めているの❔

まさかプーチンさん一人が
国の政策を決定しているの❔

👨そうだよ、
だって、強権国家だから。

👧そういう人たちが、
民主主義の国のトップや外相と
話し合っているんだね。

それはもう会議が平行線だから、
お互いの国の教科書や叢書を持ち寄って
読書会を開催して、
それぞれの内容の
あまりの相違に腰を抜かして、
お互いが驚愕して、
いっぺん椅子から落ちるべきじゃないの❔


プーチンさんや習●平さんらが、
ご自身がやっていることが
正しいとおっしゃるならそれは、
21世紀では通らないし、
犯罪として扱われるから、
精神鑑定を受けた方が良いと思います。
なぜ国のトップになれるの❔

👨それは、強権だから❔





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【ゆっくり解説】
「ソビエト連邦 成立から崩壊まで」

👧👧ソ連は1つの国じゃないよ。
たくさんの同盟国でできている。

👩スターリンは、
猜疑心と嫉妬心強い人だったらしい。

👨強権国は、
トップの性格に左右される。
物事の善悪も通らないし
カネ次第。
上がそうだから
仕方なく国民も
そうなっていっちゃう。
だってそうしないと
集団からはずされて
生きられないから。

👧そんなこと、絶対にイヤ‼️
強権国家、罪が重すぎる‼️
気が狂っている人が
国のトップたちなんだよ‼️

👨読んだ人が笑ってるよ、郷美。

👧パパ、周囲の目を気にして、
親が自分の子どもをしっかり叱れないとき、
「お巡りさんにいいつけますよ」とか、
「あのおじさんが怒っているよ」とか、
他人に任せてはダメよ‼️



👨ごめん。

狂暴だから何するかわからない。
誰も王様の首に鈴を着けられない。
みんなが困っている。

強権は暴力を使うから
前のトップを殺して
国を奪えたんだし。

👧最後の皇帝一家は、
地下室で暗殺だってさ。
小さい公女もいたのに、
なんと可哀想に。

👴日本の歴史にだって
似たようなことが
在るかも知れない。
でも日本人なら
「女子どもは殺さない」とか、
五十歩百歩かも知れないけれども、
日本人である自分は
「卑怯なこと」は嫌いだ。

恐ろしい残虐なことをした歴史を持つ国は、
特に謙虚になるべきなのに、
なんだ‼️自分の国が犯した罪を忘れて‼️
また同じことを繰り返そうとしている‼️

👨謙虚になれないから
今またロシア(プーチン氏)によるウクライナ侵略や、
中ごく(習●平氏に)よる台湾有事を
始めようとしているんじゃないですかっ‼️

👩最後の皇帝の血筋は絶えて、
ロシアや中ごくも
暗殺を命令した者たちの
DNAを持っているんだね。

👴ドイツのヒトラーが
1人で全部悪名を引き受けているが、

習●平さんと彼の後ろにいる亡霊毛●東、
プーチンさんと彼の後ろにいる亡霊スターリンが
悪名偉人伝に載る者であることを、
世界各国の人々と
中ごく人、ロシア人、
そして日本人は
もっと知るべきだ。

彼らのしたことを
21世紀で再び
繰り返さないために。

👧ネットで世界中の市民が
「戦争をやめろ‼️やめろ‼️」
と言ったらどうなるのかしら❔

👨当事者の強権国の市民は
国から弾圧される。
自由な国の僕は
他人のことに興味がない。

👩それは強権国にとって
「しめしめ」だね。
だから、他人に興味がないことが
一番いけないとも言える。

戦争をすんなり起こさすのは
ダメと言わない私のせいかも❔
地球で戦争が起きようとしていることさえ知らない。

👧無知と無関心って、
このことだったのか‼️

👩人間は機械になっちゃいけない。
機械に無くて
人間にあるものは、
『情感』。
それも一人一人違う。

👨ソ連にも
中ごくにも、
秘密警察がある。


『4 秘密警察
「(収容所)群島」へ人を送る(ソ連の)取調官には、
❌❌指令の正確な実行と
❌❌無慈悲さが要求される。』

👴ソ連や中ごく政府の
したいことは、どうせ、
自分の国の国民を
ひいては世界中の市民を
機械(Al)にしてしまいたいのだろうよ。

👩機械(Al)だから
トップだろうが平民だろうが
区別がつかないかも❔

👧自分達が最後に逃げるときのために
『顔認証』やきっと
『指紋認証』があるんじゃない❔

👴以上はわしらの想像の会話であるが、
それにしてもかえすがえすも卑怯だな。
いったいどうやって成敗してくれよう⁉️

一例をあげれば
スターリン、プーチン、
習●平、毛●東は、
自分たちが機械(Al)1号なのだから、
人間として認識されない。
世の中に死刑になって良い人はなかなかいないが、
彼らだけは
なっても良いと感じるくらい
自分は
彼らのしたこと、
これからするであろうことを
許せない。
それは、彼らは優しい心を一切持たず、
『情感の無い確信犯』だからである。

👧国民にかこつけて、
要は、人間のことを
虫けらにしか思っていないから
ウクライナ戦争をするのでしょう‼️

👩ウクライナ戦争に反対‼️

👨お義父さんっ‼️郷美っ‼️ママッ‼️

👧バパは❔

👨反対‼️



👩ただ、たとえば、
数百万人の人間を殺した人間にも
基本的人権がある。




👧ゲルダがカイを探し続ける旅の時間、
星の王子さまとバラじゃないけど、
大切な相手に何百、何千時間掛けたかで 
想いが伝わるならと思い、
私と私の家族は
一日何時間も
ウイグルの方々の 
自由な権利の解放を願っています。
何にも出来ない私だけど、
川に差し出したゲルダの赤いくつの
代わりにと思って
自分の時間を捧げます。
ゲルダはカイを見つけたとき
二人は大人になっていました。
大切なものを見つけるためには
半生を賭けなければならない
ということでしたら、
今回の場合は
沢山のウイグルの方々の
命が掛かっていますから
待てません‼️


👩ロシア、プーチン大統領による
「ウクライナ侵攻」まで
あと90分。

👴よし、『声 語りつぐ戦争』から‼️



私は現在の北朝鮮東部で1940年に生まれた。
45年夏、
母と2人の姉とともに避難民になった。

ソ連軍が侵攻してからは地獄絵だった。
乳飲み子を置き去りにせざるを得なかった女の人が
泣き叫んでいた。
家族と別れて死んでいくお年寄りもおられた。

日本海沿岸の元山にたどり着いた時、
仲間の大半は亡くなっていた。
私たちは一冬を越す施設に入った。
そこではソ連兵による女性の拉致が頻発。
万が一のために
母は17歳の長姉に
自決用の青酸カリを与えた。
母が見せた錠剤の白さが
幼い私の目に焼き付いている。

寒さと飢えで死体がごろごろしていた。
私も発疹チフスとネフローゼで
死の淵(ふち)をさまよった。

私たちは翌年6月、
内地に戻れた。
6歳で生還できたのは
知人の中では私ぐらいだったそうだ。

我々がこれほど悲惨な目にあったのは、
軍部の棄民政策にあった。
45年8月、大本営参謀は、
旧満州(中国東北部)と
朝鮮にいた日本人について
「土着スル者ハ
日本国籍ヲ離ルルモ
支障ナキモノトス」としていたのである。
それを知ったのは
終戦後半世紀近くを経てからであった。




1945年8月、
旧満州・新京の小学5年だった。
9日のソ連軍侵攻の少し前、
父が朝鮮へ疎開すると言った。
満州航空勤務の父は残り、
母と姉2人、弟と私の計5人は新京駅へ。
やっと列車に乗ったが何度も止まる。
旧満州と朝鮮の境界、
鴨緑江を渡り南へ。
突然停止。
石や棒を持つ朝鮮人らが車内に入り、
物を奪う。
千人を超える乗客は
今の北朝鮮・宣川の収容所に連行された。
何日かして母から戦争に負けたらしいと聞いた。

食事は1日1回の雑炊。
栄養失調で2カ月も経つと
毎朝、同部屋の2、3人が死んでいた。
体力のない人は便所にも行けず
大小便をたれ流し。
ノミとシラミで最悪の衛生状態。

鉄条網をはさみ、
母や一部の日本人は
宝石や金(きん)を
こっそり地元の人に渡し、
餅やトウモロコシを受け取る取引をした。
歩哨に見つかれば即銃殺。
犠牲者は絶えなかったが、 
その食料のおかげで私は力が出た。

突然の指示で別の収容所へ。
そしてある日、
男性全員がどこかへ連行された。
日本人男性がいない収容所で
女性は自分を守るために皆、断髪。
しかし、夜になると
ソ連兵の「婦女狩り」が始まり、
トラックで連れて行かれた。



旧満州(中国東北部)吉林市で
昭和20(1945)年8月、
私は国民学校2年で、
多数のソ連軍用機、
軍用車が来て敗戦を知りました。
大混乱した日本人街は無法地帯となり、
毎晩のようにソ連軍兵士が欲しいものを
手当たり次第に略奪します。
抵抗すれば殺されるか連れ去られるか。
若い奥さんや娘さんが
トラックに乗せられて行くのを見ました。
自衛策はありません。

それまで日本に植民地支配されていた
中国人の怒りはすさまじく、
日本人街で大勢が頻繁に
暴動や襲撃を起こしました。
家財道具はもちろん
屋根瓦まで持ち去られ、
惨めでした。

私たち子供も含めて
100人以上が広場に呼ばれ、
中国人による日本人の処刑を2度見ました。
牛車に数人の日本人を乗せて街中をひきまわし、
銃殺。何の罪か、なぜか分かりません。

やがてソ連軍は去り、
国民党軍と共産党軍が来て、
国共内戦に。家族6人は家に
閉じこもるしかありません。

21年夏、突然の引き揚げ命令、
突然の出発。吉林駅から
貨物列車の最後尾に乗ると、
私と同年齢ぐらいの数人の子が
泣きながら追いかけてきます。
置き去りにされたと知りました。
 



1945(昭和20)年8月9日、
旧満州(現中国東北部)にソ連軍が侵攻。
ソ連国境近く、
西東安の野戦兵器廠(しょう)の
技術兵だった私は
ソ連軍の追撃にさらされた。
満蒙開拓団の人たちと逃避行の途中、
現地暴徒の襲撃を受け、
30人ほどで山中を1カ月さまよった。
牡丹江で捕まり、
ハルビンの収容所に入れられ、
ソ連貨物車に物資を積み込む労働を強いられた。

11月ごろ、
同じ収容所の元兵士たちと共に
トラックに乗せられ、
元日本人学校に連れて行かれた。
周辺から大勢の日本人が集められていた。
校庭の中央に開拓団の民間人と思われる
40代ぐらいの日本人男性が1人、
直立不動で立たされている。
ソ連兵3人ぐらいが囲み、
将校が日本人の左耳に拳銃をあて発射。
頭から地面に倒れ、
ごろっと一回転して息絶えた。
通訳が大声で「逃亡すると殺す」と言った。
見せしめなのだろう。
私たちはうなだれるだけだった。

年明けて3月。「ダモイ(帰国)」と言われ貨車に乗る。
しかし旧満州北部を流れる
松花江の鉄橋を渡る音で誰かが叫ぶ。
「北へいくぞ」。
車内は静まる。
数時間後、
チチハルあたりで
前方車両から10人ぐらいが
雪原に飛び降り逃走。
バリバリという機銃音と
汽笛が不気味に響く。
列車はソ連領に入り、
4日後にシベリアのチタに着いた。
それから3年近く抑留された。
70年たっても
ソ連のあくどい仕打ちは忘れない。



1945年4月、
熊本で結婚し、
小学校教師の主人の勤務先である
旧満州ハルビンに行きました。
4カ月後に終戦。
日本人は身の危険を感じ、
家の中に閉じこもりました。

8月末、
ソ連兵が侵入してきて、
土足で家の中に入り
目ぼしい物を持ち去りました。
怖かったのは「男狩り」です。
シベリア開発の労働力のために
日本人男性を連れ去るとの噂(うわさ)でした。
女性たちは主人を隠すため必死でした。
私の主人は天井裏や床下物置やらに隠れて
何とか逃れました。

ある日、現地の人が2人、
ソ連人1人を伴って来て、
向かいの家のご主人を引きずり出しました。
後ろ手に縛り、
近所を引き回し始めました。
ご主人は恨みでも買っていたのでしょうか。
助けて欲しくて、
私は家の中にあった腕時計を差し出しました。

しかし、現地の人に引ったくり取られただけで効果なく、ご主人はソ連人に撃たれてしまいました。血に染まって、倒れるご主人。
初めての、しかも目前の殺人に慄然(りつぜん)としました。



終戦時、
私は国民学校6年生で、
一家は朝鮮北部の咸鏡北道の
城津府に住んでいました。
終戦翌日には朝鮮人の暴動があり、
暴徒の通過した後には
廃虚と化した家屋のみが残りました。

すぐにソ連軍が進駐してきました。
聞くところによると、
ソ連兵は囚人部隊ということで、
女狩り・強姦(ごうかん)・輪姦(りんかん)は
日常ごととなりました。

しばらくすると、
「日本人は咸興に集まれ」との命令で、
有蓋(ゆうがい)車に乗せられました。
通常4時間ほどで着く行程ですが、
一駅ごとに「女を出せ」とのソ連軍の要求があり、
その都度幾人かの女性が名乗り出て、
3日目にようやく目的地に着きました。
彼女たちは私たちのために
人身御供になってくれたのです。

居留地は元独身寮で、
6畳間に4家族、
26人が押し込まれました。
大人も子どもも買い出しに走り回りますが、
お金が続きません。
たちまち栄養失調になり、
それとあわせて
発疹チフスが蔓延(まんえん)、
わが家は父と末の2歳の妹が亡くなりました。

家族全員が一夜で死亡したなどの話は 
いくらでもありました。
家族が死んで、
残った小学3年生と
5歳の男の子2人が、
必死に残飯をあさっていた姿を思い出すと、
今でも涙が出てきます。 



忘れもしない、
終戦から5日後の
1945(昭和20)年8月20日早朝、
樺太(現サハリン)の真岡(ホルムスク)に突如、
ソ連軍が上陸し戦火を交えた。
私たち家族は追撃におびえながら
豊原(ユジノサハリンスク)へ逃避行をした。
たどり着いた直後、
ソ連機が飛来、
硝煙を浴び人家は火災に包まれた。

半月を経て帰宅したが無残だった。
家の床や天井ははがされ、
室内は散乱し、
布団は戸外に敷き捨てられていた。
道端や崖下(がけした)には死体が放置され、
異臭を放っていた。
また、武装を解かれ
連行される日本将兵の姿を間近で見た。

それから本土に引き揚げるまでの2年間、
どん底の生活を送った。
当時、私は旧制中学生。
校舎はソ連軍に接収され、
勉学の道を失った。

移住してくるロシア人の家族は
日本人家屋に同居者のように住み着いた。
ウクライナから移住してきた家族と親しくなり
事情を語る中、
「スターリン・ホダ(良くない)」
を連呼するさまを、
私は驚きのまなざしで見つめた。

戦勝、敗戦国を問わず
戦争で多大な犠牲となるのは民衆だ。私は身を以(もっ)て知った。



満州(中国東北部)のチチハルで
1945(昭和20)年、
終戦の玉音放送を聞きました。
周りの大人たちは
「無事、日本に帰れるだろうか」
と話していました。
私の家族は、
チチハルの電信電話会社の社宅に住んでいましたが、
会社は突然侵攻してきたソ連軍に接収されました。

父はソ連兵に、
会社の机の上にあった赤インクを
無理やり飲まされました。
また、ある夜の寝入りばな、
銃を手にしたソ連兵数人が
土足で我が家に侵入しました。
父の金歯を見つけると、
値打ちがあると思ったのでしょう、
ペンチで引き抜きました。
父は連行され、
しばらく行方不明になりました。

その翌日もソ連兵2人が近づいてくるのが
家の窓越しに見えました。
「母が強姦(ごうかん)される」
と思った私はとっさに、
母や弟に裏口から逃げるよう言いました。
1人残った私は、
家に上がりこんだ兵士に明るく振る舞い、
押し入れを開けてみせると、
彼らはカメラや蓄音機を奪い立ち去りました。

難を逃れ、安堵(あんど)した母の顔が
今も忘れられません。
しかし、母は翌46(昭和21)年、
妹を産んだ後の肥立ちが悪く、
治療も受けられないまま亡くなりました。
残った一家は同年、
チチハルから石川県の
父の故郷に帰還しましたが、
「戦争は理不尽な暴力だ」
と今も強く思います。




旧満州・四平市で家族5人暮らしでしたが、
ソ連軍侵入、敗戦の後、 
逃げてきた同じ静岡県出身の6人一家と、
1年後の帰国まで同居しました。 
一番怖かったのは
ソ連兵による若い女性狩りです。

その一家の奥さんは
敗戦のしばらく前に3人目を出産。
家事手伝いで20代前半のきれいな妹さんが
静岡から来ていました。
四平にもソ連軍が到着。
すぐに父たちが妹さんを屋根裏に隠して
間もなく、ソ連兵が来て、
女がいるだろう、出せと要求しました。

ソ連兵はズボンのベルトを抜き、
裸の父に一振り、二振り……。
父は、妹さんが連れて行かれるのを防ごうと、
必死にこらえたのです。
父の体から血が噴き出るのを見て、
私たち子どもは静かに泣きました。
あの時の父の男らしさは忘れられません。

次に怖かったのは敗戦後の市内での銃撃戦。
部屋のカーテンのすき間から見ると
家の周辺でも兵士が倒れます。
静かになると誰かが兵士の服をはぎ取り、
その後、飢えた犬が裸の遺体に
腹から食いつく地獄絵。
命と衣食住を破壊してはならないと願います。  

以上、【声 語りつぐ戦争】より抜粋。


世界の誰もが、
プーチン大統領の言葉を信じていない。
プーチン大統領がいつ考えを変えるか
わからないからだ。

退役軍人を招き、
ウクライナの若者たちが
射撃訓練をしている。

「ストレスを感じるし、
若い世代にとっても
大変な状況だと思います。」
とウクライナの若者が述べる。


👧かたや日本の私は
スマホを見て遊んでいる。

👨僕は世界のニュースを見る。
日々日常が情報戦だ。

👩情報戦とは何か❔

👧あっ⁉️えっ⁉️
ウクライナの若者たちが
射撃訓練をしているということは、
ウクライナの若者たちにも
銃を撃たせるということだよね⁉️
ということは、
ロシアは、
ウクライナの若者たちを❔

👨気になる『情報戦』とは❔