まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

カトリック名瀬聖心教会

2017-12-05 23:49:26 | 建物・まちなみ
11月の飛び石連休は、有給で間を埋めて母親と奄美大島へ。
こちらもバニラエアが直行便を就航して激安で行けるようになったので、是非使ってみようと
早くにチケットを取っておいたのだ。関空から1時間ちょいでひとっとび。らくらく~~♪
実は奄美は13年前にも来たことがあって、母親はよく覚えているのだが、私はうろ覚え・・・(汗)
寒い大阪を抜け出して南国へ来たと思いきや、着て行ったユニクロダウンを旅の間じゅうずっと着続けて
いたほどで結構寒かった。。。そのうえ天気はイマイチ、後半は雨で残念。。。
それでも、植物好きの母親の希望のスポットはほぼ回ることができたし、他にもいろいろ発見が
あったみたいで喜んでいたのでまぁよかった。

1泊目は奄美大島の中心都市、名瀬泊。名瀬市は、いつのまにか「奄美市」になっていた(苦笑)
夕食後にひとりでまちなかをちょろっと夜散歩したら、素敵な教会を見つけた。


カトリック名瀬聖心教会。戦後建築と見えるが、大きな三角のフォルムのファサード、風穴ブロックで作られた
側面のスクリーン、目を引くには十分だ。教会としてもかなり大きな建物だろう。


奄美大島には、明治時代から宣教師が来て布教活動をしていたらしく、カトリックが広く信仰されている。
集落ごとに教会があるのにお寺や神社はほとんど見かけないことからも、それが分かる。


カトリック名瀬聖心教会のサイトを見てみると、戦時中にはキリスト教徒に対する弾圧や迫害があったようだ。
まちなかで西洋風の文化や宗教色をことさら感じないのは、そういう歴史が関係しているのだろうか。


奄美では建物やまちを見るつもりはなく全く期待もしていなかったが、素敵な建物に出会えてよかった!


真っ暗なまちなかをさらにふらふら歩くと、ひときわ古そうな建物を発見。
中廊下式のアパートみたいだが永田橋市場と書かれている。


戦後ほどない建物に思われるが現役なのだろうか。
隣にも少し新しい市場の建物があったので、そちらに移行したのか、増床したのか。


カッコイイ建物にひとりテンション上がる~~


裏へ回ってみると、こちらからも入れるようになっている。う~ん、いいなぁ!この一角。


戦後、海岸が埋め立てられ名瀬の町は広がった。埋め立ての最盛期は昭和35年から40年ぐらいといい、
海沿いのまちなみはそのころの時代が感じられる。


かつては機織りで子供を大学にまでやれたという大島紬が韓国産の紬に押されて産業として成り立たくなった。
最盛期は名瀬市だけで5万人いたという人口は現在、合併した元笠利町、住用村と合わせて4.3万人という。

大島紬で栄えた名瀬の市街地は結構広く、もっと歩けば他にもレトロな風景を見つけられたかもしれないが、
何せ真っ暗で(苦笑)、、小一時間ほどで宿へ戻った。

部屋のドアをトントンとノックしたが、音沙汰なし。母親が中にいるはずなのに、ドンドンと何度叩いても
開けてくれないので、仕方なくフロントの兄ちゃんに開けてもらって入ったら、、、
母親はさっき調子よく飲んだ黒糖焼酎で酔っ払って爆睡していたのだった(爆)
平和な名瀬の夜。。。

翌朝、モーニングを食べに外へ出て、カトリック教会に行ってみるとドアが開いていた。


聖堂の中に入らせてもらうと、外から見るのとはまた全然違う、明るく穏やかな雰囲気だった。


スリットにはめ込まれた柔らかい色ガラスの光が間接的に壁を照らす。きれい~~


ネットでいろいろ検索したところ、この聖堂は1965(昭和40)年に完成したものということだ。


鳥かごのようなデザインの鐘楼の中に鳩のモチーフが。ピース!


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