姉とデイゴだんぎ、
父の俳句が琉球新報(沖縄の地元紙)に掲載されてるとのこと。
「梯梧散る朝の合唱幼稚園」(新里青太)
↓クリック
琉球新報 金口木舌 2010年7月11日
句が掲載されたおかげで、叔母からも電話があったそうな。
数週間前の新聞に、
今年は沖縄の県花「デイゴ」が咲かないと記事になっていたので、気になっていた。
実家の玄関先には、デイゴの木があって、
確か、その木に胡蝶蘭が接木されていた。
デイゴもいくつか思い出があります。
↓「おきなわの花と俳句」集
父のもうひとつのデイゴの句
父の俳句が琉球新報(沖縄の地元紙)に掲載されてるとのこと。
「梯梧散る朝の合唱幼稚園」(新里青太)
↓クリック
琉球新報 金口木舌 2010年7月11日
句が掲載されたおかげで、叔母からも電話があったそうな。
数週間前の新聞に、
今年は沖縄の県花「デイゴ」が咲かないと記事になっていたので、気になっていた。
実家の玄関先には、デイゴの木があって、
確か、その木に胡蝶蘭が接木されていた。
デイゴもいくつか思い出があります。
↓「おきなわの花と俳句」集
父のもうひとつのデイゴの句
ありがとうございます。
appletreeちゃんのお父様のお写真よーく覚えてますよ。
とっても素敵でジェントルマンって雰囲気でした。
上の写真、窓際で撮ったのでボケちゃってますね。
デイゴの朱に近い色があまり出てないかな?
もっとキレイなの見付けてまたアップしますので、また見に来てね。
私は家に18までしか居なかったので、父と一緒に居た時間は兄弟で一番短いの。
特に、父が俳句や俳画を描いてる時期は、私は子育て真っ最中で、その様子もあまり見てないかな?
でも、父に頼まれて、帰省する時には、鳩居堂の色紙や額等、俳画に必要な物をおみやげに買って帰りました。
印象に残ってるのは、父は私がおみやげにした京都とか滋賀あたりの和菓子の紙包みなどの絵も参考にしてたみたいです。
確か、俳句は70過ぎに始めたと思います。
姉たちは、どっちかって言うとファザコン、私だけが母親にくっついてたの。
父に反抗したのは、私だけかもしれない。
色んなこと考えると、父の晩年に近くに居なかったことは、損したかも。(笑)
でも、短い間でも、父の俳画を描く姿は覚えてるので、それを参考に、私も挑戦はしてみたいよ。(あくまで控えめ)
appleちゃんなら、似たようなこと出来ると思います。
お父様の俳句 いいですね~
こうやって 本に残っているのがすばらしいです 立派なお父様でうらやましい限りです
私の父は 真面目でやさしくてハンサムでしたが
文才はまったくありませんでしたし これといった趣味もない人でした(爆)