世の終わりのキリスト全能神

終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられます。考察したい者は全能神教会にご連絡してください。

「どんな被造物も神の愛は持っていない」

2018-11-30 08:31:52 | キリスト教会賛美歌

神の言葉は命に満ちていて

私達に歩むべき道を示す

神は真理とは何かを教え

私達は神の言葉に惹きつけられる

私達は神の口調に注意し始め

平凡な人の内なる声を意識し始める

神は人のため一心に働く

眠ることも、食べることもできない

神は涙を流して息をつき

人のために病み  うめく

人の行く末と救いのため恥を忍び

反抗と無関心ゆえにその心は涙と血を流す

普通の人は神のように存在できず

同じものを持つこともできない

また堕落した者がそれを持つことも

それに達することもない

普通の人は神の寛容と忍耐に及ばない

どんな被造物も神の愛は持っていない

どんな被造物も神の愛は持っていない

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


「神の国の賛歌 (Ⅲ)人々よ!喜べ!」

2018-11-29 18:37:59 | 合唱

神の光の中に、人々はまた光を見る

神の言葉の中に、人々は喜びを見つける

神は東から来てそこから出てくる

神の栄光が輝く時、全ての国々は照らされる

全ては光へと導かれ、闇の中に留まるものは一つもない

神の国の民が神と共に送る生活は

比べようもなく幸せである

水は人々の祝福された生活のために踊り

山々は人々と共に神の豊かさを楽しむ

全ての人は神の国で努力して働き

神の国で忠誠を尽くす

神の国では、もう反乱も反抗もなく

天と地が互いに拠り頼み

人と神は、生活の至福を通して

共に拠り頼みながら、親しくなり、深く感じ合う

この時、神は正式に天の生活を始める

もうサタンの干渉はなく、人々は安息に入る

全宇宙で、神の選びの民は神の栄光の中で生きる

比べようもなく祝福されて

人間どうしの生活ではなく

神とその民の生活である

全ての人はサタンの堕落を体験し

人生の苦さ、甘さを味わった

今神の光の中に生きて、誰が喜ばないでいられようか?

こんなに美しい瞬間を逃し  見過ごせる者がいるだろうか?

人々よ!

さあ、神のためにあなたがたの心の歌を歌い、踊れ!

さああなたの誠実な心を掲げ、神に捧げよ!

さあ太鼓をたたき、神のために奏でよ!

神は全宇宙に喜びを輝かせる!

神は人々に栄光に輝く顔を見せる!

神は雷のように轟き、宇宙を超越する!

すでに神は人々の間で統べ治める!

神は人々によって高められる!

神は青い空に舞い

人々は神と共に行く、神は人々の間で歩き

神の民は神を囲む!人々の心は喜びに満ち

彼らの歌は空を破らんばかりに宇宙を震わす!

宇宙はもはや霧に包まれることなく

泥も汚水の溜まる所もない

全宇宙の聖なる人々よ!

神の吟味によってあなたの素顔が明らかにされる

あなたは穢れに覆われた者ではなく

ひすいのように純粋な聖徒である

神に愛されている全ての人々

神の喜びである全ての人々よ!

全てのものは甦る!

全ての聖徒たちは天に戻り神に仕える

神の温かい抱擁に入って

もはや涙も不安もなく

神に自らを捧げ、神の家に帰る

神の家に帰る

そして彼らは、母国で神を永遠に愛す!

もう何も変わることはない!

悲しみはどこだ!涙はどこだ!肉はどこだ!

地球はもはやなく、天国が永遠に続く

神は全ての人々に現れ、全ての人々が神を誉め讃える

この生活、この美しさは

遥か昔から今後も永遠に変わらない

これが神の国で生きること

これこそが神の国で生きることだ

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


「わが子よ帰っておいで」インターネット依存症少年に対する主の救い

2018-11-28 20:29:09 | キリスト教映画

   李新光は高校生です。彼は、幼い頃から賢く行儀の良い男の子でした。両親も先生方も彼が大好きでした。中学生になると 新光はインターネットゲームにのめり込み、 インターネットカフェに行くため頻繁に授業を休むようになりました。両親は、息子がインターネット依存を断ち切られるようできる限りのことをしましたが、残念ながらそれはひどくなるばかりでした。 彼の魂は蝕まれ徐々に堕落していきました…。両親が途方に暮れていた時、神は人を救いインターネット依存を止めさせて悪魔の堕落から解き放つことができるということを聞いたのです。そのため両親は神への信仰を決意し、神が息子を救って下さることを願いました。二人は神の言葉から、人の腐敗や堕落の根源について学びました。人の暗闇と邪悪の真の姿が見えました。そして、神だけが人を救い、悪魔の堕落と災いから解放することができるとわかりました。 新光はただ、神を信じ真理を学べばよいのでした。そうすれば、インターネット依存から解放されるのです。そして両親は 新光に福音を伝え、神の言葉を読むよう導きはじめました。二人は神に祈りをささげ、息子を救いインターネット依存から解放して下さることをお願いしました…。争いはありましたが、新光は神に祈り、神を信じるようになりました。神の言葉の導きにより、とうとうインターネット依存からも悪魔がもたらす堕落と災いからも解放されました。絶望的にインターネットゲームやインターネットカフェに惑わされていたこの息子は、ようやく家に帰ってこれたのです!


「神の御国」人の間に降臨するキリストの御国を賛美する

2018-11-27 17:57:31 | 合唱

神の御国、聖徒たちの都、キリストの御国

神の御国では神の豊かさと栄光が表される

東から稲妻が走り、西を照らす

まことの光が到来し

神の言葉が肉となって現れたのだ

白い雲に乗って救い主がすでに降臨された

聖徒たちは今日、御座の前に引き上げられ神を礼拝する

昔の聖徒たちが、終わりの日に固く立つために復活した

聖徒たちは悪魔の地、中国で残虐な迫害を受けている

六千年に渡る歴史の中で聖徒たちは血と涙を流してきた

家にも帰れず、各地を漂流し、枕する所もなく

苦難の底、太陽も照らない暗闇の中で

サタンの大群が踊り狂っている

六千年に及ぶ戦いと血と涙で

神の御国の到来を迎え入れる

私たちは神の御声を聞き、御座の前に引き上げられる

私たちはキリストの裁きを体験し

子羊の婚礼の祝宴に加わる

私たちは神の言葉の中で清められ

神の義と聖さを見る

神の言葉によって征服され完全にされ

私たちは終わりの日の神の救いを得る

私は全能神の奇しき御業を賛美し大声で歌う

私は全能神の義のご性質を絶え間なく賛美する

私は全能神の知恵と全能のために歓喜し跳び上がる

私は全能神の謙りと慎ましさを愛し尽くすことはできない

神の愛に報いることができず

私は心に痛みと負い目を感じる

私は心と霊を持った人間だ

それなのにどうして神を愛せないのだろう?

神は私の支え何を恐れることがあろう?

私は命を懸けて最後までサタンと戦う

神は私たちを高く上げて下さるのだから

私たちは何もかも捨てて

キリストを証しするために戦うべきだ

神は地の上でご自身の御心を行われる

私は神への愛と忠誠を備えて

その全てを神に捧げ尽くす

神が栄光のうちに降臨される時

私は喜んで神をお迎えし

キリストの御国が実現する時、神に再会するだろう

キリストは肉を着て戦うために

人となって地に来られた

彼は聖徒たちの涙を拭い去り

彼らをサタンから救われる

私たちは神の宿敵、悪魔を憎む

彼らの血塗られた犯罪は数え切れず

ありありと私たちの記憶に残っている

私たちは煮えくり返るような憎しみに満たされ

私たちはもう怒りを抑えることはできない

私たちはサタンを糾弾し

サタンが裁かれ悪魔たちが厳しく罰されるよう祈る

和解などあり得ない

私たちは最後まで彼らと戦うことを誓う

サタンの国が滅びない限り

私たちの心の中の憎しみは消えない

勝利する多くの良き兵たちは、逆境をとおして生まれる

私たちは神と共に勝利し、神の証し人となる

神が栄光を得られる日を待ち望め

それは止めることのできない勢力を伴なって来る

全ての人々は神の光の中を歩みながら

この山に流れ込む

神の御国の比類なき栄華は全世界に必ず現れるはずだ

神の御国の未来は明るく限りが無い

神ご自身が世界に来て権力を握られる

昔の聖徒たちは死から甦り、とこしえの祝福を享受する

神の御国の未来は明るく限りが無い

神ご自身が世界に来て権力を握られる

昔の聖徒たちは死から甦り、とこしえの祝福を享受する

神の御国、聖徒たちの都、キリストの御国

神の御国では神の豊かさと栄光が表される

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


主イエスの再臨の御言葉 「唯一の神自身 1神の権威(1)」 その5

2018-11-26 17:49:19 | 全能神教会御言葉朗読

   これはヨブ記からの抜粋であり、「彼」とはヨブを指す。簡潔であるが、この聖句により多くの問題が解明する。この聖句では、霊の世界における神とサタンの会話が具体的に述べられており、神の言葉の対象がサタンであることが述べられている。またこの聖句は、神が述べたことが具体的に記されている。神の言葉は、サタンに対する命令であった。この命令の詳細は、ヨブの命を奪わないことに関連している。サタンによるヨブの扱いにおいて、神は、サタンがヨブの命を奪わないという制限を設けている。この聖句から最初に分かることは、この聖句は神がサタンに対して述べたものであるということである。ヨブ記の原典には、この言葉の背景が記されている。それによると、サタンはヨブを責めることを望んでいたが、ヨブを試みる前に、神の同意を得る必要があった。神が、サタンのヨブを試す要求に同意した時、神は、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」という条件を示した。この言葉には、どのような意味があるだろうか。この言葉は、明らかに命令である。これらの言葉の性質を理解すると、この命令は神が行なったものであり、命令を受け、それに従ったのがサタンであることも当然理解できる。この命令においては、言葉を読めば、神とサタンの関係が誰にでも明瞭に理解できる。当然だが、これは聖句にある神とサタンの対話の記録から知ることのできる霊の世界における神とサタンの関係でもあり、神とサタンの身分と地位の差でもある。またこれは現在において、人間が神とサタンの身分と地位の差異を知ることができる具体的な例であり、文書による記録である。この点において、この会話の記録は、神の身分と地位に関する人間の認識において重要な文献であり、神に関する人間の認識に対して、重要な情報を提供するものであると言わなくてはならない。この霊の世界における創造主とサタンとの会話により、人間は創造主の権威に関して、もうひとつ別の側面を理解することができる。この会話は、創造主固有の権威に関するもうひとつの証しである。

   この会話は、表面上はヤーウェ神とサタンの会話である。この会話の本質は、ヤーウェ神が言葉を述べる態度と立場は、サタンよりも高いということである。つまり、ヤーウェ神はサタンに対して、命令的口調で言いつけており、サタンが実行する必要のある事柄、禁止されている事柄、ヨブは既にサタンの手の中にあること、思うがままにヨブを扱うのはサタンの自由であるが、ヨブの命を奪ってはならない、と伝えている。この会話には、ヨブがサタンの手の中に置かれているが、ヨブの命はサタンに与えられていない、すなわち、神が許可しない限り、ヨブの命を神の手中から奪うことができる者はいない、という含みがある。神の態度は、このサタンに対する命令において、明白に説明されており、またこの命令により、ヤーウェ神がサタンと会話する際の、ヤーウェ神の立場が明示されている。ここでヤーウェ神の持つ地位というのは、光、空、そして万物と全ての生物を造り、万物とすべての生物を支配する神の地位だけでなく、人間とハデスを指揮し、全ての生物の生死を支配する神の地位である。霊の世界において、サタンに対してこのような命令をする者が、神以外に存在するであろうか。それでは、神自身がサタンに対して命令したのは、何故だろうか。それは、ヨブを含めた人間の命は神によって支配されているからである。神は、サタンがヨブの命を傷つけたり奪ったりすることを禁じた。つまり、サタンがヨブを試すことを許す直前に、神はこうした命令を特に行うことを覚えており、サタンに対して、ヨブの命を奪わないよう再度命令したのである。サタンは神の権威に背いたことが一切無く、さらには神の指示と具体的な命令を注意深く聞き、それに従い、それに反することは無く、神の命令を自由に変えることも、当然ながら無かった。それは、神がサタンに対して定めた制限であり、したがってサタンが敢えてその制限を超えようとしたことは無い。これは神の権威の力ではなかろうか。これは神の権威を証しするものではなかろうか。サタンは、神に対してどのように振る舞うか、神をどのように見るかについて、人間よりもはるかに明確に理解していたので、霊の世界において、サタンは神の地位と権威を明確に理解しており、また神の権威の力と神の権威の行使が基づいている原則に関しても、深く理解していた。サタンがこうした神の権威や地位を見過ごすことも、何らかの形でそれに背くことも、神の権威を逸脱する行動を取ることも、決して無かった。また神の怒りに対抗することも一切なかった。サタンは元来邪悪で傲慢であるが、神がサタンに対して定めた限界を超えたことは無い。数百万年の間、サタンはそうした限界を固く守り、神からの指示や命令に全て従い、その限界を敢えて超えようとしたことは無い。サタンは悪意に満ちているにもかかわらず、腐敗した人間よりもはるかに「賢い」。サタンは創造主の身分を知っており、自らの限界も心得ていた。サタンの「従順な」行動から、神の権威と力は、サタンが背くことのできない天の命令であることが理解できる。また、まさにこの独自性と権威故に、万物が秩序にしたがって変化し、増加し、人間は神が立てた過程に従って生活し繁殖でき、この秩序を乱したり、この律法を変えたりすることができる人間や物が不在であることが分かる。なぜなら、人間や物はすべて創造主の手から現れ、創造主の命令と権威から現れたからである。