ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■2つ目の窓(2014)

2014年08月28日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
喜怒の意志表示のように表情を変える大海の波模様。うねり連なる山脈群は地表の胎動の痕跡のようだ。そんな圧倒的な存在と人間の業を結ぶ、滴りおちる山羊の鮮血や磯に揺れる溺死者の背中。画に力が入るわりには、何故か少年と少女が「生死の摂理」と融合しない。

あまりにも「画」と字義どおりの「言葉」が、作者の意志を饒舌に語りすぎているからだろう。端的なのは、病床の杏子の母(松田美由紀)の周りで繰り広げられる「生と死」にまつわる島唄の宴。そして、杏子(吉永淳)がセックスを連想したという、父(杉本哲太)が語る(画は一度も描かれない)大波と一体化するサーファーのエクスタシー。どちらも作者の作為が先行してイメージが凝固してしまう。

それに比べて、この映画でもまた印象に残るのは自転車のシーンだ。自転車とは「映画」にとって至福(生きること)の代名詞なのだ。思わせぶりな全裸の遊泳シーンなどよりも、湿気をたっぷり含んでいるだろう南国の潮風を、二人乗りの自転車で、グングンと切り裂いて疾走する少年と少女の姿に、生身の「生と性」を、そして、裏返しとしての無意識の「死」を、私は感じる。(8月22日/テアトル新宿)

★★★
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