「正直な人とは何か。なぜ神は正直な人々を好むのか。」
正直であるということは、神に心を捧げるということである──何事にも神を偽らないこと、あらゆることについて、神に率直であること、事実を隠そうとしないこと、上の者に対して偽りなく、下の者を惑わすことがないこと、そして、神に取り入る為だけに物事をするようなことが決してないこと。つまり、正直であるということは、言行において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということである。
『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より
神は正直な人を喜ぶということを知っておきなさい。神は本質的に信実で、その言葉は常に信頼できる。さらに、神の業には誤りも疑問の余地もない。だから神は、自分に対して完全に正直な者を愛すのである。
『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より
神の家で奉仕する者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。
『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より
わたしは他人に対して疑いを持っていない人を高く評価し、真理を容易に受け入れる人を好んでいる。わたしはこれらの2つの種類の人間を大切にする。わたしの目には正直な者たちだからだ。あなたが非常に狡猾であるならば、あなたはすべての事柄およびすべての人に関して疑いを持つ、器の小さい心と思考を持っているであろう。このため、あなたのわたしに対する信仰は疑念の基礎に基づいている。わたしはそのような信仰は決して認めていない。本当の信仰がなければ、愛は本当の愛からはほど遠い。
『言葉は肉において現れる』の「地上の神をどのように知るか」より
わたしは正直な人を求めている。もしあなたが正直で、正しい行いをするのなら、あなたは神の心を知ることができる。
『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より
神と心を一つにする者は神の腹心でもある。神の腹心だけが、神の絶え間ない憂慮や神の願いを共有することができる。彼らの肉体は弱く、苦痛を味わうが、彼らは痛みに耐え、神を満足させるために、自分の愛するものを断念することができる。神はそのような人々にさらなる重荷を与え、神がしようとすることはこれらの人々を通して表現される。
『言葉は肉において現れる』の「神の心にかなう奉仕とは」より
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