ガロ作品総目録

ガロの創刊号から最終426号まで全て揃っています。

白土三平死す

2021-10-30 21:36:41 | ガロ番外編
長井勝一がカムイ伝を載せるために創刊したガロは白土三平氏の死去にともないここに終止符を打った。

ガロ自身は終刊しているが、手塚治虫氏がライバル心を燃やして創刊したのがCOMであり、そして「火の鳥」を発表した。

いわゆる手塚治虫氏にとって白土三平は、最強のライバルだったと言えよう。



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 代表作「カムイ伝」は1988~2000年に掲載誌を移し第2部を連載。全3部作としていたが第3部は発表されず、17年12月の朝日新聞の取材では「もう連載することはできないですね」と語っていた。
 その時に「カムイ伝」へのメッセージを問われた白土さんは、「カムイ外伝」の男装の剣士「飛天(ひてん)の酉蔵(とりぞう)が最期に「飛んでる! 飛んでるぜえ!」と叫ぶ場面を挙げ、「自己解放です」と答えた。「時間を超え、性別を超え、人の願いは伝わっていくと思います」 (小原篤 朝日新聞2021年10月27日より抜粋)

ガロ作品総目録を終えて

2014-12-31 20:00:00 | ガロ番外編
長きにわたったガロ作品総目録が終了しました。
雑誌ガロの他にいろいろな本が刊行されています。その紹介から。







木造モルタルの王国について詳しくはこちら参照↓
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-304.html



終わりにあたって、つぶやきみたいに書いてみます。

〈ガロの経緯〉
 ガロ編集長である長井勝一は白土三平のカムイ伝を発表する場として、ガロを創刊した(1964年9月)。
はじめは、白土三平の短編ものを載せていたが、4号(1964年12月)からカムイ伝は本格的に始まり、多い時は100ページ超、少ない時は30ページ足らず、また載らないことさえあった。
 その後ガロは新人発掘として一般募集を始め、南伸坊、渡辺和博、みうらじゅん、安部慎一、古川益三、鈴木翁二等たくさんの人たちが漫画家デビューした。
 創刊号(1964年9月号)から紙媒体ではNo.426(2002年10月号)、デジタルではNo.381(1996年10月号別冊)に始まり電子書籍ガロVer.2.0(2010年9月、2011年にはVer.2.02、その後Ver.03)が最終となっている。


2014年にはガロ50周年を記念して発行された。↑

〈カムイ伝について〉
 カムイ伝の作品を描いていたのは、白土三平を筆頭に、赤目プロ小山春夫や諏訪栄(別名小島剛夕・こじまごうせき)、そして助っ人としては水木しげる、つげ義春(後に尋ね人として募集)が参加した。
○カムイ伝第一部…月刊漫画ガロで1964年から1971年連載。文庫本化は小学館より21巻。
○カムイ外伝…第一部と第二部の間に位置づけられる作品。白土三平がお金に困ってメジャーで描いた作品とも…。なので外伝はガロでは掲載されていない。
○カムイ伝第二部…1988年(昭和63年5月10日号)よりビッグコミックで22巻まで出ている。17年ぶりの再開で、白土三平・岡本鉄二で描いた。単発でカムイ外伝も載せている。

詳しいカムイ伝の内容はこちら参照↓
http://comics.shogakukan.co.jp/kamui/about.html

〈手塚治虫のCOM〉
 カムイ伝の刺激を受けた手塚治虫はライフワーク作品『火の鳥』を発表。
COMは「まんがエリートのためのまんが専門誌」とあり、私POYOTAはエリートじゃない…と思ったものである。

〈最後に〉
 初めてガロと出会ったのは1972年6月号です。それから以後のガロはもちろん、それ以前の冊子すべてを集めるに到りました。
ガロなら絵がヘタでも内容があるなら漫画家になれる! そういうところが気に入ったのです。
 ガロ作品総目録は終わりますが、はなのまり氏には総目録の作成において大変参考にさせていただきました。感謝の念に堪えません。
また、この拙いブログを閲覧してくださった皆様方、ありがとうございました。