ポコピン亭

ポコピンの日々の記録と東方緋想天の戦いが綴られていきます。多分。

第二章 想いの奥で 四-2

2008-03-04 | one day -鈍色の叫び-
 ショーも終わり、子供達は母親に呼ばれて散り散りに帰っていった。
「おーい、朋香」
「え、あ、うん、何?」
 ショーの間ずっとうつむきっぱなしだった朋香は焦り気味にそう答えた。やはり顔は多少染まっている気がしたが、言うと怒られそうなのでやめておく。
「母さんから晩御飯の用意買ってきてってメール来たから飯食って買いに行くぞ」
「あ、そうなんだ」
「この後どこか行く予定あるか?」
「ううん、無い」
 というわけで僕達は一階の喫茶店で何かを食べた後に食品売り場で晩御飯の用意を買って帰ることにした。エスカレーターに乗って降りるときに、ベンチにぐったりと転がっている馬場の口から何か白いものが見えたような気がする。
 強烈なコーヒーの匂いで他の匂いを打ちのめしている喫茶店に入って若いウエイトレスに席を案内してもらい、席に着いてからスパゲッティとコーヒー、朋香はサンドイッチとオレンジジュース、食後のストロベリーパフェを頼んだ。
「馬場君大丈夫かな、ぐったりしてたけど」
 タマゴサンドをつまみながら朋香が口をもぐもぐと動かして言った。
「まぁ大丈夫だろ、一応頑丈だし」
 ミートスパゲティをくるくるとフォークで丸めながら口へと運ぶ。
「馬場君って結構和哉にやられてるよね、色々と」
「そうだな、まぁ馬鹿だからな」
「学力なら和哉も負けてなさそうだけどね」
「うるせぇよ」
「そういえばおばさん今晩何にするって?」
「ん、あぁ、ちょっと待て。えっと、キャベツと豚、牛のひき肉とたまねぎにんじんナツメグ――」
「あら、朋香ちゃんと和哉君」
 僕の声を女性らしい高めの声が遮った。取り出した携帯から目を離して声のほうへ振り向くと見知った顔が立っていた。
 優のお母さんだ。
 僕の母と同じくらいの年齢のはずなのに化粧のせいか、それとも綺麗な服装のせいか幾分若く見える女性が少し驚き、嬉しそうな表情で僕たちを見ていた。
「隣いい?」
「はい、どうぞ」
 許可を得てからおばさんは朋香の隣の席に座った。来店したおばさんを案内していたウエイトレスは少し複雑な顔をして、すぐに営業スマイルに戻った。
「ホットコーヒーを一つお願い」
 おばさんがそう言うとウエイトレスはかしこまりましたと深々と頭を下げて去っていった。
「久しぶりね、元気?」
「はい、元気ですよ」
 優の母とも幼稚園からの付き合いである。当時の僕にそんな意志があったかどうかはともかく、おばさんは僕のことを家が近いことも手伝って昔からよく知っていた。
「朋香ちゃんも、相変わらず綺麗で可愛いわね」
「い、いえ、そんなこと、ないです」
 ふふふと笑うおばさんの隣で朋香が恥ずかしそうに顔を伏せた。
「優といつも遊んでくれてありがとう。きっとあの子もすごく喜んでるわ」
「こちらこそ、帰ってきたところなのに連れまわして申し訳ないです」
「そんなにかしこまらなくてもいいのよ和哉君。もう十年以上の付き合いなのに。昔のように『おばちゃん飴ちょーだい』っていう風に言ってくれてもいいのよ」
 そんなことを言われてもやはり年上の女性、それも見た目綺麗な人にタメで話すのは躊躇われる。無邪気な子供時代とは恐ろしい。
「そういうわけにもいきませんよ」
「ふふ、和哉君は大きくなっても優しいままね」
 先ほどのウエイトレスが湯気のたつコーヒーの乗った盆を片手にテーブルに持ってきておばさんの前に置き、ごゆっくりと再び頭を下げて戻っていった。
 おばさんはコーヒーのカップを手にとって口を一口つけ、美味しいとこぼす。その動き一つとっても優雅さを感じられる。
 一口しか飲んでいないカップをソーサーの上にゆっくりと置いて、同じくらいゆっくりと小さな息を吐いた。
「和哉君、朋香ちゃん」
「はい」
 二人が返事をしたのはほぼ同時だった。
「優が髪を栗色に染めたのは知ってるわよね?」
「はい」
「ええ」
「優から何か聞いてない? どうして染めたのか、とか」
「おばさんには何も言ってないんですか?」
 朋香がすぐに疑問で返したが、おばさんは少しうつむき加減になって、
「いいえ、何も。どうしたのかって聞いても教えてくれなくて」
「そう、ですか」
 それを聞いて朋香も申し訳なさそうにうなだれた。
「えっと、優は気晴らし程度にとか言ってましたけど」
 僕が言うと同時におばさんの綺麗な顔が少しだけ険しくなった。
「……何かあったんですか?」
 心配そうに朋香が尋ねる。尋ねざるをえないといった、そんな雰囲気。
「いや、私って優に嫌われてるのかなって」
「え?」
 やはりほぼ同時に返答する二人。
「最近、いえ、もう少し前から優とほとんど話さなくなってね」
「それは……反抗期っていうやつですか。遅めの」
 朋香がフォローを投げかけるがおばさんはふるふると首を振って続ける。
「家事とかは手伝ってくれるの。何も言わなくても。夕方に私がパートから帰って来た時にお米の用意がしてあったり洗濯物が取り込んでたたんであったり、夕飯の手伝いも何も言わないけどしてくれるの。だから反抗期とは少し違うと思うわ」
 ふと遊びから帰ってきた後の共に散歩していた優を思い出す。いつものおちゃらけな感じなどではなく、真剣で、そのくせまるで捨てられた子犬か何かのような困った顔をした優を。あの時の優は僕に何を伝えたかったのだろうか。
「母親の私が尋ねるのも恥ずかしいのだけど、どうすれば優ともっと話せるようになるかしら」
 不安と緊張と困惑、期待と希望を携えたような声。訪れる沈黙。そして、
「旅行とかどうですか。旅行って楽しいし、そしたら優も気軽に何か話すかもしれませんよ」
 それが僕の答えだった。色々考えていたらしい朋香も少し後にうんうんと同意した。
 おばさんはしばらくの間何かを考えるようにコーヒーを飲んだり飲まなかったりを繰り返したが、最後には「そうしてみましょう」と明るい声が帰ってきた。
 その笑顔は、やはり綺麗だった。
 何度もの「ありがとう」と「どういたしまして」を繰り返しておばさんは店を出て行き、朋香が美味しそうにパフェを食べるのを二杯目のコーヒーをすすりながら眺めた後、夕飯の買い物をして家に帰った。
 その日は珍しく僕も夕飯作りを手伝おうとしたのだけれど、大して広くないキッチンに僕と母と朋香の三人を収容するのは厳しかったようで追い出されるようにキッチンを抜けた。
 そりゃ普段から料理なんてしないけどさ。包丁とか全然使えないけどさ。ナツメグってなんだよって感じだけどさ。「和哉、邪魔」は無いだろう、邪魔は。
「…………はぁ」
 倒れそうなくらいもたれかかったソファからオレンジに染まったでこぼこの雲を逆さまに見ていた。相変わらず雲が邪魔をして夕日なんて見えない。僕と雲とどっちが邪魔なんだろうか、とそんなことを考えてみた。答えは出なかったが、雲のほうだと信じたい。
 帰ってきた時からつきっぱなしのテレビはよく分からない漫才をまた映していた。しかも朝と同じコンビだ、舞台は違うけど。だから面白くないって。
 次第にリビングには夕飯の良い匂いが充満し始めて空腹を促しだす。
 その日の夕飯はロールキャベツで、自分が(二厘くらい)手伝ったそれはとても美味しかった。自分の手が少しでも加われば美味しく感じられるってものだろ?
 まぁ、その、僕が居なくても間違いなく美味しく出来ていたとか、そんなことは考えてはいけないと思った。頭の中で繰り返される邪魔。うぅぅ。
 父は釣り、兄はバイトで夕飯の時も居なかった。部活から帰ってきた弟が加わった四人でテーブルを囲う。
 やはり母と朋香、今はそれに弟がトッピングされて会話に花を咲かせていた。常に誰かの口が音を出しているような状態。もちろん僕の入り込む余地はなかった。
 時々気遣うような目で朋香が僕を見てくるが、僕は別に良いじゃないかというような視線を送っておいた。一瞬むすっとしたような顔が帰ってきたけど、母が話を振ったためにすぐ笑顔に戻った。
 ゆったりとしたいつもどおりの時間が流れる。
 平和だ。
 食事が終わってしばらくお茶でも飲みつつゆっくりした後、部屋に戻って漫画を読んでいた。ベッドの上に寝転がってごろごろと。動くたびに膨らみかけていた布団が嫌そうにふしゅうと声を上げてしぼんでいった。
 これで月でも眺められれば文句なしだったのだけれど、大自然を相手にしたって仕方がない。
 ぺらっとページをめくる。その音だけが静かに部屋の端にまで届いていた。
 ぺらっ、ぺらっ、ぺらっ、たーらららーらーたったー。
 たったー?
 突然の大音量でわずかに肩をびっくりさせながらそれが携帯の着メロだということに気づいてポケットに手を突っ込む。
 タイトルもアーティストも分からないが、なんとなくテレビなどで流行ってるようだから自分で設定した有名ロックグループの曲。
 少しまぬけ、しかしやけに響くそのメロディは携帯を震わせながら僕を待っている。
 それがメールではないほうだったので慌てて画面を確認する。
 着信、和泉優。
 何の用だろう、明日遊びに行くとかか、ボーリングとか行きたいのかも。それとも終わらなかった荷物整理を手伝えとか言い出しそう。うん、多分そんな感じだな。
 通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。
『よう、俺だけど』
 優はいつもどおりの明るい声を弾ませていた。
「おう、どうした」
『まぁ聞いてくれよ相棒』
「早く言え」
『実はさっき親が部屋に入ってきて“明日から旅行行くぞ、一泊二日くらいで”とか言い出すんだぜ。どう思うよ。明日は遊びに行くつもりだったのにさ』
 何故優の親がそう言ったかは分かっている。僕がそう勧めたからだ。それにしてもおばさん行動早いな、もう予定を決めてしまうとは。
「あ、あぁ実はそれな――」
『ほんとにもう参っちゃうよな、俺の予定も考えてほしいっての、マジで参ったよ、ははは』
 それは僕に言っているのではなく、どこか自分に言い聞かせているようなそんな話し方だった。
 しかしあまりにも優が明るい声で話すものだから、その時の僕は気づけなかったんだ。
 それからあれで遊ぶつもりだった、これで遊ぶつもりだったというのをひとしきり話し終えた後、くだらない雑談を交えて、
『じゃあな。夜に愚痴の電話して悪かった』
 と言って電話が切られた。
 会話の八割くらいは優が話していたようなものだけど。
 話を終えてすぐに部屋のドアがノックされた。「和哉、いい?」とドアの向こうで聞こえたので「いいよ」と言うと朋香が部屋のドアを開けて入ってくる。それと同時に体を起こしてベッドに座った。
「電話?」
「あぁ、聞こえてた?」
「うん、部屋の前にきたら和哉が誰かと話してたから」
「優からの電話だったよ」
 朋香は定位置の座布団に座って、
「優なんて?」
「明日遊ぶつもりだったのに親が旅行の予定入れてきたって困ってた」
「それって私達のせいだよね……」
 彼女の顔が少し曇ったが、フォローの入れ方はしっかりと考えてある。
「まぁ大丈夫だろ。いつもどおり元気だったし、旅行って行ってみれば楽しくなるもんだろ」
「あー、んー、そうだよね。旅行って楽しいもんね」
 予想通りに、少し考えた後笑顔に戻ったのを確認して成功を確信した。
「そういえばなんか用事があったんじゃないのか?」
「え、うんまぁ用事っていうほどのはないんだけど」
 急に焦ったような感じで頬をかくしぐさをしだした。なんだ?
「明日出かけたいなーと」
 そういうことらしい。出かけたいと。それを何故僕に言うのか。
「出かけるのか。どこに?」
「えっと、それはあれだよ、色々と」
「誰と?」
 ビシッと指差された。まるで漫画の中の教師が生徒を指すかんじに腕を伸ばして。でもすごくぎこちない。
「まじで?」
「まじで」
「今日出ただろ、買い忘れか?」
「違う! 明日出かけたいの!」
 それだけ言うと朋香はしまったと言う感じにややうつむき加減になった。なんだなんだ?
「だめかな?」
 しかし明日もいつもと変わりなく、むしろ優が旅行へ行くということが確定してる分、キング・オブ・暇なので断る理由もない。冬休みの宿題なんて考えたくない。
 朋香と出かけるのも結構それなりに楽しいし。
「全然問題ない。暇だしな」
 そう言うと朋香は見る間に元気になって、それはまるで夜明けから昼にかけてのアサガオ観察ビデオを高速再生しているような感じだった。
「それじゃあ、うん、それだけ!」
 何が「うん」なのだろうかと気にするまもなく朋香はおやすみと部屋を出て行った。なんか台風みたいだったな。目付きの。
 そういえば入ってきたときからなんかそわそわしてる感じだったけどなんだったんだろうか。
 今日一日で朋香がそわそわしそうな理由を探してみる。
 朝飯を母と作っって出かけて本屋へ行って本買っておばさんと会って材料を買って夕飯を作った。
 いつもどおりじゃん。
 もう一度考えてみても結果は同じ。
 わーかーらーねー。
 何度も狭いベッドの上をごろごろと往復し、その度迷惑そうに布団が鳴いた。
 明日、明日ってなんだっけか。えっと、えーっと、ん? そういえば明日って――
「そうだ和哉」
 突然がばっと部屋のドアが開けられる。一人ベッドの上を変な顔をしてごろごろし続ける奇妙な生物に気にする様子もなく――いや今一瞬なんか変な顔したぞ――続けた。
「明日! 十二時に駅で待ち合わせでよろしく! んじゃおやすみ!」
 バタン。
 静寂。
「…………」
 台風というより地震みたいだな。第一波、第二波みたいな。
 駅で待ち合わせ?
 同じ家に住んでいるのだから家から一緒に出ればいいと思うのだけど、まぁ朋香がそう言うのだからそうしよう。どういう意味かは分からないが。
 そういえばまだおやすみじゃねえ。風呂入ってないし歯も磨いてないし着替えてねえよ。
 そんなことを思いながらクローゼットから着替えを取り出して風呂へ行くことにする。
 ふと机の上の小瓶に目を向けると、星も色素も随分下方にたまっていて、それに光が当たって全ての色を練りこませたような鈍色を放っていた。
 赤でもなく、青でもなく、緑でもなければ黄色でもない、それらが全て混ざったような、どちらかと言うと黒に近い、そんな光をしていた。
「和哉ー、お風呂入らないの?」
 リビングから母の声が聞こえる。「今行くよ」と返して僕は部屋を出た。
 部屋の明かりを消すと、黒に近い光は黒になった。

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