ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■こっぱみじん(2013)

2014年08月18日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
文字どおり〈こっぱみじん〉に吹き飛んだ「恋愛」が、それぞれの思いの届かなさを受け入れることで、さまざまなカタチの「愛」に純化される。「恋愛」とはしょせん自己愛の発露でしかなく、他者から受ける「愛情」こそが自己の存在を意義づけるのだという発見。

主人公の楓(我妻三輪子)が、自転車で街を行き来するさまが頻繁に描き出される。そういえば、今年公開された『捨てがたき人々』のヒロイン京子(三輪ひとみ)も自転車に乗っていた。自転車による移動は、彼女らの活動範囲が限定的で、ルーティン化された日常を過ごしていることを視覚的に表現する。

その一方、映画における自転車は、自力の象徴であり、自立への意思表示でもある。古くはタイトスカートで颯爽と自転車を乗りこなした『二十四の瞳』(54)の大石先生(高峰秀子)や、35歳にしてようやく自転車の乗り方を覚えた『顔』(99)の逃走犯の正子(藤山直美)がそうだった。

今、地方都市の若い女性をつつみ込む社会的あるいは地勢的閉塞と、彼女らの心にくすぶる自立願望との葛藤の象徴が「自転車に乗る女」なのかもしれない。(8月12日/K's cinema)

★★★★
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