まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

鴨池フェリーと玉利邸庭園

2024-03-24 14:40:20 | 川・橋・船
今年のお正月休みの旅、続き

島津重富荘のカフェ・ド・マリーエで遅めのランチをしたあと石橋公園まで戻り、バスを乗り継ぎ鴨池港まで。
鴨池フェリーは大隅半島の垂水港まで40分で結び、30分に1本という高頻度で運航しているのでお手軽に船旅ができる。
このフェリーもずいぶん前に鹿児島に来た時なんきゅうフェリーや桜島フェリーと共に乗ったことがあるのだが、
blogに書いていなかったと思うので(汗)今回載せておこう。

しかし、、、この鴨池港が遠い!直線距離だと大したことないんだけど、市バスはウロウロくねくね、埋立地の
まちなかを迂回して行く。徒歩客には超不便だがほとんどは車の需要だから問題ないのだろう。
船は皆フェリー第◯◯おおすみという名前で、ピンクやグリーンなど色違い。車も積めるカーフェリーである。




お正月なので船にもしめ縄が飾られている。フェリーきかいやフェリー波之上でも見たが、みかんがぶら下がった
中央のしめ縄から、ひげのついた縄が左右に伸びている。この地方のスタイルなのだろう、毛深い感じ(笑)。


車両甲板は通り抜けスタイル。どんどん詰めていく。


さあ出発。船が着岸してものの10分で出航!コンテナの積み下ろしがないから早い。
乗ったのは比較的新しい船で船内もきれい。それほど大きくはないがエレベーターもある。


桜島フェリーと同じく、うどんコーナーもあった!




デッキで風に吹かれていたらもう垂水港に到着。立派なターミナルのある港だ。港の係員が手際よく車を下ろし、
船はさっさと出港。30分に1回、毎日同じように客と車を積み下ろしては船を見送る。鉄道やバスと同じ、
人々の生活の足である。






垂水港はしかし、まわりに何もない。。。前回はなんきゅうフェリーで薩摩半島の山川から大隅半島側の根占に
渡ったあと、バスで垂水まで移動してすぐフェリーに乗り込み鴨池へ渡ったんだったっけ。
うろつくところもないので乗ってきたフェリーが出て行くのを眺めたら、もうターミナルに入ってしまおう。。


帰りの船、おおすみ第八はかなり古い船だった。エレベーターもないしあちこち年季が入っている。
それでもうどんコーナーはある(笑)
この鐘はどういうときに鳴らすのかな!?


ひと通り探索したら船内のソファでゆっくり。


翌日はレンタカーを借りて、まず旧島津氏玉里庭園を見に行く。1835(天保6)年に27代斉興(なりおき)に
よって築造されたのがはじまりで、戦前までは久光が1879(明治12)年に再建した広大な邸宅があったが、
戦災で焼失。跡地は現在は鹿児島女子高の校舎とグラウンドになっている。

当初は北側の長屋門が正門であったが、久光が亡くなり国葬が行われるにあたって、南側に黒門とそこからまっすぐ
伸びる「国葬道路」が造られ、以降こちらが正門となった。


戦災では黒門、長屋門、茶室と庭園の一部のみが焼け残ったが、大きな池を中心とした(水は入っていないが)
広々と明るい庭園からは、消失した邸宅の規模や豪華さが偲ばれる。


庭園には数々の灯籠が配置され、キリシタン灯籠もあった。


1879(明治12)年に再建された茶室。


室内の壁はピンク色。改修工事で当時の色に復元されたとか。


茶室の裏手には石造の「水道高枡」が残っている。540m上手にある湧水から石管をつなぎ、サイフォンのしくみで
給水する水道施設は、当時全国唯一だったとか。

長屋門は女子高の校舎増築に際し、規模を縮小して移築、歴史資料室と体育倉庫として残されている。
管理人のおっちゃんがとても親切にいろいろと説明してくれ、女子高の敷地内の長屋門も案内してくれた。感謝!


ランチは、昨夜地図を眺めていて見つけた「地鶏の里永楽荘」というところへ行ってみようと1時間以上ドライブ。
この日朝からスマホの電波が入らなくなるというアクシデントに見舞われ、問合せの電話もできないまま現地へ
到着したが、人気店のようで予約なしだと1時間半ほど待たないといけないと言われ、ガーーーン!!
他を探すにしても待つにしてもスマホが全く使えないし途方に暮れていたら、一人なら何とか、と入れて頂き
助かった~~!お手頃なランチセットで鳥刺しを食べられて満足~~


そして九州温泉道で未踏だった城山長寿泉へ。めちゃくちゃいいお湯!スタンプもゲット。


夕方まだ少し時間があるので、藤武邸の近くにある南洲神社と南洲墓地へ行ってみることに。
西郷隆盛が自刃した城山よりも少し北東にあり、こちらもとても見晴らしがいい場所だ。
南洲墓地には西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が眠っている。

歴史はあまり詳しく知らないのだけど、九州を旅しているとあちこちで西南戦争の戦場地や薩軍のゆかりの地に
出くわす。戦場は鹿児島、せいぜい九州南部ぐらいというイメージがあったが、進撃、退却、、、戦場は大分県、
熊本県までとかなり広い範囲にわたっている。敗戦後、各地での戦死者の遺骨はここに集めて埋葬された。
墓石は大小、いろんな形状のものがあるが、西郷隆盛の墓は意外と小さかった。


竹をかたどったトーテムのような柱。墓石は八角柱や、中央が膨らんだ四角柱、自然石などいろいろあった。


参拝所は西郷隆盛を祀る南洲神社となった。
南洲神社の一角に立つ鋳鉄製電燈の柱脚には、「大正二年十月 集成館製作」の文字が入っており、登録有形文化財
となっている。




続く。
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天文館のタイルたち

2024-03-17 09:52:48 | ディテール
今年のお正月休みの旅、続き

奄美から鹿児島に戻って天文館のホテルに荷物を預け、モーニングでも食べようと朝からうろうろ。
天文館は鹿児島の繁華街・歓楽街でありホテルの周りは居酒屋、スナック、風俗店などがひしめいている。
昭和後期に建てられた小さなビルが多く、壁全体にタイルを貼ったものも多い。
以前にも紹介した記憶があるが、この時代の歓楽街のビルはタイル使いが面白いのだ。


スナックビルの入口も朝歩きだとのぞきこんで写真も撮れる(笑)
インパクトあるデザインはイタリアタイルだろうか。


レールのような立体的なタイルをいちめんに貼って毛羽だった質感を作りだしているビル。


色付きのボーダータイルを並べて壁全体で抽象的な模様を作りだしている。気まぐれに並べたように見えるが
表現に意図があるのだろうか?


こちらもグリーン系の外装タイルの霜降りに茶系のタイルを混ぜて何か模様を描いてあるようだ。
人間にも見えるが抽象のようにも見える。


こちらもビルの外壁全体をキャンバスにして、二丁掛ぐらいのサイズの外装タイルで絵柄を表してある。
模様の部分には立体的なタイルを使ってあり、刺繍したように模様が浮き出た感じの効果になっている。


何度見てもこれが何の絵なのかは分からないのだが(苦笑)、、、
こういうふうにモザイクタイルのような使い方で外装タイルを使うのはなかなかユニークだ。

ちなみにこのビルの1Fにある貝汁とわっぱめしの店はめちゃくちゃおいしい!

こちらは全面にモザイクタイルが使われている。と言ってもこれはあらかじめパネル状にした製品と思われる。


青海波の形がまたモザイクのように見える。


こちらも飲み屋ビル。ワインレッドの大型のタイルを曲面の壁に貼ってある。


改修で貼り直したと見える店先のタイル。ランダムに線が入っているのがかわいいね。


こちらはタイルではないが、ビルの窓がステンドグラスのようにニュアンスのあるガラスをつなぎ合わせて
あり、しかも台形の凹凸になっている。中にあかりが見えていい感じ。


さて、アーケード街にある純喫茶「茶房 元」でモーニングを。


落ち着いたインテリアでゆったりした時間を過ごす。




さて旧藤武邸の様子を見に行こう。
鹿児島県民教育文化研究所が移転し建物は解体されることになったのだが、志ある方々が奔走、尽力して下さり
買い取ってくれる企業が現れたことで解体をギリギリで免れ、これから整備を経て活用されることになった。
2015年の記事


行ってみると門が開いていて、庭に重機が入っていた。座敷に面した庭園はそのままだが、それ以外の部分は
駐車場にするのか何か建てるのか。活用するには必要なことだな。。。



お隣の岩元邸のピンクの洋館はもう解体されたというニュースは見ていたが、あぁ確かに、なくなっていた(涙)

そこからランチを予約しておいた島津重富荘のカフェまでぶらぶら歩く。
市電の一日券を買ったがなかなかうまく使えない(苦笑)。


途中岩元邸もちらっと見ていく。



過去記事

島津重富荘も再訪であるが、今回ランチを予約した別棟のカフェはレンガとガラスで造られたモダンな建物。


海側がいちめんガラス張り。桜島ビューの窓辺の席は埋まっていたけど、パスタセットを頂いて優雅な気分。


以前見学させてもらった本体の建物を、可能ならもう一度見たいなと思っていたが結婚式をやっているようなので
遠慮しておいた。




続く。
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フェリー波之上で鹿児島へ戻る。

2024-03-09 00:31:45 | 川・橋・船
今年のお正月休みの旅、続き



奄美大島に早朝着いてからタイル墓めぐりや教会めぐりをして一日たっぷり遊び、夜のフェリーでまた鹿児島へ戻る。
帰りはフェリー波之上。こちらは鹿児島と那覇を結ぶ航路で、途中奄美の名瀬に寄港するのだ。
同日で35分早く出航するフェリーきかいに乗ってもよかったのだが、行きとは違う船に乗りたかったので。
レンタルバイクを5時に返して船は20:30発。どうやって時間をつぶそうかなと思っていたら、偶然いい感じの
喫茶店、「カヌー」を見つけた。おぉ、奄美にも純喫茶があったんだな!まだいけますかと声をかけたら
20時までやっているというので入る。


今年で55年目というお店は木製の天井がとても素敵!ココアを飲んで温まる。
純喫茶って5時とか結構早くに閉まる店が多いが、夜までやってるって助かるな~




さて、ご飯はどうしようか・・・お昼が遅かった上にボリュームあったのであまりお腹すいていないがせっかくの
奄美、海鮮を食べたい。しかし私飲まないしなぁ。。。と、目の前に現れた、みしょれ市場。入ってみると、
学生食堂のようにセルフ式で単品で頼んで食べられる。へぇ~、一人でも、飲まなくても入りやすくていいね!
地魚の刺盛と巻貝を頼んで海鮮を満喫!奄美の本など読みながらゆっくりしていたらお腹が空いてきたので
坦々麺を追加(笑)。夜遅くまでやってるし急かされることもないのでフェリー待ちにぴったりだな!

歩いて港へ。飾らないターミナルが旅情を高める。




フェリー波之上は昨日のフェリーきかいよりも大きい船だ。
「A"LINE」のロゴや「〇A」マークは同じだが、こちらは親会社のマルエーフェリーが運航している。


タラップでなく空中通路で乗り込む。




フェリーきかいと違い、エントランスは旅客向けでレストランも大きい。ご船印も売っていた!


「ゆ」と書かれた暖簾がかかっているから大浴場があるのかと思いきや、暖簾の向こうには脱衣所があって、
さらにドアを開けるとシャワーブースが並んでいた。ちょっと残念。。


個室が満席で2段ベッドしか取れなかったけど、まぁ十分快適。




ローカルな港、しかも夜の出航。離岸の切ない気分に一人浸る。。






鹿児島到着は朝の8:30なのに30分以上も前からホールに下船の列が長々とできていた。
マルエーフェリーは、奄美海運と違い鹿児島新港に着く。






急いでもドアが開かないと降りられないんだしと着岸後もデッキに出て下を眺めたりゆっくりしていたら、
なんと、連絡のポートライナーバスが満席に。しまった!!それで皆早くから並んでいたのか!
ぎゅうぎゅうに詰め込んでも結局積み残され、、臨時バスも出ないと。そんなぁ〜~
鹿児島新港からまちなかまでは3kmぐらい離れていて、ちょっと歩く気にもならない。。。


私の前に並んでいたおばちゃんの誘いで列の前後の人たち4人でタクシー同乗することに。
鹿児島に住む娘のところへ行くというおばちゃん、徳之島に帰省していたという男子学生、自由人みたいな男の人、
積み残された同志、知らぬもの同士、和気あいあいと鹿児島のまちなかまで乗って、さよなら〜。
何かこういうの、昔の旅では結構あったけど、すごく久々で楽しかった~(笑)

続く。
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奄美大島の教会めぐり

2024-03-06 22:52:05 | 建物・まちなみ
今年のお正月休みの旅、続き

タイル墓めぐり
ははじめからそのつもりだったのではなく、最初はカトリック教会をめぐろうと走り出したのだった。


名瀬のまちなかにある名瀬聖心(みこころ)教会は6年前にも見たがやっぱりカッコイイなぁ。→過去記事
船で早朝に着いてうろうろしているときに、ここの入口のところに貼ってあったカトリック教会マップを見て
今日は教会めぐりをしよう!と思い立ったのだ。


奄美でのカトリックの宣教活動は1892(明治24)年からはじまり順調に信者が増えたが、昭和初期の戦時には
弾圧や迫害など苦難の時期を迎える。しかし戦後、アメリカ軍の統治下に置かれたことも要因のひとつだろうが
早い時期に教会は再建に向かい、救援物資の配布など社会福祉活動を通じ島の人々の暮らしにとってはますます
密接なものとなっていったのだろう。

現在島内に31の教会があるそうだが、北部に多く南部は少ない。あとで人に聞いたところによるとやはり
南部は山深く交通の便がよくなかったためだと言い、宣教活動がしにくかったり住人が少なかったせいだろう。


スクーターでとことこ走っていくと集落ごとに教会がある。
カトリック教会はたいがいどこでも扉は開いていて、ご自由にお入りくださいと書いてある。
そして概して内部は外から見るより古かったり雰囲気がよかったりする。
こちらの大熊教会はコンクリート造りのきれいでモダンな建物。幼稚園か公民館のようにも見える。


日当たりのよい高台にそびえ立つ鐘楼は、いかにも集落のシンボルという感じ。
毎週ミサが行われきれいに維持されているのを見ると、敬虔な信徒が今も多くしっかり生活に根付いていることが分かる。


お天気がよく海は青くとっても気持ちいいツーリング!・・・しかし寒い(苦笑)


こちらは芦花部(あしけぶ)教会。簡素な2階建ての建物で、化粧板で覆われた外観はあまり古く見えないし、
大して目を惹かれず立ち去りかけたのだが、壁の一部が少し気になったこともあり、せっかく来たから一応中を
覗いてみようと思い直してアルミサッシのドアを開けてみたのだった。


すると・・・うわっ、なんだこの天井は!!
ギザギザの凹凸があるように見えるのは、矢羽根状に貼られた天井板による目の錯覚だ。
白っぽい外観に惑わされたが、実はこの教会はとても古く、1929(昭和4)年の築。
「台風・火災・戦災・迫害等に耐えた奄美の教会の中で戦前の姿をほぼ原型のまま残している唯一の教会」と
紹介されてもいるらしい(受け売り情報→元ネタはこちら)。


蛍光灯の照明が天井に取り付けられているが、もとはペンダント型の照明がついていたのだろう、
菊型ローゼットが残っていた。
思い直して中を見てよかった~


山越え中にぱっと目の前に現れた濃いピンクの緋寒桜!うわ~~きれい~~!しばしお花見。


海沿いを走っていると古い石垣にも出くわす。加工していない自然石を乱雑に積み上げた石垣は幅が1m以上ある。
民家は石垣に埋もれるようにして建ち海風や波から守られている。


南国らしい水色の海!ひゅ~ひゅ~~!!テンション上がる~~


島南部の西古見で見たのと同じ古いサンゴの石垣もあった。




こちら龍郷にある西郷南洲流謫跡。
西郷隆盛が奄美に3年間流されていたが、その間に愛加那と結婚して住んだ家である。


愛加那は奄美の名家、田畑家の一族であり、田畑家は後に龍家となった。龍郷という地名は龍家の本拠地という
ことなのだろう。
その田畑家の墓地が西郷南洲流謫跡の近くにあり、のぞいてみると、また「絶滅する墓」の本に載っていた
肖像墓を見つけた。ここだったのか!女性と男性の姿を結構リアルに彫った石像が、墓石になっている。
しかしよく偶然に見つけたものだ。呼ばれたのかな(笑)


こちらは龍郷教会。かわいらしい教会だが無人でドアも閉まっていた。


今度は「仏像墓」を見に行く。こちらは町指定文化財になっていてちゃんと案内板も出ていた。
じゃりじゃりの坂道もスクーターですいすい上れるので楽ちん~~


仏像の形をしているが埋葬された人の名前や年齢が彫られた墓石である。凝った彫刻を施した破風型の墓石と共に
1725年代に造られたものという。300年前か。材質は鹿児島の加治木石だそうだ。一部は割れ落ちている。


そしてようやくたどり着いた瀬留カトリック教会。広い敷地に急勾配の三角破風が印象的な聖堂と司祭館が建っている。
1908(明治41)年築で、登録有形文化財になっている。




中へ入ってみると、ここもまた驚いた!三廊式で凸型の天井は格間の板の向きを交互に違えてあって
格天井というより籠目のような趣。祭壇や柱も木の色でとても落ち着いた雰囲気で、美しい!
信者の方が来られたので少しお話しして、奄美のカトリックの歴史などについてお聞きした。


スクーターでのツーリングはこの辺で折り返し。
来た道はくねくね山越えや海沿いの道で車は少なく、ぱっと広がる景色に心躍らせる楽しいツーリングだったが、
食べるところが全くなかった(汗)。たまにある店も臨時休業だったり、イートインはダメだったり、、、
もう2時も過ぎているし昼抜きだな・・・と諦めかけていた時に見つけた「営業中」ののぼり。
「ブラッセリ―テイラ」という店。半信半疑でドアを開けると、ランチできると。あーよかった!
しかもパスタランチは何でも作りますよというので、オイル系でお任せしたら、きのこと干しエビのペペロンチーノを
作ってくれて、ボリュームがあって小鉢もついて900円って、なんと良心的!
ご主人といろいろお話しして帰りにみかんももらって、素敵なランチだった!

帰り道は国道58号線でショートカット。車が多くてちょっと怖かったけどまぁ無事に名瀬のまちまで戻り、
古田町マリア教会を見に行く。


レンガ調の円形の建物はとてもおしゃれでスタイリッシュ!2002(平成14)年落成。



島の北東部の笠利町にはもっとたくさんの素敵な教会があるようなので、また次回は車でめぐってみよう。

少しまちなかをうろついてからレンタルバイクを返却。ガソリン満タン入れたら、なんと1.1リットルで
200円の請求!?えーーっ、一日中走り回ったのにたったそれだけ?スクーターってそんなに燃費がいいのか。
買おうかな(笑)

続く
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奄美大島のタイル墓めぐり

2024-02-29 01:08:53 | 風景
今年のお正月休みの旅、続き

フェリーきかいで早朝に奄美大島に着いて、夜にはまた鹿児島へ戻る予定。滞在時間は約13時間。
レンタカーはだいたい空港近くに集中していて、港からはかなり離れているため、名瀬のまちなかで
スクーターをレンタルすることにしていた。
どこから来たのかとバイク屋のおっちゃんに聞かれ、大阪と答えると、スピード違反で捕まる人は大阪の人ばかりだ、
こっちの警察はヒマだから取り締まりをよくやっている、制限速度30kmだからね、31kmでも違反だからね!
とさんざん念を押された(苦笑)。


さてどこへ行くか。実はあまり考えていなかった(笑)。車と違ってあまり遠くへは行けそうにないし、
山がちな奄美、長いトンネルを走るのは嫌だな~、あんまり深い山越えは嫌だな~、ということで、
名瀬から竜郷にある登録有形文化財の瀬留(せどめ)教会を目指して海沿いを走ることにした。
奄美大島には古くからキリスト教が布教されカトリック教会がたくさんある。途中にいくつかある教会もめぐろう。

1月の奄美は結構寒くて風が冷たい。。持っている防寒着を全稼働して走り出す。まちなかも車は少なく、
おっちゃんの言いつけを(というか法律を)厳格に守って30kmをキープしつつ港や海を眺めながらトコトコ走る。
町はずれにさしかかった時、何か変わったものが目に入った。何だあれは!?ミニチュアの教会堂のような形をした
コンクリート製の造形物。バイクをUターンさせて停め近寄ってみると、キリスト教徒のお墓のようだ。
こんなお墓初めて見た。すごいこだわりだな!


そしてもうひとつ目についたのは、お墓の台座などにみっしりと貼られたタイル!え~っ、タイル貼りのお墓!?
実は年末に『絶滅する「墓」』という本を読んだのだが、奄美にタイルで飾られた墓がある、という一文を読んだのを
思い出した。ははぁ、ここのことだったのか~


その墓地にはタイル墓がたくさん見られ、全体の半分ぐらいはタイル墓じゃないか!?というくらい。
どうも個人的趣味で貼ったというレベルではなさそうだ。


墓地で写真を撮るなんて不謹慎とは思いながら、興味深くてあれこれ見て回る。
その墓地には、キリスト教徒のお墓とその他のお墓が混在していたが、タイル墓に宗教は関係ないようだ。
キリスト教徒のお墓は、教会堂を模したような特殊なものは別として、長崎で見るような十字架の墓標を掲げた
ものでもなく、他と同じような形で単にタイルで十字架を表してある。


タイル墓に使われているのは主に玉石タイルの系統で、混ぜ物のパーツがかなり大きい種類のものが多い。
長方形のタイルやデザインタイルもあるが割と大きめサイズで、正方形の豆タイルなどは全く見当たらない。
いずれも昭和40年代後半~50年代初め頃だろうか。


数種類の玉石タイルを混ぜて貼っていたり、混ぜ物のパーツを取り出して意味ありげに貼っていたりと、
玉石タイルをばらして使っているのも面白い。
見ていると使われている玉石タイルはどうも特定のメーカー製に偏っているように感じられる。








うちの先祖のお墓をはじめ、私が昔から知っているお墓は、小さな区画に御影石の台座、その上に〇〇家之墓などと
文字を彫り込んだ四角柱の墓石が載っている、というもので、あたりを見回してもほとんどが同じ形をしていた。
地方に行くとお墓の形にも特色があるのは気づいていたが、ここでは五輪塔や、中国風の家型のお墓、台座だけのもの、
擁壁に囲まれた広い前庭があるものなど、いろんな形状のお墓が見られる。


その後も走りながら墓地があるたびスクーターを停めて観察。最初に見た浦上共同墓地ほどたくさんはないが、
それでも各地で数基はタイル墓がある。
どうも特定の家系の墓というわけでもなさそうだし、特定の集落だけというのでもなさそう。
宗教も関係ないようだし、特に金持ちの家の墓というのでもない。いったい何なんだろう。。。


レリーフ模様の入ったタイルを円形に組み合わせて家紋のように貼っていたり、同じタイルを1枚、まるでご神体か
何かのようにうやうやしくポツリと貼っていたり。


このタイル墓はタイル屋が仕掛けたのではないか?拡販のためにお墓にタイルを貼ることを各集落に提案して回り、
それで一時期島じゅうで流行したのではないだろうか。






本来は床に敷き詰める用のタイルを装飾として使ってある。


玉石タイルの混ぜ物パーツを中央にシンボリックに配してある。


黒無地のタイルの中に一部分玉石タイルを入れて飾りにしてある。しかも数種類の玉石タイルをばらして混ぜてある。


玉石タイルは大小のパーツをランダムに混ぜて30cmのユニットにして紙張りしてあり、連続して貼っても
つなぎ目が目立たず曲面でも隙間ができず貼れるのが利点だが、1ユニットをまるまる装飾として使ったり、
パーツを取り出して再構成して使うという、このような玉石タイルの使い方は他ではほとんど見たことがなく、
ちょっとした衝撃だった。


お風呂屋にあるような6枚組の絵付けタイルもたまーに使われていた。


興味津々のお墓めぐり、すっかり楽しんでしまった(笑)
機会があれば他の集落のお墓もめぐってみたいな!

続く
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