ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

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天竜川橋梁を渡る東海道新幹線N700S「のぞみ203号」 (2020年8月 オマケは天竜川駅誕生経緯)

2020-09-06 15:43:20 | 700系、N700系新幹線
こんにちは   日曜日いかがお過ごしでしょうか  
今日はJR東海浜松工場脇を通ったら 春に引退した東海道新幹線700系C54編成先頭16号車の悲しい姿を発見 
(金網越し撮影してきましたが貼ってイイのか?   イイとは思うけど・・貼らずにおいとく)
昼前スーパーへ行く途中285系上り「サンライズ~」の回送を見たり・・結構ビックリが多かった日でした
ということで
撮影は先月8月10日、懐かしいな  近場でプラプラ鉄道撮影
この日は東京7時発「のぞみ203号」がN700Sということで天竜川橋梁へ行きましたが
こういう所で撮るとこんなもんです   連写したなかで一番わかりやすかったのを載せます

通過時間を10分間違えていて・・まぁそのおかげで多く撮れた   チョイと構図変えて

ということでオマケ  新幹線くぐり南へしばらく行くと公園があります   詳細は看板をご覧ください

モニュメント 「調和と希望」 

(金原明善記念館より  その節はお世話になりました)
洪水を防ぐための改修工事  西側は先日紹介しましたね

明治22年の天竜川周辺   鉄道(東海道線)のルート、最初は河口近くの掛塚を通す予定でした
当時の掛塚は江戸時代から栄えていた港町で 上方~江戸間の海運の中継の港であり、また天竜川水系の諸物産も集まる港でもあった
そこで掛塚に駅をつくることが便利と考えられた   が、この案に対して掛塚の回漕業者を中心に反対運動がおこり
今まで自分たちの帆船によって天竜川水系の木材を輸送していたのを鉄道輸送に切り替えられ利益を失うのを恐れていたのである
そこで鉄道省は掛塚ルートを断念し北寄りの現在のルートを設定した。(初めて知りました)

今まで木材輸送の利益を掛塚の回漕業者に独占されてきた地元木材業者は東海道線開通を期に上流から筏で流してきた木材を
鉄橋近くで陸揚げして貨車輸送したいと考えた それにはなるべく鉄橋に近い所に貨車積みできる駅が必要である
木材業者は天竜川流域の治山治水事業に熱心で中央官庁にも知己の多い地元の「金原明善」に働きかけ 駅の開設を当局に陳情した。
これが認められて和田村橋羽(現天龍川町)に貨物だけを扱う仮停車場が明治25年につくられた。

この停車場は「浜松駅出張所」と呼ばれ正式な駅名はなかった  この駅が旅客の乗降ができる正式な駅になったのは
明治31年7月のことで このとき「天竜川駅」と命名されたとある。  駅の所在する橋羽は大いに賑わい
東海道筋や駅に通ずる「停車場通り」は商店が軒を連ね 駅前には旅人を泊める旅館も二軒営業していた。
駅前通りを当時「橋羽銀座」と呼ぶ人もいたそうです。(こんな歴史があったとは)

令和2年9月3日の天竜川駅前  9日からしばらくの間夜間工事がおこなわれるそうで 変貌を遂げそう??   この駅前の様子はまた後日にも。
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2 コメント

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こんにちは (847)
2020-09-06 16:09:20
こんにちは。
今日は天気が不安定で、撮りに行くのをやめました。
昨日の朝、6時過ぎに上りのサンライズを見ました。
カメラを出す前だったので、目の前通過を見ているだけでしたけど。
台風でダイヤがクシャクシャになりそうですから、明日、明後日は貨物グシャグシャでしょうね。
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コメントありがとうございます。 (ポニーさん)
2020-09-06 16:57:49
847さまこんにちは。
サンライズは昨日も遅延でしたか
各地どれほどの雨が降るのか 災害が発生しないこと
を祈るばかりです 貨物は自分もそう思います。
返信する

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