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記即是感

日々の雑感を適当に

テレビ

2011年08月19日 | ひとりごと
テレビが断末魔の悲鳴を上げている。

長い緩やかなデフレによる不景気の末の世界的不況、ウェブの隆盛、談合組織連合体での衛生放送の割り振りによる分離弱体化、長年に渡る業界のギャラ高騰、企業やプロダクションその他の軋轢。

そういった様々な要素が一気にテレビというメディアに降り掛かった。結果として、新陳代謝もそこそこ、新たな芸人の発掘も適当、競争原理が働かない寡占状態はコンテンツの質をより低く導いた。それでも、ただ流れてくる映像と音声を阿呆のように見ている視聴者は、他に見聞きする物が無いから放っておいてもテレビを見るだろうと、そうテレビに関わる人々は高を括っていた。

ところがウェブという新たな視聴に多少の自発性を要求するメディアが、ロングテールと呼ばれる事もある凄まじい裾野の広がりを持って台頭し始め、急激な予算削減および特定の大手プロダクション優遇により全く面白くも何ともなくなったテレビ番組の品質低下と相まって、テレビを見ない人が若い世代を中心にあっという間に急増した。

それにしても、現在のテレビ番組は酷い有様だ。

夜の8時と言った時間帯ですら、子供向けのバトルカードのCMが放映されたり、安手の通販CMが流れることが良くある始末。こんな有様はこれまでちょっと考えられなかったが、もう完全にゴールデンタイムと言われる時間帯の前後ですら、まともなCMがついていないことが度々あるようになってきた。

また、デジタルにしたのは良いが、それに対する入念な対策をせずに機材も全て一気にデジタルにしてしまったためか、現行のデジタル機器の特性である皺などの弱い線をくっきりと映し出してしまうという罠にしっかりとはまってしまい、ドーランやBBクリームを塗りたくった芸能人の顔が如何にもそれと分かってしまうような画面が一気に増えて、情けないことになってしまっている。

景気が悪いことも重なり、予算削減で、芸のないコネだけの安い芸人ばかりを無駄に沢山使う番組が溢れ、番組のクオリティを上げる事よりも必要の無い演出を強要することが仕事だと勘違いしている能無しプロデューサーの手腕により、点けておいても良いかなと思える番組があっという間に無くなってしまった。

そして、東電の原発事故によりもたらされた、政府と東電とマスコミによる無節操な節電の強要と、エアコンよりもテレビの方がずっと電気を食うという事実の拡散が、さらに追い討ちをかけてしまった。

まだ、今の所は、テレビにべったりと寄り添ってきた、未だにそれ以外のメディアをよく知らない、ケータイのブラウザすらきちんといじることの出来ない人々が、テレビの視聴率を支えているため、当分は安泰だろう。

だが、それもせいぜい、あと10年から15年程度。団塊の世代が鬼籍に入り始めた。

この急速な高齢化の中にあって、40歳以下の世代はもう確実にウェブが日常生活の一部であり、いくつかのSNSを適当にいじりながら、新聞はウェブでチェックし、テレビ番組はごく一部の気に入っものだけを録画して見るという、そういったライフスタイルを取る世代となってしまった。そういった世代へと一気に時代は切り替わっていく。

また、iPadのような使いやすい端末の出現もあり、40歳から60歳くらいまでの、面倒な機械を苦手とする人々も、徐々にウェブを覗くようになり始めている。

時代遅れで既に陳腐化している動画規格を採用した上、難視聴世帯がそれなりに発生し、ウェブとの連携も無く操作性も悪いという、そんなどうしようもない地デジのために阿呆みたいな金額の税金を湯水のごとく流し込んだのは、一体何のためだったのだろうか。

政府が補助金を流し込んだ企業はダメになる。

国鉄しかり、日本電信電話公社しかり、全国の各電力会社しかり。

消費税のカラクリで大量輸出すれば楽に稼ぐ事が出来るようになった家電メーカーは軒並み駄目になり、評価の高かったメーカーのサポート体制は、もはやどこにもない。

政府の補助で地デジ化させたに等しい、電波利用量を碌に払っていない放送局も急速に駄目になった。

国の力で税金を流し込むと、その産業は駄目になる。

たぶん、いつの時代の、どこの国でも、同じ事なのだろう。

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