世の終わりのキリスト全能神

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[東方閃電]全能神教会|全能神御言葉|イスラエルの民のように神に仕える

2018-03-14 10:56:26 | 全能神御言葉

東方閃電]全能神教会|全能神御言葉|イスラエルの民のように神に仕える

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全能神は言われた。
   当時、イスラエルの人々は直接神殿でヤーウェに仕えていた。彼らの身分は祭司だった。(もちろん全員が祭司だったのではないが。神殿でヤーウェに仕えていた何人かだけが、祭司の身分だった。)彼らはヤーウェが授けた冠を身に着けていた(これはヤーウェの要求に従って冠を作っていたのであって、ヤーウェが直接彼らに冠を授けたのではない。)ヤーウェが授けた祭司の衣を身にまとって裸足で神殿に入り、朝から晩までヤーウェに直接奉仕していた。ヤーウェへの奉仕は、決して無計画なものではなく、自分の意思で背けるものでもなかった。全て規則に従っており、直接ヤーウェに仕えていた者は、誰もこの規則に違反できなかった。どの祭司もこれらの規則を遵守しなければ、神殿に入ることが許されなかった。神殿の規則を破る者、つまりヤーウェの命令に背く者は、ヤーウェが定めた法に従って裁かれなくてはならなかった。誰も反論することを許されず、違反者を守ることも許されなかった。神に何年仕えていようとも、全員この規則を遵守しなければならなかった。だからこそ、非常に多くの祭司が全員祭司の衣をまとい、このように1年中ヤーウェに仕えていた。ヤーウェが彼らを特別扱いすることはなく、祭司は一生、祭壇の前や神殿に行き、仕えた。これが彼らの忠誠心であり、服従であった。ヤーウェがこのように彼らを祝福したのは不思議ではない。全て忠誠心ゆえに彼らは神の好意を得て、ヤーウェの偉業の全てを見たのだ。ヤーウェが自身の選んだイスラエルの民の間で働きを行った当時、民に対する神の要求は非常に厳しいものであった。彼らは全員非常に従順で、法で規制されていた。これがヤーウェへの崇拝を守るのに役立った。これらは全てヤーウェの行政命令だった。祭司の中でも、安息日を守らない者やヤーウェの戒律を破った者が一般人に見つかった場合、その者は直ちに祭壇の前に連れ出され、石打ちの刑に処せられた。このようにして、ヤーウェが定めた「規定に反した人々の祭壇」の前で生贄とされた。そして彼らの遺体は、神殿や神殿の周囲に置くことを許されなかった。ヤーウェがそれを許可しなかったのだ。そのようなことをする者がいたならば、「規定に反したいけにえ」を捧げた者と同じ扱いを受け、大穴に投げ込まれて死刑に処された。もちろん、このような者は全員命を失い、生き残る者はひとりとしていなかった。中には「規定に反した火」を捧げた者さえいた。つまり、ヤーウェが指定した日に生贄を捧げなかった人々は、生贄の品物と共に、ヤーウェの炎で焼かれたのだ。生贄の品物を祭壇に残すことも許されなかった。以下は祭司に課される要件である。足を洗わずには神殿にも神殿の外庭にも入ってはならない。祭司の衣をまとわずに神殿に入ってはならない。祭司の冠を身につけずに神殿に入ってはならない。死体で穢れた体で神殿に入ってはならない。よこしまな者に触れた後、自分の手を洗わずに神殿に入ってはならない。女性と性的関係を持った場合、神殿に入ってはならず(永続的ではなく禁止期間は3カ月)、ヤーウェの顔を見てはならない。禁止期間後、つまり3か月経ってやっと清潔な祭司の衣を身にまとうことが許可され、まず7日間外庭で仕え、その後、神殿に入ってヤーウェの顔を見ることが許可される。ヤーウェの神殿を汚さぬよう、祭司の衣服は全て神殿の中でだけ身に着け、神殿の外で着用してはならない。祭司は皆、ヤーウェの法に違反した犯罪人をヤーウェの祭壇の前に引き出し、そこで一般人が犯罪人を死刑に処していた。祭司が犯罪人を見ていながらそのように犯罪人に対して行わなかった場合、祭司には炎が下された。このように、ヤーウェに対する人々の忠誠心は揺るぎないものであった。なぜならヤーウェの法はあまりに厳しく、敢えてその行政命令を破ろうとするものはいなかったからだ。イスラエルの人々はヤーウェに忠誠心があった。なぜなら、彼らはヤーウェの炎やヤーウェが人々を懲らしめた手を見ていたうえ、もともとヤーウェを心から崇拝していたからだ。そのため、彼らが得たのはヤーウェの炎だけではなかった。ヤーウェから労りと保護、そして祝福も得ていた。彼らの忠誠心とは、自分が行動する際にヤーウェの言葉を遵守することであり、誰も背かなかったことである。誰かが背くと、人々はヤーウェの言葉を実践して、ヤーウェに背く者を死刑に処した。自由裁量の余地や隠ぺいはなかった。特に安息日に違反した者、乱交の罪に問われた者、そしてヤーウェへの捧げ物を盗んだ者は、更に厳しく罰せられた。安息日に違反した者については、彼ら自身(一般人)が石打ちの刑か鞭打ちで死刑にし、例外はなかった。淫らな行為を犯した者や、魅力的な女性に劣情を抱いた者であっても、悪女を見て劣情を催した者も、若い女性を見て欲情した者も、このような人間は皆死刑にされた。若い女が覆いやヴェールを身につけず、男性を違法行為に誘った場合、その女は死刑に処された。祭司(神殿で仕える者)がこのような法に違反した場合、十字架に磔か吊るし首になった。このような者で生き残った者はいない。ヤーウェの前では誰一人として特別扱いはなかった。このような者の親戚は、その者の死から3年間、祭壇にヤーウェへの捧げ物を捧げることが許されなかった。ヤーウェが一般人に授けた捧げ物を分かち合うことも許されなかった。禁止期間が過ぎて初めて、最高クラスの牛か羊をヤーウェの祭壇に捧げることができた。他の逸脱行為については、ヤーウェの前で3日間断食して、神の恵みを懇願した。彼らがヤーウェを崇拝したのは、ヤーウェの法が重く厳格であったからだけではない。むしろそれはヤーウェの恵み故であり、また彼らにヤーウェへの忠誠心もあったからである。このように今日まで彼らの奉仕には昔と同様に忠誠心があり、ヤーウェの前で懇願したことを撤回したことは一度もなかった。今日でも、イスラエルの民はヤーウェから労りと保護を受け、今日までずっと、イスラエルの民にとってヤーウェは恵みであり、常に共にいてくれる存在である。イスラエルの民は皆、ヤーウェを崇拝すべきであり、ヤーウェに使えるべきであることを知っている。労りと保護を受けるには、どのようにしなければならないのかも皆知っている。なぜなら皆心からヤーウェを崇拝しているからだ。あらゆる奉仕の成功の秘訣は、崇拝以外にない。では今日のあなたはどうか。あなたとイスラエルの民には何か似ている点があるだろうか。今日の奉仕とは霊的に偉大な人物に従うようなものだとあなたは思うか。あなたは忠誠心も崇拝心も持ち合わせていない。あなたは大きな恵みを受けており、それはイスラエルの祭司と同じである。なぜなら皆直接神に仕えているからだ。あなたは神殿に入ってはいないが、あなたが受け取り、あなたが見る物は、神殿でヤーウェに仕えた祭司が受け取るものより遥かに多い。それでもあなたは祭司以上に繰り返し反抗し、拒絶する。あなたの崇敬の念は少なすぎる。その結果、あなた方の受ける恩恵もごくわずかだ。あなたが捧げるものはごくわずかなのに、あなたはイスラエルの民より遥かに多くの物を受け取っている。これはあなたに対する寛大な対応ではないか。イスラエルで神の働きが行われていた時、自分の好きなようにヤーウェを判断しようなどと考える者はいなかった。それに比べてあなた方はどうだ。あなた方に対してわたしが行う働きが、あなた方を征服することでなかったならば、わたしの名を汚すあなた方の行為にわたしの堪忍袋はとっくに切れていただろう。あなた方の行動と言葉を鑑みると、あなた方が律法の時代に生きていたならば、一人も生き残っていなかっただろう。あなた方の崇敬の念はあまりに小さすぎる。わたしがあなた方にあまり恩恵を授けないとわたしを責め、祝福の言葉も不十分で、あなた方を呪うだけだとすら言う。そんなわずかな崇拝心でわたしの祝福を得るのは不可能だとわからないのか。あなた方の奉仕がお粗末なので、常にあなた方を呪い、裁きを下していることがわからないのか。あなた方は皆、自分が不当に扱われていると思うのか。反抗的で従わない人々の集団に、どうして祝福など授けられようか。どうしてわたしの名を乱す人々に、わたしの恩寵を気軽に授けることができようか。あなた方への対応は既に非常に寛大である。イスラエルの民が今日のあなた方のように反抗的であれば、わたしは遥か昔にイスラエルの民を全滅させていただろう。それなのに、わたしはあなた方に対してひたすら寛大に接している。これは優しさではないのか。これより更に大きな祝福がほしいのか。ヤーウェが祝福するのは、ヤーウェを崇拝する者だけだ。ヤーウェは自分に反抗する者を懲らしめ、誰であろうと絶対に許さない。奉仕の方法を知らない今日のあなた方は、根本から正されるために、刑罰と裁きが更に必要なのではないのか。このような刑罰と裁きが、あなた方にとって最善の祝福ではないのか。これがあなた方にとって最高の保護ではないのか。そうでなければ、あなた方のうち誰がヤーウェの燃え盛る炎に耐えることができるだろう。イスラエルの民のように忠誠心をもって真に仕えることができるのなら、常に傍らにいる者として恵みを受けるのではないか。喜びと十分な好意も、しばしば得るのではないのか。自分がどのように奉仕すべきなのか、皆分かっているのか。


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