恣意を徹底排除することで「日常」に潜在するサスペンスを浮かび上がらせ、思いっきりの映画的力技でその「日常」を一気に解体し沈殿していた狂気をむき出しにする。強引な手口に好悪はあるかもしれないが、この無愛想な語り口の頑固さと、その才気に圧倒される。
娘と父親の後ろ姿だけが延々続くダイニングキッチンでの親子の会話。映画の文法を無視した、この不親切で無粋なシークエンスが物語の根幹を象徴していたことに、我々は映画を観終わって思い至ることになる。
同時に、日々、我々が目にするテレビ情報や映画演出が、いかに無駄な饒舌さに毒されているかを思い知らされる。そして、この「押しつけ演出」の巧みさが「面白さ」の判断基準だと勘違いしていることに恥じ入るのだ。
「坂本あゆみ」という才能の登場は、2014年の日本映画界の重大事として特記されるに値する。
(8月23日/ユーロスペース)
★★★★★
娘と父親の後ろ姿だけが延々続くダイニングキッチンでの親子の会話。映画の文法を無視した、この不親切で無粋なシークエンスが物語の根幹を象徴していたことに、我々は映画を観終わって思い至ることになる。
同時に、日々、我々が目にするテレビ情報や映画演出が、いかに無駄な饒舌さに毒されているかを思い知らされる。そして、この「押しつけ演出」の巧みさが「面白さ」の判断基準だと勘違いしていることに恥じ入るのだ。
「坂本あゆみ」という才能の登場は、2014年の日本映画界の重大事として特記されるに値する。
(8月23日/ユーロスペース)
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