ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■GODZILLA ゴジラ(2014)

2014年08月05日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
サスペンスを引き受けるべきドラマの構成が雑で、どこにも「恐怖」が描かれていないから退屈。金はあるが知恵のないハリウッドが、苦し紛れに手を出した失敗リメイク作のうちの一本でしかないのだが、この偽ゴジラ映画が内包する罪深さにだんだん腹が立ってきた。

罪とは1954年版の日本製『ゴジラ』第一作の根幹をなす怪獣(=恐怖)と水爆実験の関係を、どこぞの為政者もびっくりの、うわべの解釈変更であっさり変えてしまった件と、そこから連なる「核」を否定しないという形で、暗に全編を貫く「核兵器」の安直な肯定のことだ。

この安易なすり替えの根本にある思考は、広島、長崎への原爆投下は戦争の終結を早め、結果、日本にとっても良いことだったという、あの「原爆投下肯定論」の発想と同じだ。そして、ビキニ環礁での第五福竜の被曝という事件をうやむやにする。

1950~60年代の水爆実験の肯定という180度の設定変更は、初代ゴジラ映画のアイデンティティのはく奪であり、ゴジラへの冒涜であり、その存在意義の完全否定を意味している。本多猪四郎と村田武雄の初代ゴジラ映画を評価し、支持し、その先駆性に誇りをもつ者なら絶対に許してはならない暴挙なのだ。

なのに、初代ゴジラの思想を踏襲したと大宣伝を繰り広げ、金儲けのために平気で嘘をつく輩の破廉恥。その扇動に気づきながらも、生ぬるい賛辞を苦しまぎれに吐く偽初代ゴジラ愛好家のから騒ぎ。さらに、そんな出来レースに遠慮してか、物事の本質から目をそらし本当のことを口しない映画ジャーナリズム。ああ、苛々する。腹が立つ。

明日は70回目の8月6日だ。

(8月1日/TOHOシネマズ)

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