まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

楽山亭 続き

2021-02-16 22:02:13 | 建物・まちなみ
2019年秋の長岡の続き。

傾斜地に楽山亭をはじめとするいくつかの建物が点在する敷地全体が「楽山苑」と呼ばれ、名勝に指定されている。
三輪家が与板の地を出たあと、その後の所有者から与板町に寄贈、1970(昭和45)年から一般公開された。
1996~1997(平成8~9)年には楽山亭復元修理工事が行われた。


楽山亭はそれほど大きい建物ではないが、もてなしの場としてトイレの敷瓦の他にも凝った意匠が随所に見られる。
こちらが玄関。正面には丸い下地窓があって向こうの部屋が透けて見えている。


玄関の間の裏側にあたる8畳座敷は庭に向かって張り出して作られており開放的。


下地窓があったり、派手な柄の黒柿材が床の間に使われていたりするが、比較的端正なイメージだ。




床の間以外の三方にめぐる縁側には柱がなく、外側に立てた建具を取り払うと外部とひと続き!




外から見るとまるでドラマのセットのようだな(笑)。


廊下をぐるっと回りこんで進むと、左側奥に廊下が続いている。尚、右へ行くと例のトイレや、
今はバックヤードスペースとして使われている元台所がある。


左へ曲がったところのこの廊下がちょっと変わっているな!幅の1/3が丸竹のスノコになっていて、また
残りの2/3は板張りなのだが、この板の木目が浮き上がり洗いざらされた質感は、屋内にあるのにまるで長年
風雨に打たれた濡れ縁のよう。継ぎ目もあったりして、古材を持ってきて使ったのだろうな。


表にあった楽山苑の碑に刻まれた解説に、「かつて廻船に使用した船板を用いるなど・・・」と書かれていた。
ははぁ、大坂屋は信濃川の船運事業も行っていたから、所有していた船の古材をここに使ったのだろうか。


その廊下の奥には二つの茶室があった。
こちらの3.3畳の茶室は座敷と同様庭に張り出して作られているが、壁が多く適度な「こもり感」のある空間。


皮つきの材を床柱に使った床の間。利休が好んだ「竹吊り窓」から、「織部灯篭」が眺められる。


もう一つの茶室の手前には2畳の水屋がつき、その床は板と丸竹を交互に並べたもの。




こちらの6畳の茶室はちょっと変わっている。床柱が2本あり、間に花灯窓のような掘り込みがあって、その中に
「南無阿弥陀仏」の掛け軸が下がっている。これは仏壇であり、この部屋は「持仏堂」と呼ばれる。


2本の床柱の片方は黒い皮つきの荒々しい材、もう片方は皮を剥いだなめらかな質感の材と、対比的である。


天井も皮つきの丸材やすす竹、木の皮などを使った、数寄屋風の駆け込み天井。


この部屋は3畳の茶室と違い開放的で明るい。茶室としてだけでなく奥座敷としても使用したのだろう。


お風呂場は改修済みだったが、壁にもみじの葉が埋め込まれた風雅な意匠があった。


建物を見学したあと庭をうろついて外から建物を眺めたり、崖下に広がる与板のまちの景色を楽しんだり。


そして建物の裏手にあるもう1軒の茶室を見に行った。「積翠庵」と名付けられたこの建物は、越後柏崎の茶人
松村宗悦が京都表千家に伝わる有名な茶室「不審庵」を模して柏崎に建てた茶室を、三輪潤太郎がこの地に
移築したもの・・・の復元だそう。オリジナルは新潟の北方文化博物館に再移築されているとか。どこにあったかな(汗)


閉まっていて内部は見れなかった。蜂が出てきそうなので退散。。。


敷瓦と建物を満喫したあと楽山苑の入口の観光案内所ではっか糖を試食したらおばちゃんがお茶を出してくれて
ちょっとおしゃべり。
楽山苑のある与板のまちは、上杉景勝の執政、直江兼続の居城があったところで、ゆかりのスポットが多く、
歴史好きには有名な場所らしい。戦国時代の刀剣師に端を発する鍛冶は400年の伝統を誇り、また近くには
塩水の湧く温泉があって岩塩が採れるのだとか。へぇ~~


はっか糖と岩塩をお土産に購入して楽山苑を出、車で走り始めるとかなり大きな商店街が続いていることに気づく。
ちょっと散策してみようかと心惹かれたが、、、今日はかなりの距離を移動しながら何ヶ所か立ち寄る予定で
朝イチレンタカー屋で手間取ったせいで時間が押しているため、先を急ぐことに。
もう少し余裕あるスケジュールにしておくんだったな。。。

続く

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