きっと浜田省吾といえば
昔は「風を感じて」
今は「悲しみは雪のように」ってところでしょうか?
多分 多くの人が聴いたことのある曲でしょう
ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌として使われました
あのドラマ 私大好きでした
あまり真剣にドラマを観ない私でも毎週きっちり観てましたからね
7人の男女のキャラクターに自分に近い存在を探したりしてね
おっと ドラマの話ではありません
曲ですね
歌詞が「詩」のように響いてきますね
言葉の並びに「美しさ」があります
君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には
孤独で君のカラッポの そのグラスを満たさないで
人は誰もが心に「孤独」や「悲しみ」を抱えているものなのでしょうか?
「人との絆」や「喜び」があるのなら
「孤独」や「悲しみ」は影のように常についてくるのでしょうね
それを「それでいい」と受け止められた時
人生はトンネルを抜けられるのでしょうか・・・?
「孤独でグラスを満たしている」人って結構いそうですね
あなたのグラスは今夜喜びの乾杯ですか?
それとも孤独の手酌ですか?
いろいろな日があっていいのですよね
今日が孤独でも明日は喜びかもしれない
その逆もまたしかり!
「自分はどちらかしかない」
などとは思わないほうがいいと思います
それはどちらにしても「おごり」としか思えませんから
誰もが泣いてる
涙を人には見せずに
そうなのだと思います
どんなに強そうな人でも
どんなにうまくいってそうな人でも
みんな「ただひとり」なのです
人はみな「唯一無比」の存在でしかないのですね
それは時に「孤独の闇」をみせることもあるのですね
それが「悲しみ」となることを皆本当は知っているのでしょう
だからこそ「誰か」を求める
「ひとりでしかない」のに「ひとりではいられない」
それが人間なのだと思います
誰もが愛する人の前を
気づかずに通り過ぎてく
これはちょっとイヤですね(笑)
ここは浜省に異論を唱えたい!
そして皆 本当に愛する人と巡り会えるといいですね
「悲しみが雪のように降り積もる夜」とは
「孤独の闇に落ち込む時があっても・・・」
という意味に解釈しています
君の夢
時の中で壊れるまで抱きしめるがいい
がんばって前向いて生きていきましょ!(^^)v
昔は「風を感じて」
今は「悲しみは雪のように」ってところでしょうか?
多分 多くの人が聴いたことのある曲でしょう
ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌として使われました
あのドラマ 私大好きでした
あまり真剣にドラマを観ない私でも毎週きっちり観てましたからね
7人の男女のキャラクターに自分に近い存在を探したりしてね
おっと ドラマの話ではありません
曲ですね
歌詞が「詩」のように響いてきますね
言葉の並びに「美しさ」があります
君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には
孤独で君のカラッポの そのグラスを満たさないで
人は誰もが心に「孤独」や「悲しみ」を抱えているものなのでしょうか?
「人との絆」や「喜び」があるのなら
「孤独」や「悲しみ」は影のように常についてくるのでしょうね
それを「それでいい」と受け止められた時
人生はトンネルを抜けられるのでしょうか・・・?
「孤独でグラスを満たしている」人って結構いそうですね
あなたのグラスは今夜喜びの乾杯ですか?
それとも孤独の手酌ですか?
いろいろな日があっていいのですよね
今日が孤独でも明日は喜びかもしれない
その逆もまたしかり!
「自分はどちらかしかない」
などとは思わないほうがいいと思います
それはどちらにしても「おごり」としか思えませんから
誰もが泣いてる
涙を人には見せずに
そうなのだと思います
どんなに強そうな人でも
どんなにうまくいってそうな人でも
みんな「ただひとり」なのです
人はみな「唯一無比」の存在でしかないのですね
それは時に「孤独の闇」をみせることもあるのですね
それが「悲しみ」となることを皆本当は知っているのでしょう
だからこそ「誰か」を求める
「ひとりでしかない」のに「ひとりではいられない」
それが人間なのだと思います
誰もが愛する人の前を
気づかずに通り過ぎてく
これはちょっとイヤですね(笑)
ここは浜省に異論を唱えたい!
そして皆 本当に愛する人と巡り会えるといいですね
「悲しみが雪のように降り積もる夜」とは
「孤独の闇に落ち込む時があっても・・・」
という意味に解釈しています
君の夢
時の中で壊れるまで抱きしめるがいい
がんばって前向いて生きていきましょ!(^^)v
「愛という名のもとに」・・・・・・。
タイトルは「愛という名のもとに」なのに
主題歌は「悲しみは雪のように」なんですよね。笑
単純に主題歌として「愛という名のもとに」はこちらのドラマには少しあわないでしょうから。納得は出来ますが・・・。
楽しみにして観ていましたね。
後半の方、とてもショッキングなシーンが有りましたよね。色々な事考えちゃったな~。
曲の話に戻りますが、悲しみを雪に例えるなんて、詩人ですよね~。しんみりきます。
PS 私のHPのアドレスですが、恥かしいくらい品疎なものですので、ご紹介するのはとても恥かしいところです。そのわりにはちゃっかり、ブログのリンクの所に貼ってありったりして・・・。なんせ手探りで手作業でソフトを使わず作ったものですから、未完成のままのHPです。つまんないですよ~。つまんないといえばマンガもつまんないので、ロケットに乗っけて宇宙の果てに飛ばしてしまいました。(笑)
でも、残ってないのですよね~。申し訳ないので、その頃の絵のタッチをブログに載せますね。(載せるのかよ
だって、凄いの期待しててイメージ膨らんでもらうのは、申し訳ないですから、今のうちにその期待裏切っとかないと・・・。笑
HPも絵も楽しみにしていますよ(^^)どんなんかな~!?
どこかで何かとラインを引いて生きているのですか?
だとしたらそのラインのこちら側と向こう側ではどちらが「上」とか「下」が存在しているのですか?
それはなぜそうしなくてはならないのですか?
いやなめにあってきたからですか?
私も20代の中頃までは「自分」と「自分以外」で「違い」ばかりを探していました それを見つけることによって「自分はおまえらとは違う『特別』な存在だ」って思いたかったのです そうであることが「アイデンティティー」だと思いこんでいました そうでなければ自分に自身が持てませんでした 多勢の中のひとりである自分は許せませんでした 負けちゃいそうで・・・
そんなある日 一冊の本に出逢いました
VOICE社から出ている「バシャール」という本です
その中で描いてあることはシンプルで
「あなたの一番強い観念がそのまま現実になる」
「つまりあなたが与えたものを現実は形として反映しているだけ」
「それはすべてはあなた次第」
そんなことが描かれていました
それを読んだ時になぜか「それまでの自分」がとても小さなものに思えてしまいました
その本にはこうも描いてありました
「全てありのまま受け入れてみてください そしてそこからあなたがあなたのために一番最良と思われる方向を向いてその向いた方向をひたすら信頼してください その現実が反映されます それは哲学でも宗教でもありません 宇宙の物理的法則なのです」
信用するもしないもこれを読んだ人次第ですね
私は信頼してみました
現実がかわったかどうかはわかりませんが ものの見方はかわりました
そして気が楽になりました
人と違わなくてもいいんだと思えるようになりました
人も自分も許せるようになりました
私に考え方があるように人にも考え方があるんだと思うようになりました
だから人を闇雲に否定しなくなりました
まずは「聞く」 そして自分で考える 必要なモノだけ残す 後は流す
それでOKだと思いました
自信を持とうとしなくなりました
今の自分は「これなんだ」と思うようになりそれを受け止めると決めました
そうするとなぜか気持ちが安定してきて やがて「自分はここにいていい」という気持ちがでてきて楽になりました
なんかとりとめのない話になりました
もし「しょうもない」と思われるとしたら流していただいて構いません
観点がずれていたとしたらお詫びいたします
あまり考えて生きていません 嫌な思いも長続きしません 全てはその瞬間瞬間の出来事にすぎないって思っています 人は 今ここからどこにだって行けるって信じています その人が「第一歩」をどうするか次第だって思っています
すべては移ろうものであるなら すべては新しく生まれるものでもあるはずだと考えます
あくまでも私の生き方(考え方)です
誰にも押しつけはしたくありません
その人が好きに思うように生きて考えればいいと思います
他人に迷惑をかけなければです!