星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

さまざまな失望を持って

2022-02-24 16:57:13 | 日記

 

 

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夕方、サンマルクの席でこれを書いています。

あまり元気のない状態ですが、それはまあ相変わらずということで、仕方なしです。先ほどまで、気分変調性障害についての本を読んでいました。気分変調性障害とは、先日心療内科にて私に下された診断結果です。200ページほどの、そう分厚くはない本で、症状についての詳しい情報や、対策などが書かれている本です。

読んでいる途中で挫折してしまいました。今の私に読み進めていく集中力がないのか、それとも本の内容に対して期待していたことが芽生えなかったからでしょうか。

期待していたこと、どはどのようなことでしょうか。おそらく今の苦しい気持ちを解きほぐしてくれるような、自分の憂鬱を淡く薄めてくれるような、そんなことだと思います。

その本には、「ノー」と言ってみる大切さについて書かれていました。

自分を卑下せず、役割を持ってして、できないことや怒りを感じることについては、なるべく「ノー」を言っていこうというわけです。

アホな、そんな言えるもんならとっくに言うてるわと、私はゲンナリしてつい読み進めるのをやめてしまいました。「ノー」を言えないことが対人においても、自分の人生においても、相手の立場に対しても、悪影響を与えていることくらい100も承知しているわけです。

それを勇気を持ってとか簡単なことを言うなと。

読みながら嫌な気分になって、結局憂鬱は全く晴れることがないまま、何もかもがくだらなく見えてくる始末です。どうせシェアハウスで楽しい時間を過ごしたって、問題そのものは解決されることがない。世の中は苦しいことを誤魔化すために、楽しいことがあるのでしょうか。この世の娯楽の全ては、憂さ晴らしにしか過ぎず、内面に抱えている苦しみを受け止める器がいっぱいになる前に、どうにかして掬い取って捨てているのでしょうか。

私は誰にも愚痴を言ったことがありません。

ムカついてくるのです。愚痴を言わなければならない自分、弱みを見せなければならない自分、そんなものはあってはならないと感じてしまうのです。私の両親がそもそもそんな人たちで、想像力のかけらもないどうしようもない大人で、世の中でいけないと言われていることを忠実に守り、本当は自分が何を考えているのかも自覚できないままに、自分や他者の非を認められないのです。

だから親からは私の非も認められませんでした。唯一認められる瞬間は、「いずれ」できる大人になるための前段階、今回できないのはまあ仕方ないと言った、猶予を持たせるような許し方です。

言ってしまえば、大人になればそんな非のある人間になるなということになりましょうか。そんなニュアンスを含めた言い方で、私に哀れみを持って、嘆きを持って、我慢を押し殺して、言うのでした。

私は両親に対して、強い怒りを感じる時があります。

おそらく私が心療内科に言っていることだって、まさか予想もついていないでしょう。仕事に行けなくなって辛い思いをしていることだって、気づくわけがないでしょう。

私のことを狭い想像の範囲内でしか意識できない人たちだから、ちゃんと育ててやったって、本気で思っているに違いありません。このまま私が歩んでいく方向性を見せつけてやることによって、ざまあみろと言ってやりたいです。