昨日、竹林で奇怪な賢者風の老人に出会い、取り敢えず会釈で挨拶をすると、何故私が奇怪な風貌なのかを問えと言うから問わないのも悪い気がして尋ねてみた。
彼は若い頃は人を騙して金を奪い取り、娘を買春宿に売り飛ばすなど、悪行を尽くした極悪人であったが、ある時ふと自分に苦しめられた者達の気持ちに気づいて、居ても立ってもおられないほど懊悩し、遂にこれまでの悪を償う為に警察に罪を洗いざらい白状し、15年の刑期を終えて出所し、その後も学問に勤しんで社会改善の為の書物を書いているのだと言う。
なぜ善人が悪人の社会で苦しむのか。
主は健康な者の為に来たのではない。病人の為に来られた。主の健康な民が病んだ悪人の中で苦しんでも、主の民には主の永遠の生命が約束されている。
彼らが悪人の中で暮らす事で悪人は多くの自己改善の機会を得るのである。
悪人はこの世のうちに少しでも改善されなければ最悪の地獄に堕ちてしまう。主はそれを悲しまれ、善人がこの世で悪人と共に暮らし、それが悪人の改善の契機となる事を期待されている。
善人には天国が約束されている。
悪人は善人によって改善の機会を与えられている。
#主は善人にも悪人にも慈愛を注がれる
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