世の終わりのキリスト全能神

終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられます。考察したい者は全能神教会にご連絡してください。

神の心に従うものは何か?

2019-02-12 19:32:54 | 信仰生活

 「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」(マタイによる福音書 7:21-23)

 「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイによる福音書 22:37-39)

 「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。…わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。(ヨハネによる福音書 14:23-24)

「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。…」(ヨハネによる福音書 8:31)

 「現時点では、聖霊が歩む道とは、神の現在の言葉である。したがって、その道を歩むには、人は受肉した神の現在の言葉に従い、それを食べて飲まなければならない。神は言葉の業を行っており、全てが神の言葉から語られ、あらゆることが神の言葉、すなわち神の現在の言葉により建て上げられている。それが、肉となった神について全く疑念がなくなることであれ、神を知ることであれ、人は神の言葉に多くの努力を注がなければならない。さもなければ、何一つ成し遂げることができず、その人には何も残らないだろう。神の言葉を食べ飲むことに基礎を置いて、神を知り、神を満足させることによってのみ、人は徐々に神との正しい関係を確立できる。神の言葉を食べて、飲み、実行に移すことは、神との最善の協力であり、神の選民のひとりとして証しするための最も優れた実践である。人が神の現在の言葉の本質を理解し、それに従うことができる時、その人は聖霊により導かれる道によって生活しており、神が人間を完全にする正しい道に入っているのだ。


今の教会問題

2019-02-03 14:49:31 | 信仰生活

 最近よく聞いているのは、教会では高齢化が進んでいる、若い人が少ない、信徒の信心が減っている。この問題について、私は多くの兄弟姉妹に聞きました。今日クリスチャンである友達からこの問題の解答をもらった、いいと思って、みんなに分かち合います。みんなに役に立てばいいと思います。

 聖書にこう書いてあります。「わたしはまた、刈入れまでなお三月あるのに雨をとどめて、あなたがたの上にくださず、この町には雨を降らし、かの町には雨を降らさず、この畑は雨をえ、かの畑は雨をえないで枯れた。 そこで二つ三つの町が一つの町によろめいて行って、水を飲んでも、飽くことができなかった。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。(アモス書4:7-8)主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。(アモス書8:11)今の信徒たちの信心が冷えて、伝道師の新しいメッセージもない、これは神の心意があり。ききんを宗教界に送った来たのは、宗教界の真に神を信じる、真理を愛する人を聖霊の働きがある教会を探させるためです。

 神様言われました。「他の場所での神の仕事は終わり、人々は真理の道を求めなければならなくなるだろう。それはヨセフのようだ。みな食べ物を求めて彼のもとを訪れ、頭を垂れた。彼は食べ物を持っていたためである。飢饉を避けるために、人々は真理の道を求めなければならない。宗教界全体が飢えており、今日の神のみが、人の喜びのために提供される、枯れることのない生ける水の泉であり、人々は彼のもとに来て彼を頼るだろう。」


祈りの方法の1

2019-02-02 17:15:17 | 信仰生活

  こんにちは。今日は寒いですね。皆さんも体を暖かくしてね。今日も神様から恵みがありますように、お祈りいたします。この前聖書勉強会で勉強した祈りの方法を皆さんとも分かち合いたいです。

祈りの方法の1

主イエスの言葉を理解するためにいつも神に祈らなければならず、また主イエスの言葉の実際の意義を探究し、理解しなければなりません。

ヨハネによる福音書第14章6-7節にこう書かれています。主イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」。主イエスは彼が道、真理、命だと言われました。わたしたちも主イエスがわたしたちの牧者、また暗やみの中で模索しているわたしたちのともし火、案内者だと信じています。主イエスはすでに彼の言葉を通してわたしたちに道を指し示し、また命をわたしたちに与えられました。今日主イエスにつき従うわたしたちは、主イエスの言葉を通して主イエスの言葉の真意をもっと多く理解すべきであり、また主イエスの言葉を理解するためにいつも祈りをささげて、神の導き、啓きを求めるべきです。


「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」

2018-09-15 12:06:07 | 信仰生活

 

今日仕事の時に間違いことをしましたが、店長に言われないように、嘘をつきました。心は凄く責められています。聖書にイエスは言いました。📖📖言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。(マタイによる福音書/ 18 03節)誠実な人は子供のように、無邪気で、単純である、嘘、欺くがなく、ずる賢いもなく、神様は私たちが誠実な人をなると願っている、そうすれば、よしと認め、神様の国に入れます。でも、現実生活な中に、利益を損失する時、どうすれば御言葉を実行し、誠実な人になりますか?家に帰ったら、私は御言葉を探す、誠実な人になる御言葉を見つけました、みんなに分かち合います。私は神様の希望の誠実な人になるように願います。

御言葉はこう書いてあります。「神は本質的に信実で、その言葉は常に信頼できる。さらに、神の業には誤りも疑問の余地もない。だから神は、自分に対して完全に正直な者を愛すのである。正直であるということは、神に心を捧げるということである──何事にも神を偽らないこと、あらゆることについて、神に率直であること、事実を隠そうとしないこと、上の者に対して偽りなく、下の者を惑わすことがないこと、そして、神に取り入る為だけに物事をするようなことが決してないこと。つまり、正直であるということは、言行において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということであるもしあなたが他人に言うことのできない秘密を多数抱え込んでいながら、光明を求めて自分の秘密──自分の中にあるやっかいな部分──を他人に打ち明けないでいるとしたら、あなたが救いを受けることは難しく、闇から抜け出すことも容易ではない。もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で奉仕する者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。」神に取り入る為だけに物事をするようなことが決してないこと。つまり、正直であるということは、言行において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということであるもしあなたが他人に言うことのできない秘密を多数抱え込んでいながら、光明を求めて自分の秘密──自分の中にあるやっかいな部分──を他人に打ち明けないでいるとしたら、あなたが救いを受けることは難しく、闇から抜け出すことも容易ではない。もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で奉仕する者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。」


富と名声の沼を歩いて渡る

2018-09-03 09:43:05 | 信仰生活

 

  私は騒がしい道を歩きながら行き来する人たちを見ていると、激しい感情に圧倒されました:「人生は短いのに、私たちは一体何のために生きているのかしら?私たちはいわゆる理想とキャリアを求めながら家族を食べさせるために走り回っているわ。喜びと悲しみを沢山経験した後、成功を収めた人や失敗に終わった人を含め、生きる意味を理解できた人はいるのでしょうか?」

 一度私も、素晴らしい人生を手にする夢を持ちながら、自分の理想を根気強く追い求め、富みと地位の間を行ったり来たりしていたことがありました。
思い返せば、悲嘆しか感じたことがありませんでした

 私は二十歳だった時に貧乏だった夫と結婚しました。結婚した後、私たちは大変な生活を送りましたが、私は夫が幸せにしてくれると信じていました。他の人たちから見下されないようにと、私たちは一生懸命に働き、いつの日か名声と富を手に入れてもっといい生活が送れることを思い浮かべていました。しかし、この苦労を通じて私が本当に得たものは苦難、辛さ、虚しさ、そして無力感のみでした。

 この物質主義社会で自分たちの地位を確立するため、私の夫と私はビジネスでかなり苦労しました。長期間続いた過労と不安が原因で、私は神経性の頭痛を患い、ほとんど睡眠がとれなくなってしまいました。しかし、私の根強い努力はついに報われました、私たちは30平方メートルの家を手にしたのです。しかし、この喜びと満足感は長続きしませんでした。それは他の人たちの家と比べると、我が家は小さ過ぎたからです。こうして、私たちは更に一生懸命働いて、後に広々として明るい家に引っ越しました。その時、私はとても満足で幸せでした、なぜなら私はやっと以前のように劣等感を感じることなく胸を張って歩けるようになったからです。私はやっと夢にまでみた生活を手にしたと思っていましたが、他の人たちが大きなマンションに住んでいたり、車を運転しているのを見ると、心の中で少し気が転倒し、そのような生活のみ意義があると思いました。自分たちの欲望を満たすため、私の夫と私はビジネスに打ち込みました。しかし、私は最終的に自分たちの所持品を全て失い、良くなり始めていた私たちの生活も降り出しに戻ってしまうとは予想もしていませんでした。人々の冷たい軽蔑のまなざしを見ていると、私は悲しくなりました。そして、私は自分にこう約束しました:「私は失敗には決して屈しないわ。私は人から尊敬されるようにより良い生活を求めて努力する必要があるのよ。」私は復活を遂げるため、積極的にビジネスチャンスを求めました。私たちは眠れない夜を多く過ごし、精神的にも、肉体的にも疲れ果てていました

 私がちょうど夢にまで見た生活を手にする間際まで来ていた時、良い時も悪い時も常に私と一緒にいてくれた夫が浮気をしたのです。この突然のショックは私の心を引き裂くものでした。私は父親に心配させたくなかったのでこのことは伝えず、兄が自分の夫を肉の成すがままに扱うことも心配になったので、このことは兄にも伝えませんでした。私はこれよりも自分の家庭内スキャンダルが人に知れたらそれが皆の間で噂になって自分の名が汚されることを心配しました。私はひどく落胆してしまい、生きていくのが嫌になりました。しかし、子供のことを考えた私は死ぬことを諦め、ただ単に憤慨と涙を静かにグッと抑えました。

 私は幾度に渡って空を見上げ、ため息まじりにこう嘆きました:どうして私はこんなに運が悪いのでしょう?どうして私は裕福であっても、貧乏であっても、苦しい思いをするのでしょう?そして、人々は何のために生きているのでしょう?

 神が表される真理が私の疑問に対する答えを明らかにされています。神はこう仰ります:「サタンは名声と利得により人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにする。人間は名声と利得のために努力し、名声と利得のために試練を乗り越え、名声と利得のために恥辱に耐え、持てる全ての物事を犠牲にし、名声と利得を獲得して維持するためにすべての判断と決断を下す。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかける。こうした足かせが人間の身体に付けられ、人間はそれを外す力も勇気も無い。したがって人間は、無意識のうちにこれらの足かせをかけられた状態で重度の困難の中を歩んでゆく。この名声と利得のために、人間は神から離れてゆき、神を裏切るようになる。人間は世代ごとに邪悪になり、陰鬱になるので、人間はこのようにして世代を追うごとにサタンの名声と利得により破壊されてゆく。」 (「唯一の神自身6」より)「人間は、この時点になって初めて、この世に現れた時、最初に理解すべきことは、人間がどこから来るのか、何故生きているのか、人間の運命を支配するのは誰か、人間の存在に施され、それを統治するのは誰であるかを知る。こうした物事が人生における真の財産であり、人間の生存に不可欠な基盤であって、自分の家族を養う方法や、富や名声を得る方法を知る事でも、人々よりも卓越した存在となる方法、一層豊かに生活する方法を知る事でもなく、ましてや他人を超越し、競争に勝つ術を覚えることなどでは無い。人間が生涯をかけて覚える生存のための様々な技能により、物質的な快楽を豊富に得ることが出来るものの、そうした技能は人間の精神に真の平和と慰みをもたらすことは決して無く、むしろ継続的に人間に道を踏み誤らせ、人生の意味を知る機会を全て失わせ…」(「唯一の神自身3」より)神の御言葉を読み、私は富と名声はサタンが私を縛りつけるために利用していた単なる拘束手段であり、私はこれらを手にしようと常に奔走していたことに気が付きました。私は人々に自分を高く評価させて、より多くの、そしてより大きな物質的快楽を手にするために全力を注ぎ、多くの犠牲を払っていたのです。私の夫と私は貧しかった頃、自分たちの運命を変えようとかなりの苦労を費やしました。私たちがやっとの思いで裕福になった時、私の夫はそれでも堕落していきました。多くの浮き沈みを経験した後、私はこう理解しました:物理的な富がもたらしてくれたのは一時的な満足感と幸せであり、心で感じる真の和みではなかったのです。私は物理的な安楽を手にした時ですら、依然として虚しさと無力さを感じ、沢山苦しい思いをしました。その理由はと言うと、それはサタンが毒を用いて私を操りながら私を堕落させて痛めつけていたからなのです。神は私たち人間を創造され、今までずっと私たちを御導きくださりました。世の終わりに、受肉された神は真理を表して私たちに新たないのちを与えるために来臨されました。私たちは真理を追い求め、そして神の御言葉を貫いてのみ、サタンによる妨害と束縛から抜け出して、私たちの生きる道を見つけることができるのです。その時、私は真理を追い求めて意義のあるいのちを貫くという極めて稀なチャンスを大切にすることを決意しました。

 神はこう仰っておられます:「正常な人、神への愛を求める人として、神の国に入り神の民の一人になることは、あなたがたの真の未来であり、最高の価値と意義を持つ生涯である。あなたがたより祝福されている人はいない。なぜわたしはこう言うのか。神を信じない人々は肉のために生き、サタンのために生きるが、今日あなたがたは神のために生き、神の心を実行するために生きるからである。あなたがたの生涯が最大の意味を持つとわたしが言うのはこのためである。神によって選ばれた人々のこの集まりだけが、最も意味のある生涯を生きることができる。地上の誰もそのような価値と意味のある生涯を生きることはできない。」(「神の最新の働きを知り、神の歩みに従う」より)3年間の苦労と失敗の末、私は自分の虚しさ、名声、そして富を欲する利己的な欲望を脇に置き、自分の運命を神の御手に委ね、これ以上それを自らの手で変えるということに大それた期待を沿えるのを止めることを学びました。そして、私はかつてない安堵を感じ、長年悩まされてきた病気も治療せずに完治したのです。さらに、神の御言葉の備えを受け、私は普通の人間性を貫き、寛容であり許す気持を持つべきであると理解し、それ故に私は自分の夫を許してあげました。私はまた、実生活において遭遇するものは神が用意してくださっているもので、私が自分の性質を変えて、神を知るための機会であることも知りました。私は神に頼りながら真理を実践する度に、穏やかな気持ちと平安を感じ、神のみが私たちのいのちの源であることに気が付きました。神は、私が普通の人間性を貫き、そして神の高潔さと温厚さを知ることができるようにしてくださっているのです。神への信仰において、私は真理の探求と実践を通じ、もはや虚しく感じることはなくなりました。なぜなら、私は真理を実践することはサタンに背くことであり、創造主からの要求を満たしているということであり、神の基準に沿った人間になれているということだと知っているからです。私はこのように探究すればするほど、増々確信を持って平安を感じられるようになり、このように生きれば生きるほど、増々気骨と尊厳を持てるようになります。私は神に立ち返る道を歩んでいるように感じています。私は肉やサタンのために生きるのを止め、その代りに全能神に注意深く従い、全能神のために生きて行きます。なぜなら、全能神の本質は神性で、美しく、で、永遠に愛して礼拝するに値するからです。

 私然として群衆と交わってはいますが、今は開放感と平安を感じており、私はまた、真理を求め神を知る、自分の創造物としての本分を尽くす、そして真のいのちを貫くといった違った目的を持ってもいます。これは私が心で感じる最高の幸せです。人生を通して起こった詳細を全て思い返すと、私は神に対する心からの感謝の意と称賛を口に出さずにはいられません。