ちょと長いですけど「中川家」のお兄ちゃん、剛くんのお話。
さんまさんがめちゃかっこええ~。
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若手漫才師日本一決定戦「M-1グランプリ」初代王者で、大看板への道をひた走る兄弟漫才コンビ「中川家」。ネタ作りも担当しコンビの頭脳と言えるのが、お兄さんの剛さん(43)です。
メディアに、舞台に、多忙な日々を送りつつも、毎年恒例の単独イベント「中川家の特大寄席」(東京・ルミネtheよしもと8月24日、大阪・なんばグランド花月8月31日)も開催。一時はコンビ存続が危ぶまれるほど心と体のバランスを崩した剛さんですが、そんな剛さんを圧倒的なパワーでどん底から引き揚げてくれたのは、明石家さんまさんでした。
僕が精神的に一番弱っている時、ま、パニック障害という病気になった時、いろいろな方に声をかけていただきました。
「大丈夫か?」とか「無理せんでエエで…」とか、たくさん励ましの言葉をいただいたんですけど、さんまさんだけは全く違いました。当時は「この人、オカシイんちゃうか?」とも思ったんですけど(笑)、今になったら、どんどんどんどんありがたみが増してきます。
デビューから5年ほど経った頃、今から16~17年前くらいですかね、ボツボツ仕事をもらえるようになってきた頃、自分自身、様子がおかしくなってきました。
仕事場に行くのがしんどくてたまらない。怖い。(密閉空間が恐怖に思え)電車にも乗れない。そんな状況が続いたので、せっかくいただいたレギュラーもなくなっていった。
正直、仕事ができる状態ではなかったので、礼二に伝えて休みをもらいました。周りの方々の励ましもあって、どうにかこうにか、復帰の流れとなったのが今から13年前。
復帰して大阪では少しずつ仕事を始めてたんですけど、初めての東京での仕事がさんまさん司会の「明石家マンション物語」(フジテレビ系、1999年~2001年)やったんです。
僕らが呼ばれたのは、番組内で芸を披露して、おもしろければ新レギュラーになれるという公開オーディション企画。実は、その番組がさんまさんとしっかりお仕事をさせてもらう初めての機会やったんです。
復帰後初の全国ネット、公開オーディション、そして、病み上がり…。どれだけ緊張したらエエねんというね(笑)。
新幹線でも、ずっと震えてました。考えることといえば「何かトラブルでもあって、番組がなくなったらエエのに…」ということばっかりでした。
スタジオに着いて、収録前に出演者やスタッフさん、関係者がみんな集まっているスタジオ横のスペースがあるんですけど、そこに顔を出しました。
そこで、さんまさんが僕の顔を見るなり、開口一番言ったんです。「おお、パニックマン!!」と。
ガッチリしゃべるのも初めて。その第一声が「パニックマン!!」。共演者の方々も、スタッフさんも、ほぼ全員そろってる中で、いきなりそれです。
それこそ、パニックになって、アワワとなってたら、矢継ぎ早に「聞いたで、パニック障害とかいう病気らしいな。でも、ま、しゃあないやろ。なってしもたんやから。いや、俺もよく分からんねんけど、こいつ、パニック障害という病気やねんて。そうや、お前“パニックマン”というコントでもしたらエエねん!額に“P”の文字をつけて、困ってる人を助けに行ったけど、手が震えてパニックになるという設定で」と。
「なんちゅうことを言うんや…」という思いもありましたけど、周りとしたら、僕の病気のことも知っているものの、どう接したらいいのか、迷ってる部分があるわけです。イジっていいのか悪いのか。言った方がいいんだろうけど、病気のことだしなぁ…という。
そんな空気の中、全員がいる前で、さんまさんがイジってくれることで、すべてが、いろいろな意味で、OKになるわけです。一瞬で、全部がほぐれるというか。
あそこで、あのトーンで、さんまさんが言ってくださったのが本当にありがたかったです。
ま、それでも、もちろん緊張はしますわね。礼二までも、服着たままシャワーでも浴びたんかというくらい、汗をかいてました。
すると、さんまさんが僕らに「緊張してんのか」と。「…ハイ、緊張してます」と答えると「緊張してたらしてたでエエやないか。それはそれでおもしろいん
やから」とおっしゃったんです。
その言葉で「あ、このままいこう」と。スッと、一瞬で気持ちが変わりました。さらに、さんまさんが言葉を続けました。
「緊張しててもいい。怖くて仕方なくてもいい。手が震えててもいい。どんな状況でも、前に出てくるヤツには、俺が必ず責任を持つ。どうにかする。だから、何でもエエから出てこい」。
おかげさまで、この日のオーディションで合格し、レギュラーとして番組に出してもらえるようになりました。
その番組をきっかけに、他の番組でもさんまさんとご一緒するようになったんですけど、さんまさんがすごいのは“どんなことでも笑いにする”こと。文字にすると簡単にも思えるんですけど、徹底してらっしゃるんです。
結婚のお祝いをいただいた時も、祝儀袋の裏に「人生アホ代」と書いてあるんです。詳しいことは何も言わず「そういうこっちゃ」とだけ言って渡されたんです。
これまでのさんまさんの考えを見て、僕が思ってる解釈は「芸人なんやから、仮に、この結婚がダメになったとしても『アホやから、失敗しました…』でエエやないか。それを笑いにしたらエエやないか」という思いを込めて、いただいたのかなと思っています。
よく、さんまさんの収録が長いと言いますよね。1時間番組やのに、3時間しゃべりっぱなしだったとか。あれには、理由があるんです。
例えば、若手が10人出てきたとしたら、10人全部活かすまでやめないんです。10人全部のいいところを引き出すまでやめない。
正直、10人いたら、丁寧に3人活かしたら、十二分というか、それでも放送ではカットされる部分だらけやと思います。それなのに、10人活かすんです。そのパワーと優しさ、これはとてもマネはできないですし、“すごい”としか言いようがない。
恩返しなんてホンマにおこがましいですけど、1つだけ思ってるのは、さんまさんをイジり倒せたらなと。今は基本的にはさんまさんが周りをイジったり、ツッコんだりしてますけど、僕らくらいの世代がさんまさんをイジり倒すことによって、また違うさんまさんの形が出てきて、70歳になっても、もっと歳をとっても、ずっといてくださるかなと。
後輩にイジられるパターンで、また次のさんまさんが始まるというか。もちろん、それをご本人が望まれるかどうかは分かりませんけど、今、僕が考えられる恩返しは、それが精いっぱいです。