『佐久バルーンフェスティバル』へ行って来ました。
フェスティバルは3、4、5日の3日間で行われましたが、今回は天候に悩まされたようです。
競技は6:30~と15:00~の2回行われますが、私たちの行った最終日は午前中のみのため、家を2:30に出発。
数時間前に「エアポートフェスティバル」から帰宅したばかりなので、眠い・・・
6時前に佐久平スマートICに着いたものの、同行者が相当眠そうだったので、仮眠を取ることに。
スタート時間間際になったので、会場へ向かったところ、途中の道路からバルーンが上がり始めているのが見えました。
あらら、やばいじゃん。6:30スタートって、ホントに競技スタートの時間なのね。
会場に向かう間にも、どんどん舞い上がり、着いた頃にはほとんど競技は終了。
バルーンの競技はわかりにくそうなので、一斉に舞い上がる様子を見たかったのですが、残念・・・
風の少ない早朝と午後に競技を行うようですが、この日早朝からかなり風が強く、早々に競技を終えさせたようです。
しばらくウロウロしていると、新しいバルーンを係留しだしました。
おまけに、長蛇の列が。どうやら体験搭乗ができるようです。
せっかくなので並ぶことにしました。
風が強い為、スタッフ総がかりで押さえていますが、バルーンは右に左に振られ、乗降だけでもかなり時間がかかっていました。
何度も中断しながらうも受付は進み、私達の直前の人まで受付完了。
いよいよ私たちの番!!
・・・のはずなのに、突然「強風のため、体験搭乗はここで終了とさせていただきます」のアナウンスが。
え~、マジぃ~(泣)よりによって・・・
その後、再開されることもなく、バルーンは次々片付けられてしまいました。
駐車場に向かう間、2つのバルーンが最後の搭乗者を乗せようと頑張っていましたが、左右に振られるだけでなかなか揚がれないようでした。
こんなにも風が危険とは、真近でみてみないとわからないものですね。
3日間のフェスティバル中、体験搭乗ができたのは、今日だけだったそうです。搭乗できた人はラッキーですね。
早朝のイベントのため、結構な時間並んだものの、まだまだ朝。
せっかくなので、『海野宿』へ向かいました。
海野宿は中山道と北陸道を結ぶ街道だった北国街道の宿場町で、佐渡の金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代、善光寺への参詣客などで賑わったようです。
道の中央を流れる用水と、その両側に並ぶ格子戸の美しい家並みです。
また、明治以降は養蚕の村となったようで、江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物が見られます。
「うだつがあがらぬ」の語源にもなった「卯建」。
防火壁の役割を果たす江戸時代の「本うだつ」と、明治時代の装飾の「袖うだつ」。
長短2本ずつ交互に組み込まれている「海野格子」と呼ばれる二階の出格子。
一階より二階の方が貼り出して造られた江戸時代の「出桁造り」の旅籠屋造り。
明治時代の蚕室造りの象徴である「気抜き」。 これは蚕の飼育の際に暖をとるために焚いた火の煙を抜くためのものです。
旅籠屋の広い部屋を養蚕に使用したため、江戸と明治の時代の特色が見られる面白い街並みです。
手の込んだ屋根の装飾
海野宿の産土神である白鳥神社。
中央にあるけやきの木は樹齢七百年超。
それにしても、この通り、車の往来が結構あります。
昔からの通りをそのまま使っているのでしょうが、ちょっと落ち着かない。
さて、まだまだお昼。
草津温泉まで行ってみることにしました。
フェスティバルは3、4、5日の3日間で行われましたが、今回は天候に悩まされたようです。
競技は6:30~と15:00~の2回行われますが、私たちの行った最終日は午前中のみのため、家を2:30に出発。
数時間前に「エアポートフェスティバル」から帰宅したばかりなので、眠い・・・
6時前に佐久平スマートICに着いたものの、同行者が相当眠そうだったので、仮眠を取ることに。
スタート時間間際になったので、会場へ向かったところ、途中の道路からバルーンが上がり始めているのが見えました。
あらら、やばいじゃん。6:30スタートって、ホントに競技スタートの時間なのね。
会場に向かう間にも、どんどん舞い上がり、着いた頃にはほとんど競技は終了。
バルーンの競技はわかりにくそうなので、一斉に舞い上がる様子を見たかったのですが、残念・・・
風の少ない早朝と午後に競技を行うようですが、この日早朝からかなり風が強く、早々に競技を終えさせたようです。
しばらくウロウロしていると、新しいバルーンを係留しだしました。
おまけに、長蛇の列が。どうやら体験搭乗ができるようです。
せっかくなので並ぶことにしました。
風が強い為、スタッフ総がかりで押さえていますが、バルーンは右に左に振られ、乗降だけでもかなり時間がかかっていました。
何度も中断しながらうも受付は進み、私達の直前の人まで受付完了。
いよいよ私たちの番!!
・・・のはずなのに、突然「強風のため、体験搭乗はここで終了とさせていただきます」のアナウンスが。
え~、マジぃ~(泣)よりによって・・・
その後、再開されることもなく、バルーンは次々片付けられてしまいました。
駐車場に向かう間、2つのバルーンが最後の搭乗者を乗せようと頑張っていましたが、左右に振られるだけでなかなか揚がれないようでした。
こんなにも風が危険とは、真近でみてみないとわからないものですね。
3日間のフェスティバル中、体験搭乗ができたのは、今日だけだったそうです。搭乗できた人はラッキーですね。
早朝のイベントのため、結構な時間並んだものの、まだまだ朝。
せっかくなので、『海野宿』へ向かいました。
海野宿は中山道と北陸道を結ぶ街道だった北国街道の宿場町で、佐渡の金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代、善光寺への参詣客などで賑わったようです。
道の中央を流れる用水と、その両側に並ぶ格子戸の美しい家並みです。
また、明治以降は養蚕の村となったようで、江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物が見られます。
「うだつがあがらぬ」の語源にもなった「卯建」。
防火壁の役割を果たす江戸時代の「本うだつ」と、明治時代の装飾の「袖うだつ」。
長短2本ずつ交互に組み込まれている「海野格子」と呼ばれる二階の出格子。
一階より二階の方が貼り出して造られた江戸時代の「出桁造り」の旅籠屋造り。
明治時代の蚕室造りの象徴である「気抜き」。 これは蚕の飼育の際に暖をとるために焚いた火の煙を抜くためのものです。
旅籠屋の広い部屋を養蚕に使用したため、江戸と明治の時代の特色が見られる面白い街並みです。
手の込んだ屋根の装飾
海野宿の産土神である白鳥神社。
中央にあるけやきの木は樹齢七百年超。
それにしても、この通り、車の往来が結構あります。
昔からの通りをそのまま使っているのでしょうが、ちょっと落ち着かない。
さて、まだまだお昼。
草津温泉まで行ってみることにしました。