何かを始めたくて

捨て活や日常生活から得られる気付きを記しています。

一生懸命

2021-03-31 14:57:56 | 独り呟く
ここずっとブログをサボってました。
もう鬱になりかけてます。
申し訳ない。

肋にビビ入るわ、親がぶっ倒れるわ、水回りに近いところで地味に困る故障トラブルが幾つか…。あとは仕事の人間関係とかとか。

一生懸命頑張って来たけど、コロナ禍で人員削減されているらしいので、転職先を探さねば…と思案中だったり


話は反れたけど、「一生懸命」と言う言葉は素晴らしいものだけど、これをこなすことと継続させることは難しいんだ。

若い頃、とあるRPGに衝撃を受けた台詞がこちら。



何のRPGかは画像を見て解る人が多いのではと思う。

みんな確かに遊ぶ時は目一杯楽しもうとするけど、遊ぶことに「一生懸命」と言うことが、これを初めて聞いた時の自分には想像もつかなく、またこのような台詞回しが存在するなど思ってもみなくて、本気で感動した。

確か、この台詞を言わせたイベントは、幸せの国とか言うところから来たから共に行きませんか? みたいな、どこにでも転がっていそうな宗教勧誘のようなイベントだったように思う。







勧誘を受けて移動中。「楽じゃない」と言っている辺り、一生懸命やることはやっぱり難しいんだなと確認出来た。

こんな台詞を真面目に受け止めるなんて、自分でもじわじわ来るものがあるのだけど、例え長い人生を生きてきたとしても、「一生懸命」ということについて議論することなどありっこないものな。

まっ、そのRPGの「一生懸命」遊んだ結果がこれ。


その後の会話で戒めのような台詞を見付けたのでペタリ。







自分でもがいてもどうにもならなかった場合、どうしても誰かに頼らなければならなくなる。
だけど、それは援助を頼むくらいで、自分が頼った誰かが解決してくれる訳じゃない。

肝に銘じるのは、解決させるのは飽くまでも自分。

それこそ、解決させるまでの間だけでも「一生懸命」に行動出来れば。御の字か。









二者択一

2021-02-11 20:01:00 | 独り呟く
捨て活や健康診断の結果を通しての気付きが生まれた。

自分の身近なものから世の中の全てにおける選択肢はたった2つだ。

捨てるか捨てないか。
諦めるか諦めないか。
やるかやらないか。

選択を求められた場合、必ずどちらか一方を選ばなければならず、その選択に繋がる結果を受け入れることになる。

こっちを選んだけれど、結果は気に入らない。
結果は良いけどこれを選択すると面倒臭い。

決して楽して良いとこ取りは出来ないのである。
良いとこ取りがしたければ、少しでもそれに近いものを得られるような知識を身に付けて、行動を取るしかない。

人間が選択を迫られて悩むのは、愛着や執着、その選択後における損得勘定を瞬時に叩きだすからに他ならない。

選択肢は実にシンプル。そこから出される結果も本当にシンプル。
ただ、そこに行き着くまでの過程はとても複雑だ。


人間だから悩むし苦しむ。だけど、いつか出るであろう結果は、喜びや幸せで溢れかえるものにしたい。

自分が現在選んだ行動は、きっと未来に繋がるのだから。






継続のコツ

2021-02-05 18:36:00 | 独り呟く
最近どうにも疲れていて捨て活が出来ていない。
休みにちょこちょこしていくだけにして、平日は何を捨てるかその場所を良く見ているだけでも良いかな、と思っている。

こういう事を“義務化”してしまうと、やがては“やらなければならない”となり、うんざりしてしまう。
そうなると、長続きしない。
目標に少しずつ前進している自分を褒めて、次のモチベーションに繋げていくことは大切なことだと思う。

継続は力なり。

とはいうけれど、これを維持させることがどれだけ大変なのかを、良く考えて、見つめていきたいと思っている。


色々な見方

2021-01-26 17:12:00 | 独り呟く
今年の冬は暖かいからか、蓮華が沢山狂い咲いていたけど、この寒波で少し元気が無くなっていた。




こんな小さな蓮華だって一生懸命咲いているのに、自分ときたら…と、最初は思ったのだけど、未だ芽吹く季節ではないのに寒い中で狂い咲きをする辺り、せっかちさんだなぁ。

おっちょこちょいであるというような視点をすると、この蓮華、何だかわたしと良く似ているな…。

一つの事柄を、視点を変えてみるだけで随分印象が変わるもんだ。

何だか面白いけど、怖くもある。
同じ動作でも、良く見られれば御の字。悪く見られれば…。



とうそうほんのう

2021-01-20 21:51:17 | 独り呟く
人生を彩るスパイスの中に“とうそうほんのう”というものがある。

これを用いる時、相当悩んで、悩みに悩んで行使する人もいれば、迷う事なくあっさりと使ってしまう人もいる。

“とうそうほんのう”は、どう使おうと個人の自由。ただ、自己責任だ。誰にも迷惑かけなきゃ良いんだ。

ただ、使い処を間違えると、自滅、もしくは破滅してしまう恐ろしいスパイスでもあるとわたしは考える。

どんな局面に遭遇しても最後まで頑張って立ち向かう、“闘争本能”。
いやいや、こんなん無理だろ、逃げるが勝ちだろ、の“逃走本能”。

自己の限界を超えた、我慢しながらの闘争はストレスでしかなく、何でもかんでも出来ないからとする逃走は、後の人生の糧にならない。

“とうそうほんのう”は、本当に使い方が難しい。