ぷれしおさのフラメンコ日記

水野直子の東京フラメンコブログ。
フラメンコ教室、コンパスとバイレ、日々の自分。

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また1年以上放置してしまった

2020-11-16 16:20:57 | フラメンコ
その後世界はコロナ禍で混乱し、それにも慣れ、新しい日常が始まっています。
感染対策されたライブに出たり、昔の先生に頼んで稽古をつけてもらったり。

マスクも不織布だのスポーツメーカーのだのといろいろ使い分けて。

更新していないブログですが、アクセスしてくださってありがとうございます。


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テスト

2019-11-11 12:59:50 | Weblog
新しいアプリにしたのでちょっとテスト
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なかなか

2018-03-23 22:04:12 | スペインの日々
3月23日金曜日 曇り時々雨 12度

マドリーに来てトラブルが全くないことはかつてなかったし、今回もあった。まだあと2週間あまりあるので、恐らくまだあるだろう。。

ピソはそれなりに慣れてきたとはいえ、コンパルティール(フラットシェア)をするのが久しぶり過ぎて、やっぱり年齢的にもう無理なんだな、と思い知らされる。

疲れも出てきたし、ちょっと術痕が気になって(多分ストレスのせいであって、傷そのものに問題はないと思う)、レッスンよりマドリードを楽しむことを優先。


この聖フランシスコバジリカは、私がマドリード観光で一番おすすめしている教会。値上がりして5€になってた。。ので、チケット販売の人のおすすめに従って、前回パスしたガイドの説明を全部聞くことに。これが正解!絵や彫刻の説明、バシリカの歴史などとてもわかりやすかった。自由に見て回るだけの場合入れない香部屋にも入ることができて、5€払う価値あるなーと妙に納得。

もうひとつ、NHKの旅番組で紹介されて、ずっと行ってみたかった聖アントニオ教会。

こちらも拝観料が必要な教会だったけど、壁から天井までびっしりのフレスコ画が素晴らしかった。

寒さがなかなか終わらないマドリード、こちら在住の方が鍋パに誘って下さいました。

アルカラ大学留学中の女の子たち作の生春巻きやたこわさ、カルパッチョから始まり、メインはキノコと青梗菜、鶏もも肉と鴨肉たっぷりのお鍋、

締めはなんと鯛ごはん!

この日もやっぱりトラブルがあったけれど、美味しいご飯でチャラ、かな?



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今日はどうする?

2018-03-15 23:25:32 | スペインの日々
3月13日 火曜日 曇り 11度

寒い。。雨でも寒い日のなかったヘレスから来ると余計に寒く感じるマドリード。かと言って出かけないのも寂しいし、家になんとなく居づらいのもあり、しっかり着込んで外出。

前回のマドリーと一番違うことは、地下鉄・バスの回数券が使い切りでなく、チャージ式のカードになったこと。ぼんやり観光なので歩けばいいのだけれど、なんだかマドリーが嬉しくて歩きすぎなのか、ヘレスの疲れが出ているのか、膝が痛くなってしまった(笑)。

なんとなくアトーチャ駅へ。アトーチャ駅はもう私のマドリー定番スポットだ。ただの駅なんだけど。そこで軽く食べて、前回行きそびれていた、アトーチャの聖母教会へ行く。

開くまでに少し時間があったので、周辺をうろうろし(足はとっくに疲れている)、時間になって門が開いたので入ってみると、聖堂は閉まったまま。私と同じような観光客が何人か閉まっている様子を見て、引き返した人もいたけれど、せっかく来たのに〜と諦めきれず外観を撮ったりしているうちに入り口が開いた!

しかしなかは真っ暗で、祭壇の様子はほとんど見えないが、ステンドグラスはとても美しかった。晴れた日に出直すか?

デパートを冷やかして帰宅。
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テスト

2018-03-14 22:47:05 | 日常
テスト
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ついつい歩き過ぎる

2018-03-13 10:53:07 | スペインの日々
3月12日 月曜日 18度の町から13度の街へ

ヘレスは雨上がりで晴れ、なんだか蒸している。午後すぐのフライトまで余裕があるので、荷物を片付け掃除していると、家主のパキが愛犬の散歩に出かけるところだった。ベッドメイキングも我ながら完璧、掃除も「来た時よりも美しく」だ。それを見て、キッチン周りとかもう全部片付けてあったから出ちゃったと思ったわ、と言われたけれど、ここはちゃんとお礼とお別れを告げて、残っていたゴミだけを頼み、その場でお別れとした。

バックパックを背負い、重たいスーツケースを転がして石畳の道を駅まで歩いていくのはなかなか大変だったが、のんびり朝の町を歩くのもそんなに悪い感じではない。何より、晴れているから。
ヘレス空港は小さな空港で、使われる機材も小さい。23キロまでの預け荷物ひとつ、というチケットを買っていたが、無料でいいのでバックパックも預けてくださいと言われ、ショルダーバッグだけで乗り込んだ。合わせて30キロを超える。。
搭乗口で待っていると、(そんな積み方でいいの?)というカートが向こうの方に見えた。そこに私のスーツケースとバックパックが見え、確実に搭乗機に積み込まれて行くのを見届ける。ロストバゲッジの経験値はないけれど、荷物もちゃんと私と同じ飛行機に乗るところをこの目で見て、ここまで順調であることを知る。

そしてまたマドリードに戻ってきた。
心配していたピソの部屋は、ウォークインクローゼットのように狭くて身動きも自由に取れないくらいだが、それは分かっていたし、バタをスーツケースから出さなければ大した荷物ではないので問題はない。wifiもすぐに繋がった。

荷物をばらして街に出た。ヘレスからマドリーに来ると大都会に見え、夕方の人通りの多さと慣れている道に安心する。

ヘレスで7年振りに再会していた人に、マドリーのシェリー酒のお店を教えてほしいと頼まれていたので、ラ・ベネンシアという有名なシェリー酒バルに行き、フィノやらマンサニージャを飲んだ。マドリーのベタなところに行きましょうか、と、マドリードを訪れて誰もが必ず行くという有名なマッシュルームのバルとスパニッシュオムレツのバルをハシゴして、名残惜しく解散。またヘレスで会える、かもしれない。



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一人きりのヘレス

2018-03-13 10:47:12 | スペインの日々
3月11日 日曜日 雨時々晴れ16度

明日は移動の日。バタ・デ・コーラや稽古着、衣類や生活雑貨をどんどんスーツケースに入れていく。起きた時空は明るかったが、いよいよ出かけようとするとまた雨が降り始めた。ヘレスに来た直後、稽古場と道を思い出すため多少街を見て回ったけれど、2011年(それ以前にもヘレスには2回来ているが、20年以上昔なので、見ていないと同じ)の滞在時には観光を全くをしなかったので、今回はあちこち訪れたいと思っていた。しかしかなりの降りっぷり。。

すこし雨を眺めていたが、空は明るいので思い切って外に出た。私の読み通り、少しずつ雨脚は弱まり、強い日がさし始めた。

ドミニコ会修道院跡地に着く頃、青い空が広がった。

ほんの20分前まで、突風と大雨だったので観光客はなく、ところどころにある説明のプレートもゆっくり読めた。回廊は見事に水浸しだが、建物の美しさに息を呑む。ホールのようなスペースで「シェリー酒事業で働く地元の女性たち」という写真展をやっていたので、ぶどう畑の手入れをする女性や、醸造所のラボで品質管理をしている女性などの写真を見る。

修道院跡地を出て、横にある現役の聖ドミニコ教会を再度見学。聖週間の御輿のマリア像が床に下ろされ、カメラマンがきて撮影をしていたので、その隙をついて私もここの「ロザリオの聖母」像を間近でスマホに収めた。


外は晴れ間が広がっていたので、その足でアルカサル、イスラム時代の城址の見学をする。オプションなしで5€。

1200年代半ばには、この地はキリスト教徒に奪還されていたので、遺構にはアラブ文化とキリスト教文化の両方を見ることが出来る。世界遺産のグラナダのアランブラのような大規模なお城ではなく、こじんまりとしているが、歴史博物館としてはまずまず。

キリスト教徒にとってオリーブは重要な作物で、19世紀まで使われていた圧搾機の復元があり、これがなかなか興味深かった。イスラム教徒からこの地を奪還したのち、この城はオリーブ油のための壺を焼く窯も設置され、オリーブの加工場として使われていたようだ。

とりあえずこの町で見たいと思っていた場所は全部見ることが出来たので、街歩きも気が済んだ頃、再び空は暗くなり、大粒の雨が落ちてきたので部屋に戻る。

昼食を済ませ、降ったり晴れたりの空を恨めしく眺めながらパッキングを進める。床をはき、モップをざっとかけ、連日世話になった物干しスタンドを片付けると、部屋が広くなった。

このまま出かけるのをやめるにはまだ日は高く、降らない時間もそこそこありそうなので再び部屋を出た。駅までゆっくり歩いて(明日はタクシーをちゃんと捕まえられるだろうかと探しながら)、駅構内のバルでコーヒーを頼んだ。

スペインにきてもう20日になるのに、まだカフェコンレチェ(スペイン式カフェオレ)を飲んでいなかった!1.4€

茹でるだけの味付けラビオリと生ハムのサラダを食べきり、一日をとても静かに過ごした。

夜マドリードの友人から電話があった。私は明日予定通りマドリーに行くけれど、本人は仕事の都合で今バルセロナだそうで、私の滞在中会えないかもしれない。なんだ、2年半ぶりの再会を楽しみにしてたのに。

そう言えば留学生時代、ほぼ毎日通って仲良くなっていた、バルで働くミュージシャンのお兄さん(当時、笑)が、ネットで私を見つけて連絡をくれていた。それがもう使っていないアドレスで、気がついたのがメールを受けて一年後の帰国直後、という恐ろしく残念なことがあった。次に行く時は絶対会おうと固く誓って、今回の渡西を決めた時約束していたのだけれど、何故か今ミュンヘン在住だと言う。10月に連絡した時は、うちに泊まりなよ、なんて言ってくれてたのに。でもイースター休暇で10日間だけマドリードに来るらしく、会える、かもしれない。昔の私を知る僅かな人、20年振りなのでなんとしても会いたい。

会いたい人には会っておく、それがその人に会う人生最後の日かもしれないから。SNSで世界のどこにいても簡単に繋がる時代になったけど、顔と顔を合わせることは大切にしたいと、私は考えている。



ネットもテレビも使えないので、つい日記が長くなる。
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ついに雨の中を走る

2018-03-11 00:29:39 | スペインの日々
3月10日 土曜日 朝から土砂降り 18度

時々突風や雷を伴う激しい雨。窓を開けると部屋の中にどんどん雨が入ってきて、水たまりができてしまった。

毎日降っても、強い時間を避けてクラスに行けていたが、最終日にしてこの滝のような雨の中を行くのか。

朝からお米を炊いてしっかり食べる。もう冷蔵庫をカラにしなくてはならない。残っている野菜を炒めて食べた。

なんだか明るくなってきて、そのまま雨が上がった!その隙に稽古場へ急ぐ。ただしどこも水浸し。何年経っても不便なところは治らない。直さない国。


青空の中のティオぺぺの風見鶏、、鶏じゃなくてなんという?がなんとか撮れた。この風見鶏が稽古場になっている醸造所から見える。毎日シェリー酒の香りをかぎながらのレッスンも最終日。


ピラールのクラスは本当に楽しかった。まず踊ること。毎日「踊って!」と言っていたことを忘れないようにしよう。今日は中途半端になっていたエスコビージャを片付けるように、少し続きをつけ、レマタールして終わらせた!

終わらせた、というのはまさしくその通りで、その最後の部分はなんとか時間に間に合わせた感じ。

そのため踊り込むことが出来ないまま終了となった。あとは、自分で、ね。

まだ雨は大丈夫そう、少しだけ散歩して、ピザとサラダ用のカット野菜を買ってくる。

バタ以外の稽古着を全て洗濯機にかけ、食事をして再び繋がったwifiであちこちに連絡を済ませ、最後のビジャマルタ劇場へ。忙しくてシエスタなし。

今夜はファルーコファミリーのカルペタの日。

舞台は普通にいいのだが、席が悪かった。すぐ後ろの人が始まってもずっと大きな声で話している。足や音が大きくなると、同じように声も大きくなる。。ちなみに、フランス語。

あまりに頭に来たのではっきり注意してしまった。刺されたら、どうしよう。でもこのために20何時間も、なんなら何十万もかけて、はるばる日本からフラメンコのためだけにやってきたのだ。カルペタなんて、ご当地のスターでも来日公演は難しいだろう。もう一生観られないかもしれない。。

カルペタもそうだけど、お母さん、ファルーカがとてもよかった。

とうとう終わってしまったな、と少し感傷的になって劇場を出る(後ろの人には刺されなかった!)と叩きつける雨!ついにこの中を歩く時が来た。頼りない傘を差し、小走りで帰宅。

靴は勿論服も髪の毛もびっしょり。引っ掛けられる場所には全て服やらタオルを干し、靴もぶら下げる。

何としても明日中に全て乾いてもらわなくてはならない。

そして今町はしんとしている。雨はまた上がり、星が瞬いている。明日の予報も雨。
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強く降るとwifiが切れる

2018-03-10 17:46:24 | スペインの日々
3月9日 金曜日 くもり時々雨

今日もまた雨。降り方は日本と違って断続的で、降っていないことも多い。

湿度が高く、スタジオはすぐに蒸し暑くなる。バタを履くので余計暑く感じ、汗っかきの私は顔からぽたぽた汗が落ちる(私だけかも)。

ロンデーニャは、サリーダとしてマラゲーニャのカンテソロが入り、そこを聞きながら袖から出てくる、という設定となった。決められた部分以外は同じようにやる必要はないと言うが、実際決まった動きが多くて自由に動ける部分はわずか。

エスコビージャが前日やったほんのさわりだけ、ジャマーダのような足だけ(4コンパス)で終わっているので最終日の明日はどうなるのだろうか。

くたくたに疲れて、早く終わって欲しいと思いつつ、まだ終わらないで欲しいという気持ちが交錯する。

夢の祭典が君をヘレスで待っている。歌って言うよ、オーレ、オーレ、重ねてオーレ

という、ヘレスフェスティバル公式のフレーズが頭の中をずっと流れている。毎晩の舞台の幕開けの度に流れ、その夢の世界に入っていく喜びや興奮で、頭が覚醒していくような高揚感があったが、もう終わりだと思うととても切なく聞こえる。

夜は小雨になったので、真っ直ぐ劇場に行かず遠回りをしよう、と思って家を出たが、開演15分前でレッスンの受講票(兼ビジャマルタ劇場の座席チケット)を忘れてきたことに気づく。

劇場の向こう側を歩いていたので、大急ぎで部屋に帰り、テーブル(もどき)に置きっぱなしにしていた受講票を掴んで小走りで劇場へ向かった。すでに9時5分。。

冷や汗だか、走ったからかいた汗だかを流しながら駆け込むと、
「El festival de tu sueño, ...」上に書いた開演のジングルが流れ、滑り込みセーフ(だと思う)。

しかし客電が落ちないまま。ふとステージを見るとバスローブにしか見えない衣装の人が座っていて、おもむろにアデステ(日本語では『来たれ友よ』という歌)というクリスマスの曲をパイプオルガンの音で弾き始めた(シンセサイザー)。舞台上には白い小ぶりのクリスマスツリーがある。

え?
アデステは繰り返され、落ちない客電にソワソワしていると、脇の通路にキリスト風コスプレにしか見えない人が、客に愛嬌を振りまきながらステージに向かっている。

え??

キリスト風コスプレの人はギタリストだった。。

イサベル・バジョンの今回の作品はちょっと面白い感じ、とは聞いていたけれど、調子の狂った音だったり演出だったり、コミカルでちょっとしたお芝居のようなステージ進行だった。

そのまま摩訶不思議な舞台は進み、時々ギャグがあったり、舞踊団員の不思議な動き(踊り、というかな)に笑ったり、可笑しな舞台は最後までそんな感じだった。

なんだかよく分からないけれど、にやにやが止まらないというか。そのまま帰宅。

ロシオ・モリーナにせよイサベル・バジョンにせよ、フラメンコ舞踊の舞台とは恐らく言えないだろうけど、でも確かにフラメンコの懐の深さを感じる。懐の深さ、という言葉ではちょっと表現できない、、なにか、かな。

フラメンコが大好きな人も、全く見たこともない人も、このフェスティバルの一連の公演を見ると「フラメンコとは一体何?」と思うに違いない。

明日はとうとう最終日。

wifiはまた繋がらなくなっている。
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尻尾が取れたらミニファルダ

2018-03-08 23:43:00 | スペインの日々
3月8日 木曜日 くもり時々雨 17度

天気がやっぱり悪い。だいたいセマナサンタ(聖週間)が終わる頃本当の春になると言うのは本当らしく、なかなかスペイン晴れに会わない。

でも湿度が高いというのは日本人の喉やお肌には優しくて、実は楽?

朝は遅く起きて、朝昼兼用の食事をする。レンテハス・リオハナ(リオハ風レンズ豆の煮込み)という、私が最も好きなスペイン料理を買ってきておいたのでそれを温め、レタスやキノコを入れて食べる。

スペイン料理で一番好きなのは何?と時々聞かれるが、日本でレンテハスと答えても、微妙な反応しかないので無難にパエリアと答える。お米はニッポンの白ご飯が一番。スペイン料理で有名なのってパエリアとアヒージョ、スパニッシュオムレツくらいでしょ?レンテハスなんて知ってる人、いないよね。ましてスペイン北部の料理だし。


しかしながらレンズ豆はスペインを代表する伝統的な食べ物だ。ドン・キホーテの時代にはもう一般に食べられていた。栄養価が高く、主食にもなる。

当たり前だが、しっかり食べるとレッスンもはかどる。ピラールのクラスは2時間半ノンストップで、彼女がギターと合わせている隙や、グループ分けして自分が踊らない時にしか、水分補給するひまがないくらいみっちりだ。

例によって少し早めに稽古場へ行ってバタを広げると、太ももあたりの糸が外れていて、大きな穴になっている。昨日裂ける音が鳴った時、裾のフリルを踏み抜いたかと見てはいたが、そんなに上が外れたとは思いもよらず、そのままレッスンに来てしまった。フリル同士を2箇所くらい結んで応急処置とし、なんとか1日持ってくれ、と祈った。

さて、初日からずっと最前列にいるので、ピラールの目に付きやすい位置取りをしている。名前もなんとなく覚えてもらえたようで、適当に流している振りの部分や、バタ捌きを名指しで細かく指摘された。

重くて丸い(長さは普通だが幅が広い)バタを履いているので、つい蹴りあげてしまうが、ピラールのこの振り付けは、バタを地面を滑らせている時間が長く、空中にある時間は短いことが多い。なのでアチチュードで大きく蹴ることばかりしてきた私にとって、股関節を回転させずにバタを蹴る、つまりただ足を骨盤に対して真っ直ぐ前に出したり、引いたりする振り付けはなんだかとても新しいような気がした。

今日は歌をやると言っていたけれど、短いエスコビージャをやった。ロンデーニャで合わせると頭が??になるので、こっそりブレリアでカウントをする。とにかくまずは振りを覚えることが先決。

レッスンのあと、いつものオランダ人女性2人に捕まったので、私のスマホも渡して動画を撮ってもらう。他にも何人も頼まれたので、奈良のK先生にやってもらって、私はパルマで説明するとか、ちょっとした撮影会になった。スタッフに注意はされなかったけど、あんまり、よくないかも、しれない。。

昨日断ったので今日は、と思っていたけれど、バタが壊れているのでエスコビージャだけで勘弁してもらった。

帰宅してまずはバタの修理。バタはがっちり縫わないと、その重さでまた糸が切れて外れてしまうので、太い糸で強めに縫い付けた。裾のフリルの補修材料は持ってきたけれど、糸は白と黒しか持ってきておらず、仕方がないので黒い糸で縫った。まあ、帰国して修理に出す時、どこが外れたかすぐ分かるので黒でもよかろう。

バタの裾が取れたら、普通のスカートになってしまう。

そういや昔、マヌエラ・カラスコの舞台を観ていたら、曲の途中でバタを外して、膝丈のスカートになった。ファスナーで外せるバタ・デ・コーラだった。私ももうちょっとでそうなるところだった。。

バタを直し、夕食を食べ、また外に出た。ビジャマルタ劇場のすぐ脇で、セビージャからの衣装屋が期間限定ショップを開いていて、少しのぞいてみた。私は本当に買い物が下手で、たくさんお店を見ても、何にも買えずに帰ることが多い。普段着すらそうだ。そんな私がとても珍しく衝動買いのように買った練習用スカート110ユーロ。私の稽古着にしては高い方。かなり可愛いので、マドリード式に地味(マドリーでは全身黒の人が多い)な稽古着しか着ない私には、ちょっと珍しいかもしれない(笑)。それでも黒白だけど。

マヌエル・リニャン振り付けの曲がいくつもあって、彼のプロデュース振りや人気の高さが伺える。男性一人の舞台だったけれど、音楽の使い方や照明、舞台設営(椅子くらいだけど)がとてもよくて、ミュージックビデオのような構成というのもあり、とても楽しかった。ギター2人、歌が3人もいて、歌を重ねたりコーラスに厚みがあったりと、踊りももちろんよかったが、音楽陣が豪勢で聴きごたえがあった。

帰り道は舞台の余韻で毎晩にやにやしていて、夢の国にいるようなとても幸せな気分だ。

踊る阿呆に見る阿呆。阿波踊りにこんな決まり文句があるが、両方が一番に決まってるよね。

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