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Carpe diem

最近は、とある欧州の島での多国籍な日々。

旅の仲間感想-ボロミア

2002年01月09日 | ロード・オブ・ザ・リングス
ボロミアとアラゴルンとの関係が丁寧に描かれていることに関しては映画を始めてみた時にも凄く印象に残りましたが、ボロミア自身は何度か見ていくうちにより一層心に残りました。十数年前にはじめて小説を読んだ時には好きではなかったのに、何度か読み返すうちにだんだん共感するものを覚えていったのと似ているかもしれません。

彼はゴンドールの執政デネソールの嫡男です。真紅の生地に金糸で刺繍が施されているさりげなく豪華な衣装を着て、いかにも騎士らしく完全武装をし、その身分の高さを表しています。あえて、無冠の王のアラゴルンと対照的なわけですね。さらに原作の彼は、"His fair and pleasant face"(美しい、感じの良い顔)で、これも"look foul and feel fair"(見た目は悪く、感じは良い)というアラゴルンと対照的にしているようです。(別にボロミアがfeel foulといっているわけではありません。一見して二人が対照的だといいたいわけです。)

結局彼は、指輪の魔力の恐ろしさを知らないので、単純に"The weapon of enemy, it's a gift."と喜びます。アラゴルンや、ガンダルフにそれを使うことはできないと言われますが、本当には納得していない。その辺、世俗的な世界からきた人だなと思わせます。
ゴンドールは、長いこと王が不在で執政が代わりに統治してきていて、ボロミアは世継ぎなので、将来権力の座に就くはずだった。ましてやこのゴンドールの存亡の危機にあって自分や父やファラミアが、国を守ってきたのだから、ただ正統な王家の血を引いているというだけでアラゴルンに従うことはできないと反発します。それで、「ゴンドールに王はいない、必要ない」と言うわけです。その前の晩にも、ナルシル"折れたる剣"に対する憧れと反発を見せていました。(落としたものは拾いましょう)このあたり、原作よりも自然な人間の感情の動きだと思います。原作は、やはり神話・伝承のようなお話なので「正統な血筋に潜む力」に対して、人々が無条件で従うようなところがあります。

ファラミアが語るボロミアについての挿話で (以下「二つの塔」ネタばれ)「彼は執政が王になれないことを不満に思っていた」というくだりがあります。また、ゴンドールの勝利に伴う自分の誉れを求めていたとも。実際「旅の仲間」の中でも彼が個人の名誉に拘泥している様が伺えますが、映画での彼はそうではなく、自分の民を心から大事にしているというのが伝わってきました。それが動機であるが故に、彼が指輪に惑わされるのが一層切ないのでしょう。

カラズラム越えのときのボロミアが指輪を手に取った時、アラゴルンはマントの下で剣の柄に手をかけ、ボロミアに対して心を許していないことをうかがわせ、指輪をフロドに返せといわれたボロミアの「As you wish」(お気に召すままに)という台詞もアラゴルンに対する嫌味でしょう。モリアでガンダルフが奈落へと落ち、一行が悲嘆に暮れている中で、アラゴルンがリーダーシップを取った時に、アラゴルンに対する態度が変わります。親友を失った悲しみを乗り越えて、彼の遺志を継いで自分の責務を果たそうとする彼に王の資質を認めたのだと思います。その為、ロスロリエンで誇り高い彼が、自身の内面を吐露し、「For the Lords of Gondor have returned. 」と話を結びます。ここでボロミアはアラゴルンと自分とを同列に並べて指して、ゴンドールの支配者、救い手と認めたわけです。

そして最期、自分は指輪の魔力に抗し切れなかったのに、アラゴルンがフロドを旅立たせたと聞いて、彼が自分にはできなかったことを成し得たと知り、かつゴンドールへと戻る意志を積極的には見せなかったアラゴルンが"Our People"と言うのを聞いて初めてMy kingと呼びます。この、「我らの民」と血の気の失せた顔で、少し微笑みながら繰り返すシーンは本当に哀しかった。
原作ではこのボロミアの心の流れが描かれているわけではないので、こういったやり取りはありませんが彼の最期の言葉「I am sorry, I have paid」(すまなかった、だが償いはした)も、酷く簡潔で、でも潔くて切なくて好きです。でも原作では結局"My People"なんですが。それに映画ではアラゴルンの"Son of Gondor"と言うのも、ボロミアがいかにゴンドールを愛していたか知っていたのだなと思わせてよかったです。

誇り高く、野心家な性格の彼は、指輪の誘惑に弱く、ある意味人間という種族の象徴でもあると思います。確かショーン・ビーン氏も何処かで「"Representation of Human"(人間の表象)として演じた」と言っていたと思います。(これ、記憶が曖昧なので違う人かも)でも、決して悪い人間として描かれているわけではなく、高潔で危険にも怯まず、常に弱いもの(ホビット達)を庇う人でもありました。また、ショーン・ビーンはボロミアのことをこう言っています。「高貴で英雄的なボロミアにはだが、一つ致命的な欠点がある-"Being human"」・・・格好いい。

和気藹々とホビットに剣の稽古をつけていた時の爽やかな笑顔、モリアでは従兄弟バーリンの死を嘆くギムリの肩にさりげなく手を乗せ、その後ホビット達に落ち着くための時間を与えてくれと頼む場面で、ボロミアの普通の人としての優しさがよく出ていました。ピピンやメリーが懐いてた事が、彼が悪い人じゃないっていう証明ですよね。
「ボロミアは嘘吐きじゃない」←ボロミア向上委員会会員心得遂行中(c; たけうちさま)

他の人の感想映画と原作を比較して、映画のボロミアを悪く言っているのは聞いたことありません。当り前かな。
(ということは、あんまり字幕の影響は受けてないのだろうか?)

「映画見た後に小説読んでたら、なおさらボロミアが可哀想になってきた。 ああいう行動をとっちゃうのも、人間として分かるよね。」(映画後原作読書中・・・いくこむし)
「本を読んだときには憎まれ役度合いの高かったボロミアも、「後悔」の念が強く出ていた。」(原作既読)
「フロドを襲った後に我に返ったボロミアの表情が凄く印象に残ってる、上手いと思った。」(英国在住日本人・原作既読・・・msc)
でも、剣の稽古つけてたときの笑顔は忘れちゃったんだね・・・。

「ボロミアは段違いで良いと思う。これが映画版の最大の魅力でしょう。」(原作既読)

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