📖本『最後の審判を生き延びて 劉暁波 文集』
丸川哲史、鈴木将久、及川淳子……訳
劉 霞……編
岩波書店
「私には敵はいない。憎しみもない。」
非暴力による自由・人権・民主・憲政への思いを綴った、2010年ノーベル平和賞受賞者の決定版文集.
「表現の自由は人権の基本であり、
人間性の根本であり、真理の母である.
言論の自由を封殺することは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することである.
憲法が付与する言論の自由という権利を実践するためには、当然のことながら中○の公民としての社会的責任を尽くさなければならない.
私のあらゆる行為は罪に問われるものではないが、たとえそのために告発されようとも恨み言はない。(「わたしには敵はいない-私の最終陳述」より)
内容紹介
劉(りゅう)は80年代は「文壇の暴れ馬」の異名をとり、
89年天安門事件では「ハンスト宣言」を発し、
事件後逮捕。08年には「08憲章」を発表し
「国家政権転覆扇動罪」で懲役刑に服している。
彼の詩・エッセイ・時事評論・関連文書を通して、
公共知識人としての主張が中○人の心をつかみ
国際社会の支持を集めてきた理由が分かるだろう。
内容(「BOOK」データベースより)
二〇一〇年度のノーベル平和賞を受賞した劉暁波(りゅう・ぎょうは)。
彼は八〇年代はその過激な中○伝統文化批判で
文壇の暴れ馬」の異名を取り、
中○の天安門事件で「ハンスト宣言」をして
反革命宣伝扇動罪」に問われ、逮捕された。
(劉暁波 氏は)「〇八憲章」をネットで呼びかけ、
国家政権転覆扇動罪」がくだされた。
各雑誌・インターネット上で
発表されたエッセイ・評論・詩・関係文書などを精選。
中○国内で言論活動を続ける友人・徐友漁があとがきを寄せ、
劉の思想と行動の真実に迫る。
彼の逮捕と受賞は中国の人権状況をあぶりだし、
憲政民主への道のりの遠さを暗示させている。
彼は同時代の中○をどのように見ているのか。
天安門事件は以後の彼の民主化ビジョンにどのような影を藤としているのか。
公正で自由な中○社会はいかにすれば実現できるのか。
壮絶なまでの自問自答が、
ここには記録されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
劉暁波
1955年12月28日中国吉林省長春市に生まれる。
1982年7月吉林大学中文系を卒業、
文学学士の学位を取得。
9月北京師範大学中文系修士課程に入学。
1984年7月北京師範大学中文系修士課程を修了、
文学修士の学位を取得。
1984‐1986年北京師範大学中文系で教職に就く。
1986年9月北京師範大学中文系博士課程に入学、
中国社会科学院文学研究所で開催された
「新時期十年文学検討会」において、
「新時期文学は危機に面している」
と発言し注目される 。
廖天
中国で生まれ台湾で育つ。
台湾大学外文系卒業。
1970年代にドイツの中国研究者
Helmut Martin氏と結婚し、
以後ドイツに定住。
ハンブルク・アジア研究所研究員、
ルール大学ボーフムの教員を経て、
リチャードウィルヘルム翻訳研究センターにて
中○文学のドイツ語翻訳に従事。
2001‐10年、ワシントンの労改基金会主任。
2009年、独立中文筆会会長就任。
劉霞
1963年生。詩人、写真家、劉暁波夫人 。
丸川哲史
1963年生。
一橋大学大学院言語社会研究科博士
後期課程修了、
論文博士(学術)、
明治大学政治経済学部准教授。
中○・台湾文学専攻。
鈴木将久
1967年生。
東京大学大学院人文社会系研究科
博士課程修了、
明治大学政治経済学部教授。
中国近代文学専攻。
(本データはこの書籍が刊行された当時に
掲載されていたものです)
レビュー
①中○で連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように望んでいる--との思いはまだ実現しない!
劉暁波氏が亡くなったので、『最後の審判を生き延びて 劉暁波文集』 (岩波書店)を久しぶりにひもとく。「私には敵はいない」も収録されている。自分自身を取り調べる警察官や検察官や裁判官たちは「自白の強要もなかった」「穏やかで理性的であり、しかも常に善意がにじみ出るものだった」とのこと。だから「私には敵はいない」と。ただ、それはあくまでも、彼がノーベル平和賞受賞者であり、特別扱いされていたからではあろう。そういう人でなければ、中共当局は、非道な扱いを容疑者に対して行なっているから。その点、少し甘い?
それはともかくとして、劉暁波さんの味方となる人々が、日本にはどれだけいるのだろうか?安倍首相以下政府首脳たちが気兼ねして「沈黙」や「静観」を決め込むなら、せめて野党の「共謀罪」法案にあれほど反対してみせた人権愛好家の面々(のご意見)は?
かつて核実験に反対するにあたってフランスのタヒチでの実験には現地まで出かけて強く抗議しながら、そのフランスの核実験とほぼ同時期に行なわれた中共の核実験には沈黙した政治家や反核団体、平和運動家もいたが、口先だけの人権擁護、平和主義など、二枚舌で醜いものでしかない。
彼の言葉の一節----。
「愛する妻よ、君の愛があれば、私はやがて下される審判に穏やかな気持ちで向き合うことができ、自分の選択を悔やむことなく、明日という日を楽観的に待ち望むことができる。私は、自分の国が自由に意見を述べることができる場所になることを待ち望んでいる。そこでは、国民一人一人の発言がすべて同じように大切にされるのだ。そして、異なる価値、思想、信仰、政治的見解……それらがお互いに意見を闘わせながらも平和的に共存できる。多数意見と少数意見のいずれも平等に保障され、特に権力者の政治的見解と異なる意見が十分に尊重されて守られなければならない。あらゆる政治的見解は陽光の下で明らかにされ、民衆からの選択を受け入れて、国民の一人一人が何の恐れもなく政治的見解を発表することができ、異なる政治的見解を発表したために政治的迫害を受けるようなことが決してあってはならない。私は、自分が中○で連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように望んでいる」
日本の何処に、弾圧された幽閉されたサハロフが、劉暁波がいるだろうか? 安倍を倒せを怒鳴り、権力者の政治的見解と異なる意見をいくらでも表明する自由がある日本。
残念ながら、彼(劉暁波さん)が「(私は自分が中○で)連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように」と(いうふうに)は(中○は)まだ(まだ)ならないだろう。
せっかくの本だが、訳者解説など(の)余計も「解説」もあり、(この本の)値打ちを半減させている。
(本書は)2011年の発行で発行人は山口昭男氏。岩波(書店)がまだ「良心的」だった時代の刊行(だろう)か。
②「私には敵はいない。憎しみもない」
1989年6月4日の天安門事件(六四事件)以来、非暴力で中○の民主化運動を行ってきた著者の時評集である。民主化に向けた主張をまとめ、多くの人々に署名を呼びかけた「08憲章」の起草の中心人物とみなされ、「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決が確定し、2010年5月26日以来収監中である。2010年10月8日にノーベル平和賞が決定し、本人不在のまま授賞式が行われて、世界中に「劉暁波不在」の強烈なインパクトを与えた。
著者は、中○の現政権が、世界第二位のGDP国という「外見」の大国にもかかわらず、内部から見ると暴政・専制の政治を行っていることを、古今東西の歴史や文学を引用しつつ、静かに暴き出す。天安門事件以来著者の立場は非暴力主義で一貫しており、その思想は、「私(達)には敵はいない。憎しみもない」という言葉で代表される。政権を暴力で転覆するのではなく、現在の中○の憲法でも謳(うた)われている言論の自由や、中○政府も承認した国連の国際人権規約を尊重し、実行せよ、というものである。このように、著者が「穏健派民主運動家」であるだけに、権力側は肉体的な抹殺が不可能で、また(劉暁波 氏が)民衆に与える影響の大きさを恐れているのだろう。
著者が描き出す中○の内実は、
一党独裁政権下での市場主義が、特権階級への利権の集中に見られる経済的・社会的格差の拡大や、
権力犯罪の横行を加速していることなど、
日本ではあまり報道されないものである。
過酷な環境においても書き続けられた先鋭な時評や、
仲間や愛妻に捧げる詩が心を打つ。
ここ数ヶ月、インターネットによる民衆の情報共有が中東の独裁国の体制を揺るがしている。
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本書は、中○がこれからどう変わらなければならないのかを指し示す、貴重な証言である。
(👴👨劉暁波さんは、2017年7月13日に、
すでに癌でお亡くなりになっています。
しかし、なぜ中○は、
民主化したくてもできないのか?)