ポコピン亭

ポコピンの日々の記録と東方緋想天の戦いが綴られていきます。多分。

まえがき

2008-08-02 | one day-小さな子犬の鳴かせ方-
ポコのものを読むに当たっての注意事項をよく読み御理解いただくようお願いします。

注意事項
1:気分が優れない時は無理をせず、目や体を休めてください
2:途中で吐き気やめまいなどに襲われた場合、すぐに中断し、体を休めてください
3:なんてったってポコ作品です。過度の期待はご遠慮ください。
4:単行本にして約44Pです(予想読破時間30分
5:例によってリアルポコピン関係者にはとてもじゃないが見せられんとです。もし見るというならばポコピンの左前辺りにいつも居た【松の尾っぽは何色だ?】さんの携帯の受信フォルダが大変なことになります。やめてあげましょう。
6:かなり気温がやばいことになってきました。体調管理に気をつけましょう。
7:文字数の関係でぷちぷちと本編が切れています。ご了承ください。
8:それにしても暑いなぁ。夜なのに。でもポコの普段着は長袖長ズボン。黒で!
9:お、今回は大分注意書きがカットされて短くなった。良いことだ。
10:注意書き終わり。


読む準備はできましたか?
読む勇気はもてましたか?

少しは面白いかもしれません。
凄く面白くないかもしれません。
それでも優しく笑ってあげてください。
両手いっぱいの幸せが訪れますように。

では、『one day -小さな子犬の鳴かせ方』をご覧ください。

小さな子犬の鳴かせ方『1』

2008-08-02 | one day-小さな子犬の鳴かせ方-
 私がずっとずっと小さかったころの話。
 卵からヒヨコが生まれて、大きくなるとニワトリになることを知った。
 学校で先生が見せてくれたビデオに映っていたヒヨコは凄く可愛かった。
 黄色いふわふわした羽毛と、護ってあげたくなるような瞳。
 本当に愛らしい姿だった。
 だからその日、家に帰るとすぐに卵を温め始めてみた。
 コタツの中で、優しくタオルに巻いた卵をおなかの辺りでぎゅっと抱きしめた。
 今でも「まだかなー、まだかなー」と言いながらわくわくしていたことを良く覚えている。
 でも、その日の夜のこと。
 私が卵をコタツの中に入れたままトイレに行っている間に、お母さんが冷蔵庫の中の卵が足りなくなったからと私の卵を盗んでオムライスにしてしまった。
 たくさん泣いた。とても悲しかったはずだ。
 卵からは可愛いヒヨコが孵るはずだったのに、オムライスになってしまったなんて。
 どのくらい泣いたかなんて覚えていない。ただお母さんの作ったオムライスが美味しかったことは覚えている。
 ご飯の後にお母さんが「この卵はね、無精卵といってどんなに暖めてもヒヨコは出て来ないんだよ」って言ってくれたけど、当時の私はきっと何を言っているのか理解していなかったのだと思う。分かっていれば泣き疲れて眠ってしまうほど泣きはしなかっただろうから。
 今思えば、少し考えれば分かることだったと反省している。
 そもそもスーパーの格安売り尽くしセールでお母さんが百円ちょっとで買ってきた卵でヒヨコが孵るわけがない。
 もし孵ってしまったらそこらじゅうヒヨコだらけになることは間違いない。
 本当に馬鹿な子だったんだなぁ、私は。
 とまぁ、そこまでなら単なる幼い馬鹿で可愛い昔話で済んだのだけど……。
 私はまた同じ過ちを犯してしまった。
 中学三年の夏、私はテニス部を辞めた。
 一応形の上では引退というふうになるのだが、私はテニス部を辞めた。
 そう、テニスをやめたのだ。
 中学最後の夏季大会。
 部活動三年間の中で最も思いの強い大会となる。
 そこで優勝とはいかなくても全力で力を出し切れれば悔いは無いだろうと、大会に向けて夏の蒸し暑い中、精一杯に練習した。
 夏休みだというのにわざわざ学校へ行って、朝から夕方まで球を追いかけ回したり、とにかく一心不乱に頑張った。
 頑張った……のに……。
 結果はもう思い出したくも無い。
 一回戦の相手はどこの誰かも知らない、全く名前も聞いたことの無い人。仲間達が「勝てる勝てる!」なんて言うから威風堂々とコートに出陣した。
 が、結果は圧倒的なまでのストレート負け。
 一点も取ることが出来ずに試合が終わって、コートを逃げるように出て行った。
 中学最後のテニス部の思い出がこれだ。泣きたくだってなる。むしろ泣いた。
 仲間の慰めの言葉は優しかったし、応援に来てくれていたお母さんの言葉も温かかった。
 でも、お父さんは違った。
 中学三年生といえばつまり受験生。
 私が夏季大会に出場すると言った時にお父さんは「テニスよりも勉強しろ、今のお前の頭じゃ無事に高校に受かるかわからないからな」と猛烈に反対した。
 その場は何とかお母さんがお父さんを説得して、私は夏季大会に出場することが出来たわけなのだけど、結果がこれだ。
 だからお父さんは試合から帰ってきた私に、
「元々テニスの才能がなかったんだ。いくら練習したところで無駄。無精卵はいくら暖めたところで孵らない事は知ってるだろう。人も同じだ」
 そう言い放った。
 それが私に対するお父さんの最後の言葉となる、予定。なぜなら、
「あれが部活動を頑張った娘に対する父親のセリフかっての」
 独り言をぶつくさと言いながら瀬戸原里奈は大して人通りの多くない通りをとぼとぼと歩いていた。
 その背にはこれから登山にでも行くかのような大きなリュックを背負い、お気に入りのジーンズのポケットにはぱんぱんに膨らんだサイフが突っ込まれている。
「そりゃあ確かに頑張って練習しても大してうまくならなかったし、トーナメントのほかの枠に入ってても多分結果は変わらなかっただろうけどさ。親ならもっと優しい言葉をかけるでしょ普通。もう絶対帰ってやらない。顔も見たくない」
 現在、里奈は父親と大喧嘩をして家出中の身である。
 帰宅後の父の言葉を聞いて、心が燃えるような、身体の中で何かが爆発するような衝動を感じた里奈は、気がつけば家出をする準備をしていた。
 家にある中で一番大きなリュックに可能な限りの荷物を入れて、家を飛び出した。
 背中のリュックには着替えや日用品などがとにかくたくさん詰め込んであり、サイフのなかには貯金箱に入っていた全部のお金が詰められている。
 家を去る時、母は何とか里奈を考え直させようと説得したが、里奈の決心は揺るがなかった。
 その時父が説得に来なかったことも決心を固める原因の一つとなっている。
「娘が家出するってのにあの人は心配もしないのかよ、なんだよ『車に気をつけてな』って。遊びに行くんじゃないっての、家出するの私は。い・え・で!」
 一通りの不満を吐き出した後、はっと口に手を当てて黙った。
 人通りが少ないとはいえ、決して無いわけではない。
 つまり少量とは言え人は居るわけで……。
 その人達は一様に里奈を変な物を見る目で見ていた。
 あぁ、暑さで頭が変になっちゃったのね、可愛そうに。そんな感じの目。
 巨大なリュックを担いで、大声で独り言をぶつぶつと言い続けている里奈の姿は確かに異様だった。
 その視線に気づき、一瞬思考が停止した後、里奈は全速力で走り出した。
 ――――は……恥ずッ!
 大きなリュックを背負っているにもかかわらず軽やかすぎる足取りで全力ダッシュを繰り出すその姿は………………やはり異様だった。

 恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら走っていても、ただ当てもなく走っているわけではない。
 これからお世話になるであろう親友の紀和美紀子の家に向かって走っているのだ。
 美紀子の家は両親が共働きで揃って帰宅時間が遅く、しかもここ最近は仕事場で寝泊りしているようで家に帰ってこないことが多いらしい。
 食事はほとんど美紀子が自分で作っていて、今までに何度も泊まりに行って一緒に夕飯を作ったこともある。
 家出準備中に携帯で美紀子にメールを飛ばしてみたところ『余裕でおっけー♪ カモン♪ カムオン♪ かもんかもん♪ お菓子ヨロー』という謎の言語と共に了承メールが帰ってきた。
 ヨローというのはヨロシクの略語で、インターネット上での挨拶らしいが、全然パソコンに触れたりしない里奈にはよく分からなかった。
 走っている間に時刻はもう午後の七時を回り、空は茜色に染まりつつある。遠くのほうの空でカラスが小ばかにするような声で鳴いているのが聞こえる。
 足の速度を次第に緩め、走りから歩みへとチェンジする。元運動部とはいえ流石に走り続けるのは辛い。しかし今、何より辛いのは、
「……お腹減った」
 空腹である。
 お昼に食べたランチなんてものはとっくの昔に消費されていて、育ち盛りな里奈の腹の虫は「食べ物よこせー」とでも言うようにグゥーと鳴いた。
 腹の虫が鳴った瞬間、はっとお腹を押さえて周りをきょろきょろと見渡した。
 よかった……誰も居ない。
 周りに誰も居ないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。が、顔は何処となく赤くなっている。
 ご飯、そうだとりあえずご飯を買おう。そういえば美紀子もお菓子ヨロシクって言ってたしね。ヨローだっけ? まぁいいや。
 里奈は美紀子宅へ向かう道を少しずれて、スーパーへ行くことにした。
 元々小さな町で人口もそれほど多くは無い、と思う。多分。調べた事は無いからわからないけど。
 夕方遅くになると町を歩いている人なんてほとんど見かけなくなる。
 事実里奈がスーパーへ向かい出してからそこに到着するまで、すれ違ったのは犬の散歩をしていたオバサンと、仲の良さそうに話しながら自転車を押して歩く男女が一組。
 ぐぅ~。
 そうだ、今はとにかくご飯!
 里奈はもう一度恥ずかしそうに周りを見渡しながらスーパーの中へ入った。
 中はクーラーが寒いくらいにきいていて、汗ばんだ肌を急速に冷やしてくれた。
 外と同じように店内にも人影は少なく、店員を除けば三人程度だろう。そのうち潰れるんじゃないかこの店、と少し心配してみたりした。
 そんなことを考えつつも入り口付近に置いてあるカゴを持って食品コーナーへ足を運び、ディナーはどれにしようかと悩み始める。
 今日はスパゲッティにしようかなぁ、それとも夏だし暑いしお蕎麦とか。むしろ昨日一昨日とカレー続きだったから何でもいい気分なんだけど……。
 よし、間を取って今日はソーメンにしよう。
 棚に並んだ数種類のソーメンの中から一つ選んでカゴの中へ放り込んだ。
 次は……お菓子と飲み物っと。
 食品コーナーを離れてドリンク類の並ぶ涼しい棚の前に移動する。
 うーん……と棚を順々に見ていると、少しばかり気になるものが目に入った。
『激爽! 死ぬほどすっきりオレンジミント!』
 と書かれたペットボトル。
 じゃなくて、
「……子供だ」
 飲み物の置いてある棚から少し離れたところにある惣菜パンコーナーに男の子が居た。
 小学校の低学年くらいの可愛らしい男の子だ。
 スーパーのパンコーナーに男の子が居る、というシチュエーションは全く特別でも気になることでも何でもないのだが、その男の子の様子がどこか挙動不審なのだ。
 やけに周りを気にしてきょろきょろしている。
 何やってんだろ……?
 一瞬首を傾げたが、店に入る前に空腹時の音色を奏でた時のことを思い出し、すぐに消し去った。
 そんなことをしている間に男の子はパンの一つに手を伸ばし、ポケットの中に押し込んだ。
 あー……これはあれですか。マンのビキというやつですね。確か十年以内の懲役か五十万円以下の罰金になるからやめとけって社会の佐藤先生が言っていたやつ。
 懲役、罰金、つまりそれは犯罪なわけで、
「ちょっと待ったぁぁぁぁ」
 気がついたら衝動的に男の子の元へ駆け出していた。
 男の子は突然の里奈の声にびくっと小さな体を硬直させ、しかしすぐに逃走体勢に入って走り出した。
「元テニス部なめんなよ!」
 リュックもカゴもそのままに全力で走る姿はなんとも不気味だったが、何とか里奈は男の子の手を掴んで確保することが出来た。
「離せ!」
 男の子は里奈から逃げ出そうとぶんぶん腕を振って抵抗するが、中学三年生と小学生では力に差がありすぎる。よって、
「離せよ!」
 うるさいほど口から離せコールが出たところで里奈の手は少しも離れる事はなく、やがて疲れたのか大人しくなった。
「ほら、盗った物出して。さっきのパンだけ?」
「そうだよ」
 諦めた男の子はポケットからカレーパンを取り出して、不機嫌オーラ全開で里奈に手渡した。
 無理矢理ポケットに入れられていたせいで形が随分いびつになったカレーパンをひとまずカゴに入れておくことにして、男の子の手を解放した。
「何でカレーパンがほしかったのか知らないけどほしいならお母さんに買ってもらいなよ。万引きなんてしたら将来絶対後悔するから、って佐藤先生が言ってたし……」
 なぜか脳内に登場してきた佐藤先生の念を払いながら注意をすると、彼は口を尖らせて、
「別に…………もう…………――――――」
 と小さく呟いた。
「え?」
 何のことを言っているのか分からず里奈が頭の上にクエスチョンマークを出すのと同時に、男の子は店の外に走り去って行った。
 よく分からない言葉と突然の疾走で呆気にとられ、その姿をぼんやりと見ていた里奈はすぐに我に帰ることになる。
「ちょっと、このパンどうするのさ!」

小さな子犬の鳴かせ方『2』

2008-08-02 | one day-小さな子犬の鳴かせ方-
「それはまぁドンマイってことで」
「今日はもう大変だよ……本当に……」
「めげないめげない、そういう日もあるって」
 美紀子の家に到着して中に入れてもらった後、先に風呂を借りて汗を流してから、彼女のベッドに深々と倒れこんだ。
 美紀子はいつもと同じように定位置である回転イスの上で、なぜか胡坐をかきながらくるくる回っている。これもすっかり見慣れた光景。
 結局あの後ぐちゃぐちゃになったカレーパンを元の棚に戻すわけにも行かず、結局里奈が購入することにした。
「昨日もその前もカレーだったんだし、せめて別のパンにしてくれーって感じ」
 ベッドの上でパン屑をこぼさないように気をつけながら潰れたカレーパンを食べる。
 夕食は美紀子と一緒にソーメンでも食べよう、と思ったけどよく考えてみればソーメンは湯を沸かすのにそれなりな時間がかかるわけで、そんなにお腹の虫達は待ってくれないわけで、となると今すぐにでも何かを食べたい私はカレーパンを食べるしかない。
 形は悪いがそれは間違いなくカレーパン。小腹を満たすには十分な量がある。
 もぐもぐ、はぐはぐ、ごくり。
「ご馳走様でした」
「ご馳走って言うほどのものでも無いけどね」
 パンの袋をゴミ箱にシュートして、これまたなぜか購入してしまった『激爽! 死ぬほどすっきりオレンジミント!』とペットボトルに書かれた飲料水の蓋を開ける。
 一体どうして買っちゃったんだろう、という念を抱きながらも一口飲んでみる。
 すると急に喉の辺りが気持ちいいくらいに冷たくなって、次第に冷たさを増していく。オレンジとミントの香りが鼻腔をくすぐって、痛いくらい呼吸がスムーズになって、
「……けほっ、かはっ!」
 盛大にむせた。
 何これ……本当に飲み物? なんかの薬を原液のまま飲ませてるんじゃないの?
 口元を押さえてペットボトルを睨みつけながら蓋を閉めた。
「あー、それびっくりするほどまずいっしょ。あたしも初めて買ったときはびっくりしたわ」
「みっきーも買った事あるんだ……」
「友達に騙されてね、そいつがやたらうまそうに飲むから買ってみると大変だった」
 その友達は多分勇者か何かに違いない。こんな大変な物を美味しそうに飲むだなんて、里奈にはさっぱり理解できなかった。
「とりあえず飲まないなら冷蔵庫にでも入れときな、ついでにお湯も沸いてるだろうし麺投入しよう麺」
「……そだね、入れてくる」
 里奈はベッドから降りて、もう二度と飲まないであろうオレンジミントを冷蔵庫の中へ投げ入れた。

 美紀子が用意してくれた大鍋のお湯に里奈が買ってきたソーメンを入れて、数分後にそれをザル取り出して水で洗って完成。
 何度も泊まりに来ているので食器がどこにあるのか、冷蔵庫のどこにらへんに何が入っているのか、などという事は大体知っている。
 いつもと同じように冷蔵庫の中から必要なものを漁り始めた。
 えっと、たしか麺つゆは野菜室の手前で、チューブの生姜は大扉の左上で、ごまは…………あれ、無い。まぁいっか。他に何か必要なものあるっけ?
 適当にソーメンを食するのに必要そうなものを取り出していく。だが、
「ねぇみっきー…………この赤マムシ、三ヶ月前から減ってないんだけど……」
 他人の家の冷蔵庫を漁ればそういうところまで目が行くのも当然といえば当然である。
 赤マムシというのはいわゆる栄養ドリンクの類だが、三ヵ月前に泊まりに来たときには八本置いてあった。そして今も八本。種類が同じで物が変わっているということではなく、正真正銘同じもの。
「それね、親父が目が回るほど忙しくて休みも取れない! って言いながら買ってきたやつなんだけど、家に帰ってきて飲む暇も無いくらい忙しいらしいんだよね。ほしけりゃあげるよー」
「いや、いらないって」
 里奈は全力で否定をした。
 美紀子の父親が一体何の仕事をしているのか、ということは全く知らないが常識外なほど忙しい仕事だということはよく分かった。恐らくは母親も同じような感じで毎日大変なのだろう、となんとなく思った。
 ソーメンの入った容器をテーブルの上に乗せ、他のものも並べて里奈もテーブルの横に座った。
 美紀子は相変わらず移動用ローラー付きのイスの上に座っているが、ローラーをコロコロ動かしてテーブルのほうへやってきた。
 器に麺つゆを入れて、少しだけチューブの練り生姜を混ぜてソーメンを取る。麺つゆはストレートタイプだから水を混ぜなくても平気なやつだ。
 一口食べる。
 うん、湯で時間もばっちり。早すぎず遅すぎずいい感じ。
 やはりイスの上に胡坐を組んでいる美紀子もテーブルの上のソーメンを器用に器にとって一口すすって、「お、うまいじゃん」と美味しそうな顔をした。
「前から思ってたけどみっきーも大変だね」
「んあ? なんで?」
 ソーメンをすすっている最中の美紀子が不思議そうに里奈を見た。
「だって親が二人とも帰ってこないんでしょ? 家事とか大変じゃない?」
 私だったらすぐに音をあげるに違いない。基本的に家事なんてお母さんに任せっぱなしでろくに手伝いもしてこなかったからやりかたなんてさっぱりだ。
「別にぃ、もう慣れた。お金だって銀行のほうには毎月ちゃんと入ってるし買い物も困ってないよ。自分のレシピが増えていくのも楽しいしね」
 自分で自分の世話をするのは当たり前じゃん、みたいな言い方に里奈は少し落ち込んだ。
 そういえば私って何が出来るんだろ、玉子焼き……とか? 確かに卵料理だけど何か違う気がする。今まで自分で自分の世話をするなんて考えたことも無かったけど、家出をするっていうのは多分そういうことなのかな。
 本当に自分はちゃんと自分の面倒を見ていけるのか不安になった。
「それに、これから一緒に暮らしてくれんだろ?」
 箸で里奈を指しながら美紀子はニカっと笑った。
 そうだ、これから美紀子と暮らしていくんだ。分からないことは少しずつ教えてもらおう。初めは迷惑ばっかりかけるかもしれないけど、きっとなんとかなるよね。
 そんなことを思いながら夕食は進んでいく。


 流れていく砂の城 繋げなかった左手 ただ夢だと良いなと 少し思った
 だって だって それは悲しいことだから
 そうさきっと飛べるはず 空はこんな蒼いから ただ夢だと良いなと 少し願った
 だって だって それは楽しいことだから
 見えない光で輝いて 
 見えてる気持ちに気づかずに
 また日が始まる 昨日よりも幸せを明日を想って
  

 美紀子の部屋に布団を敷いて寝ていた私は、そんな歌詞の歌と一緒に目が覚めた。
 コンポの電源を付けっぱなしで寝てしまったのか、ディスプレイ画面にいくつかの数字が光っている。
 コンポの持ち主はまだ自分のベッドで眠っているらしい。
 昨日の夜は布団に敷いてからも二人でわいわい話し合っていた。
 家出中でも親友と一夜をともにするのは楽しい気分になる。
 途中で美紀子が「最近このグループがお気に入りなんだ」と言ってかけ始めたのがさっきの曲。
 リズムがよくて、でもどこか悲しい感じがする曲だった。
 布団の上に転がりながら、少しだけ口ずさんでみた。
「見えない光で輝いて、見えてる気持――――」
「この曲気に入った?」
「うわっ!」
 いきなりベッドで寝ていたはずの美紀子から声がして驚いた。しかも歌ってるときに。
 かなり恥ずかしいんですけど!
 すかさず顔が真っ赤になった、ような気がする。
「いやぁ信者が増えることは喜ばしいね、うん。洗脳完了、みたいな?」
「……信者?」
 信者や洗脳など、なにやら怪しげな言葉が気になったが、「んじゃ朝ご飯行こうか」と彼女はベッドを飛び降りて部屋をさっさと出て行ってしまったので、里奈も一緒に部屋を出ることにした。


 その日、美紀子は朝からバイトのため、朝食を取ってから家を出て行った。
 本来里奈の中学校は基本的にバイトは禁止なのだが、夏休みのような長期の休みになると学校に隠れてバイトをする人が出てくる。
 美紀子もその一人で、彼女の場合は長期の休みといわず年中バイトを頑張っている。
 それでいて受験勉強だってちゃんとしているのだから驚きだ。
 以前にどうしてバイトをしているのかと聞いたところ、「だって親にばっかり頼るわけにいかないだろ」とはにかみながら答えた。
 ずっと前から彼女は家族のことを想って過ごしている。その頃から私は――――。
 美紀子が出て行ってから、すぐに私も家を出ることにした。
 これから世話になるといってもやはり他人の家であることに変わりはなく、家主が居ないのに居座っているのはどこか落ち着かない感じがしたからだ。
 こんなんでちゃんと暮らしていけるのかな…………私。
 未来に不安を覚えつつも寝巻きから外出用の服に着替える。
 前もって美紀子から「家を出るなら鍵はポストに入れといて」と言われていたので家の戸締りを確認した後、ポストの中に鍵を入れて家を出た。
 家出をしてから二日目。
 その日の朝は漫画かアニメに出てきそうなほど雲ひとつ無い気持ちいい青空だった。
 最も、今の季節は夏。
 少しくらいは雲が出てくれないと暑過ぎて困る季節。
 ただでさえ暑いのに雲一つ無いとかありえないって。
 アニメみたいに気持ち良さそうな顔なんて出来るわけないじゃん。この真夏の快晴の下でそんな顔してる奴が居たら馬鹿だよ馬鹿。
 そんなに私を虐めたいのか神様。Sですか? Sなんですね? 貴方はドSに違いない。
「あっちぃー……」
 暑さで脳味噌が若干溶けてきたのか考えが意味不明な方向へ進んでいく。
 里奈は元々夏は苦手なほうだ。寒いのは嫌い。暑いのはもっと嫌い。だから夏は毎年クーラーの利いた部屋でごろごろと過ごしていた。
 しかし今年はそういうわけにもいかない。今は家出中なのだから。
「せめて帽子くらい持ってくるべきだったなぁ」
 と、自分の不手際を恨んだ。帽子があればもう少し気持ちも楽だったかもしれないが、無いものをねだっても仕方がない。
 よって、里奈の足は自然と涼しい店の中へと進んでいくこととなる。
 たどり着いた店は昨日男の子の窃盗未遂事件が起こったスーパー。
 相変わらず温暖化問題を無視するような強すぎる冷房で肌は急激に冷えていくが、気温の上がる今の時間帯はこれくらいで丁度いい。
 里奈は特に何かを求めるわけでもなく店内をうろうろと歩き回った。
 本当ならアイスクリームコーナーにでも行って扉を全開にして全力で涼みたいところだが、流石に非常識すぎるので飲み物の並ぶ棚の前で涼むことにした。
 あー……涼しい……冷房とか考えた人は天才だよ、本当に。
 地球規模のクーラーとか誰か作ってくれないかなぁ。そうすれば夏の暑さで苦しむ事はないのに。
 なんて馬鹿なことを考えながら身を棚のほうへ近づけて涼み、ついでに飲み物でも買おうと並んだ商品を端から順番に見ていくことにした。
 リンゴ、オレンジ、ブドウ、ヨーグルト、コーヒー、うーん……よし、フルーツ牛乳にしよう。
 小さなパックを取ろうと右手を伸ばすと、指先がひんやりして気持ちいい。
 少しの間その格好のまま停止して、ようやくそれをレジまで持っていこうとした時に、
「離せよ馬鹿!」
 というやけに高い声が店内に響いた。
 あまりに突然すぎる声に里奈は一体全体何事かと少し混乱したが、すぐにその声に聞き覚えがあることを思い出した。
 ――またあの子か!
 声のした丁度店の出入り口のところまで走っていくと、昨日の男の子とその子の腕を掴んでいる店員らしい男性が騒ぎ合っていた。
 店員はしっかりと男の子を掴んで離そうとはしない。男の子は必死に体重をかけて掴まれた腕を離そうと頑張ってみても、腕が離れる気配はまるで無い。
「子供でも万引きくらい知ってるだろ、いいからこっち来い」
 店員が怒鳴った。
「離せ! 離せってば!」
 それは確かに大人と子供。昨日の里奈以上に力の差は明らかだった。
 見ると、また男の子のポケットにはパンが無理矢理に突っ込まれている。
 面倒ごとは心から勘弁してほしいと思う里奈だったが、昨日自ら面倒ごとに首を突っ込んだことを思い出した。
 そしてたった今、ほんの一瞬男の子と目が合った。
 目があってしまった。
 あぁ………………もうっ!
「すいません!」
 急いで店員の下へ駆けた里奈は勢いよく頭を下げた。
「その子、私の弟なんです。一緒に買い物に来たんですけどお腹が減ったというので好きなパンを選んできなさいって言ったんです。選んだらちゃんと待っているように言ったんですけどこんなことになって、ごめんなさい」
 言ってからもう一度頭を下げた。
「はぁ……」
 あまりに里奈が熱心に一生懸命謝るので面食らった店員は「次からは気をつけてください」と言って男の子の手を離した。
 店の奥へ店員が消えたのを確認して、ほっと一息ついた。
 まさか私がこんな漫画みたいなことするなんて…………美紀子に言ったらしばらく話のネタにされそう。
 一瞬考えて、大笑いしている美紀子の想像を振り払った。
「…………お姉ちゃん」
 いつの間にか足元まで来ていた男の子は申し訳なさそうな顔をしていた。
「君ねぇ、昨日私に捕まったばっかじゃん。人のものは盗んじゃいけないってちゃんと言ったっしょ? 何でまた同じこと――――」
「…………ごめんなさい」
 男の子はもう一度うつむきながらごめんなさいと言った。
 その姿を見ていると怒る気も無くなって、怒ってるほうが何か悪いことをしているような気がして、里奈はそれ以上言うのをやめた。
「いいよ、怒ってないから、あぁほらもう泣きそうな顔しないで」
 そう言っても男の子はうつむき加減のまま。
 どうすんのよこれ…………。
 周りを見ても誰がいるわけでもなく、助けを求められるような人は居なかった。
「と、とりあえずお金払っちゃおうか」


 フルーツ牛乳とぐちゃぐちゃに変形したパン。それと昼食用にもう二つパンを買って店を出た。
 冷房の効いた場所から外へ出ると、外の気温は変わっていないはずなのに店に入る前よりもずっと暑く感じられた。
「うわー、やっぱりあっちぃなー。ほんとに何とかしてくんないかなこれ!」
 少し大げさなくらいのリアクションで真夏の太陽に訴えてみても当然太陽は答えてくれるわけはなく、唯一今の声を聞いていたはずの男の子も相変わらず落ち込んだまま。
「ほら、君のパン。これ奢ってあげるから」
 レジ袋から変形したパンを取り出して男の子に手渡した。
「あ、そういえば名前なんていうの? 私は里奈っていうんだけど」
「……涼太」
「よし、涼太君。家まで送ったげるから一緒に帰ろ?」
 なだめるように優しく言ったつもりだったが、涼太は左右に首を静かに振ってその場を動こうとしなかった。
「大丈夫だって、万引きしたことは黙っといてあげるから怒られやしないって。多分」
 しかし彼はうつむき黙ったまま動かなかった。
 正直なところ子供は得意なほうではないことを里奈は自覚している。むしろ苦手なくらい、こうして黙られてしまうとどうしていいか困ってしまう。
 一体こんな時どのようにすればいいのかと美紀子に携帯でヘルプを求めようとした時、小さく服を引っ張られた。
 もちろん引っ張ったのは涼太だ。
「あっち」
 言いながら涼太は道路の道を指差した。
 あっちに家がある、ってことかな?
 さっきまで家には帰りたくないような仕草をしていたのに急に涼太が動き出したことを不思議に思った。が、それで彼が無事家に帰ってくれるなら問題は無い。
「おーけー、あっちだね。んじゃ行こっか」
 一緒に手を繋いで涼太の指差した方向へ歩いていく。

小さな子犬の鳴かせ方『3』

2008-08-02 | one day-小さな子犬の鳴かせ方-
「……ついた」
 どうやら目的地に到着したらしい。
 スーパーから歩き始めて十分くらい経ったところで涼太が足を止めてそう言った。
「ついた…………ってここ公園なんですけど!」
 二人はこの町にいくつかあるうちの中規模な公園に着いていた。学校のグラウンドくらいはありそうな広さで、すべり台やブランコなどの遊具もちゃんと置いてある。
 休日の昼近くということもあって近所の子供達で賑わっていた。
 キャッチボールをする子、追いかけっこをする子。遊具で遊ぶ子。していることはばらばらでも皆一様に楽しそうに笑っている。
 そんな子達の間を涼太に引っ張られるように歩いていって、公園の端にある休憩所のような場所に来た。
 子連れの親が休むために設けられたスペースであるらしく、木製のテーブルとそれをコの字に囲むように長イスが置いてあって、ちゃんと屋根まで付いている。まるで壁の無い小屋のようなところ。
 ただ公園の端という目立たない場所にあるせいか人気はなく、テーブルの上には砂埃が積もっている。
 それから随分長い間ここに人が集まっていないことが見て取れた。
 涼太は里奈から手を離すと長イスの横にしゃがみこんでパンの袋を開けた。
 まさかその場所、その体勢で食べるのかとドキリとしたが、よく見てみるとイスの下で何か小さな白いものが動いているのが見えた。
「……子犬だ」
 小さな白い子犬が一生懸命に涼太の持つパンを食べている。
 あのパン、この子犬にあげるためのやつだったんだ……。
 涼太と子犬が見られるように彼らとは反対側のイスに座って、しばらくその光景を眺めていた。
 子犬は本当に美味しそうにクリームパンを食べている。勢いが良すぎたのか鼻の辺りにクリームがちょこんと乗っていた。
 食べ終わって子犬はご馳走様でしたとでも言うようにキャウと吠えた。
「その子犬、名前なんていうの?」
「マリン」
 涼太がマリンという名前らしい子犬を抱えて里奈の隣に座った。
 なるほど、確かに良く見てみると目の色が青っぽく見える。
 名前を呼ばれたと勘違いしたのかマリンはまたキャウと吠えた。
 くぅ~。
 ついでに、涼太のお腹の虫も鳴いた。
「えっと、私たちもお昼にしよっか、食べる?」
 レジ袋から昼食用に買っておいた二つのパンを取り出す。
 もちろん両方とも自分用に買っておいたものなのだけど、見れば涼太に昼食用の食べ物があるようには見えなくて、家にも帰りたくないというのだから仕方がない。
 お腹のすいた子供を放っておくわけにもいかないしね。
 遠慮がちにも涼太はたまごサンド受け取って、里奈はくるみパンを持って一緒に食べ始め、ジュースは涼太にあげることにした。
 マリンは涼太の膝の上で鼻についたクリームを頑張って取ろうと何度も鼻をこすっている。
「そういえばさ、涼太君なんで家に帰りたくないの?」
 訊いてはみたものの、里奈はこの質問に少し躊躇があった。
 家に帰りたくないということはやはり家庭の中で何かがあったのは間違いない。となればこの質問はこの子の嫌な記憶を思い出させるに決まっているからだ。
 案の定涼太は質問に答えてくれなかった。気のせいかほんの少し表情が影に落ちたような気がする。
 まずった……!
 そう確信できた。
 何か取り繕うような言葉は何か無いかと探してみても、一体どんな言葉をかけてあげればいいかなんてものはさっぱり浮かんで来ない。
 そして沈黙。
 一度だけマリンがくしゅっとくしゃみをした。そのくしゃみはとても可愛いものだったのに、やはり心は落ち着かなかった。
 たまごサンドを食べ終えた涼太は、すっかりクリームの取れた鼻を押さえているマリンを抱いた。
「あー……えー……っと……それじゃ、私帰るね」
 ゴミをレジ袋の中にまとめて立ち上がろうとしたとき、涼太が里奈の服を掴んだ。
 それは、振り払おうと思えば出来るほど弱い力だった。
 それは、空気がひどく悪くなって、逃げようとした里奈を捕らえておくための手ではなかった。
 それは、涼太が振り絞った最後の勇気だった。
「涼太……君」
 里奈はその手が小さく震えてることに気づいて、帰るのをやめてイスに座りなおした。
「何?」
 尋ねてみる。
 しかしそれに返事はなく、ただ沈黙が流れていく。
 少し、里奈の服を掴む手が強くなった。
「どうしたの?」
 もう一度訊いてみる。
 蝉の耳に響く鳴き声と、時々鳴くマリンの声だけが今里奈の耳に届く唯一の音。
 遠くのほうで遊んでいる子供達の声は届いてはこない。
 それほどその空間は孤立していた。
 この子は何を考えてるんだろう、と考えてみる。
 こんなに小さな子がここまで何か思いつめるようなことがあるだろうか?
 私はお気楽な小学校時代だったから、涼太が何を考えてるかなんてさっぱりわからない。
 うーん……あぁ、算数のテストがあるって忘れてて授業の十分前に気づいたときはどうしようかと悩んでたかもしれないなぁ。
 でも…………絶対に違うと思う。
 そんなことでこんなにはならないだろう。
 まして家に帰らなくて、万引きまでして…………?
 家に帰ってない?
 ということは多分昨日も?
 だから夜にお腹が減って万引きしようとしたのか……。
 あの後、この子はどうしたんだろう。
 家に帰っていない夜。いったい何処で寝る?
 私は親友の家があった。じゃあこの子は――――。
 次第に日は傾き始める。
「……………………僕…………」
 ようやく、涼太は硬く閉じていた口を開き始めた。

―――――――――――――――――――――――――――

 一人の少年がいた。
 少年は幼い頃に母親を亡くして、ずっと父親と二人で暮らしていた。
 朝に少年を保育園へ届け、ひたすらに仕事をこなし、夜遅くに息子を迎えに行く父親は毎日がとても辛そうだった。
 夕方になると園の子供達は皆揃って親に迎えられて帰っていく。
 少年一人が最後まで残っていることは珍しくは無かった。辛くは無い。ただ寂しいだけ。
 それでも辛そうな父親の顔を見ていると、寂しい表情なんて見せられなかった。
 だから無理して笑ってみせた。
 少年はこのとき、既に嘘をつくことを覚えていた。
 父親のために、嘘をつくしかなかった。
 まるで生活が作業であるかのように、同じ毎日が繰り返されていく。
 次第に寂しさに慣れ始め、本当の笑い方が分からなくなってきた頃、父親が再婚した。
 会社で知り合った女性で、彼女も夫を亡くし娘と二人暮しをしているという。
 その日から少年に母親と、初めての姉が出来た。
 母親。少年にとってのお義母さんはその少年のことを自分の息子のように愛した。
 心から笑うことの出来なくなっていた無愛想な少年に、母親は何度も笑顔を向けてくれた。
 それは間違いなく純粋な笑顔であり、次第に少年の凍りついた心を溶かしていった。
 再婚したことで父親は家庭の家事の負担が減り、顔色は随分良くなって、それは少年にとっても嬉しいことだった。
 七つ離れた姉はとても優しい人で、少年のことをまるで本当の弟のように可愛がっていた。
 一緒に行動をして、彼女が笑えば少年も笑った。少年は本当に楽しそうに笑っていた。
 保育園には姉が送り迎えをしてくれることになっていて、ちゃんと夕方になると迎えにきてくれる。
 それが少年には嬉しくてしかたがなかった。
 初めて彼女に買ってもらった帽子をいつも笑顔で被っていた。
 小学校にあがってから、姉はよく勉強を教えてくれた。
 覚えが悪い少年を見捨てることもせず、勉強する時はいつもとなりで教えてくれる。
 分からなかった問題ができるようになると、少年よりも彼女のほうが喜んだ。まるで自分のことのように嬉しそうだった。
 確かな幸せがそこにあった。
 ずっとずっと、そんな幸せが続くように思っていた。
 ただ漠然とした未来を、想っていた。

 状況は一変する。
 小学二年生の夏。少年にとって唯一の姉が死んだ。
 元々体の強くなかった姉はこの町で一番大きな病院にずっと通院していて、その日の朝、発作が起こった。
 心臓の病気。
 生まれつき普通の人よりもずっと組織が脆く、まともな治療も出来ない体をしていていつ死んでもおかしくない状態だと告げられていた。生後三ヵ月のことだった。
 医者からは持って二年だと言われていた体を、それでも彼女は十五年という長い月日の間もたせてみせた。
 いつ死ぬかもしれない、明日は無いかもしれないという状況で十五年というのはひどく長かっただろう。
 それなのに、彼女は少年にずっと笑顔を見せてきた。
 少年だけじゃない。きっと皆に笑顔を見せていたはずだ。
 死ぬ直前だっていうのに、彼女は全然苦しそうじゃなかった。
「私はみんなのために笑ってたんじゃないから、楽しかったから笑えたんだよ」
 そう言って彼女は居なくなった。
 それから、家に笑顔が消えた。
 ぽっかりと心のどこかに穴が開いたように。
 相変わらず母親は優しかったが、どことなく不自然な笑顔をしていた。
 無理矢理作っているような、そんな笑顔。
 でも、どこか悲しそうだった。
 そんな悲しみを少しでも紛らわそうと父親が子犬を買ってきた。小さな白い子犬。
 少年は子犬と仲良くなって少しずつ笑顔を取り戻していったが、大人たちはやはりすぐに立ち直る事は出来なかった。
 少年と子犬が足元まで寄り添ってきても、大人たちは薄い笑顔を浮かべて少量のお酒をあおる事も少なくはなかった。
 姉が死んでから数日がたった日のこと。
 その日の休日、少年は母親に買い物を頼まれて外に出た。
 姉とよく一緒に行ったスーパーに行って買い物をしてきてほしいと言われたからだ。
 サイフと買い物リストを両手に持って母親に見送られながら白い子犬と一緒に外に出ると、道を三分の一ぐらい行ったところでお気に入りの姉に買ってもらった帽子を被っていないことに気づいてすぐに引き返した。
 その帽子を被っているといつも姉といるような気がして、出かけるときはいつも被っているはずなのにその日に限って忘れてしまった。
 急いで家に戻って、靴を脱いで自分の部屋へ向かう途中の廊下で誰かの大きな声を聞いた。
 思わず足を止めて、その声の場所を探してしまう。
 その声はリビングのほうから聞こえてきていた。
 リビングを少し覗いてみると、そこに少年の両親がいた。
 母親は今まで少年に見せたことの無い形相をしていて、対面する父親もまた怖い顔をしていた。
 心の中で誰かが聞くなと囁いたのに、少年はその場を動くことが出来なかった。動けなかった。
「どうして…………どうしてあの子が死ななきゃいけないの。あの子は何も悪くないのに!」
 母親が狂ったように叫ぶ。
「いい加減にしないか!」
 父親もまた同様に、しかし冷静に怒鳴った。
「俺たちにはまだ涼太がいるじゃないか! あの子を精一杯愛してやれば――――」
「涼太は! あの子は私の本当の子じゃない! 本当の子はまりなだけなの! あぁまりな……どうしてあなたが……」
「君の気持ちはよく分かる。俺だってまりなのことを悲しんでいないわけがない。でも、それを嘆いたところでまりなは帰って来ないんだ」
「そうよ、あの子が死ぬことはなかったんだわ! 代わりに! まりなの代わりに涼太が―――」
 キャウッ。
 母親の声に驚いて子犬が吠えた。
 連鎖的に少年がその声に驚いて肩をびくっと振るわせ、その時肩が扉にぶつかって開いてしまった。
 母と子。
「……りょう…………た? どうして………………」
 目があった。
「ち……違うの…………涼太…………今のはそういう意味じゃ…………」
 その声はひどくか細く、泣声に近い。
 母親が一歩近づくたびに、少年は一歩後ろに下がり、やがて走り出した。
 何も見えないように、何も聞こえないようにただ一心に逃げた。
 今までの全てを否定されたような、そんな気がした。

―――――――――――――――――――――――――――
「サイフはその時に落としたみたいで、でも家に帰るわけにもいかなかったから、人のものを盗んで食べるしかなかった。もちろん悪いことだって分かってたけど他にどうしようもなかった」
 涼太は自分の境遇を淡々と語った。
 小学生という実年齢よりもずっと大人びた物言いは彼の育ち方から来たものなのだろう。
 今まで死なんてものはテレビや漫画の世界のものだと思っていた。でも涼太はこんな幼い頃に人の死を体験している。
 それがどれほど心に傷をつけるものなのか、里奈には分からなかった。
 ただ、凄く大きなものだということは漠然と理解が出来た。
 例えば、涼太という少年とか。
 陽は刻々と夕日へ近づいて、あれほど凶悪だった陽の光も幾分和らいできている。もうすぐ太陽はオレンジ色に光りだすだろう。
 公園で遊んでいた子達も一人、また一人と姿を消して、やがて一人も居なくなった。
 友達と帰ったり、親子で手を繋いで帰ったり、あるいは兄弟、姉妹で仲良く帰ったり。
 皆帰る家がある。帰るべき場所がある。
 それは決して、こんな小さな子から奪ってはいけない場所のように思えてならなかった。
「お義母さんもさ……辛かったんじゃないかな。突然愛する子どもが死んで、何がなんだか分からなくなって、心の整理がまだついてなかったとか」
「うん、本当は分かってた。お義母さんは僕の本当のお母さんじゃないけど、いつだって優しかった。ただあの時は興奮して、つい口が滑っちゃったんだって。そういうことって、きっと誰にだってあると思うんだ。だからお義母さんは悪くないよ」
 わかってはいても家に戻ることが出来ないのは母とどう接すればいいのか分からないからだろう。
 涼太がマリンの頭をそっと撫でると、マリンはくすぐったそうに、でも嬉しそうにクーンと鳴いた。
「実はさ、私も家出中なんだよねー」
 言うと涼太は「え?」と里奈の顔をポカンと見上げた。
「うちの父親が私がテニスをすることに反対してたんだ。でもお母さんに説得してもらって私が無理に学校の部活でテニスを続けて、昨日中学最後の試合があったんだけどボロ負けしちゃって。それで家に帰ったらお父さんがなんて言ったと思う?」
「………さぁ?」
「無精卵はいくら暖めても孵らない、だってさ。あぁ無精卵っていうのはスーパーとかで売ってる卵のことなんだけど。とにかくその言葉がやたら頭に来て家を飛び出したってわけ」
 涼太はどうして突然里奈がそんなことを話し始めたのかと不思議に思った。
 しかし里奈は続ける。
「でもさ、よく考えてみれば私って人から頑張ってるって思われるほど努力もしてなかったと思うんだ。だって部活なんて週に三回しかなくて、部活中だって誰かがどっかから持ってきたバレーボールとかで遊んでたりしてたもん。そりゃあ負けて当然ってね」
 里奈の通う学校のテニス部はこの辺りの学校では群を抜いて弱小校。
 顧問もほとんど来ない幽霊みたいなもので、テニスコートだって一つしかない。
 週三回の練習でも部活中にバレーやらサッカーやらをして遊んでいる時間のほうが長いくらいの御気楽クラブだ。
 里奈がテニス部に入った理由の八割は『楽そうだから』である。
 しかし流石に最後の試合となると名残惜しいような気がして少しだけ一生懸命頑張ってみた。
 が、スポーツの世界は甘くなく、一週間そこらの練習で勝ち進めるようなものではない。
 その事は十分に承知していたはずだったのにいざ父親に言われてみるとカチンだ。
「それは……お姉ちゃんが悪いんじゃないかな……」
「あはは、私もそう思う」
 里奈は笑った。それは自嘲ではなく、笑い飛ばしてしまうような笑いだった。
「ねぇ涼太君。お姉さんのこと好き? あ、私じゃなくて涼太君のお姉さん」
「うん!」
 涼太は元気に頷いてみせる。
「そっか。じゃあお姉さんはさ、涼太君が家出して、喜んでると思う?」
「………………」
「私はそう思わないなぁ。だって親子ってもっとこう…………一つ屋根の下っていうか、一緒にいるべきじゃん?」
 何だ私、ちゃんとわかってるじゃん。
「お姉さんは涼太君にもっと笑ってほしいんじゃないかな」
 本当は気づかないふりをしていただけ。
 心の中ではちゃんとわかっているのに、うまく伝えられないだけ。
 ちゃんと言えるようになればきっと――――。
「でも…………」
 涼太は声を絞り出すようにして呟いた。その声は少し震え気味で、膝元のマリンが心配そうに鳴いた。
「どうやってお義母さんと話せばいいのかわからない……」
「それは…………」
 一瞬言葉に詰って視線を涼太から公園へ移すと、
「……多分大丈夫っぽいよ?」
「涼太!!」
 女性が見えた。丁度里奈の母親と同年代くらいの女の人が何度も涼太、涼太と言いながら走ってくる。
 ずっと走ってきたのか額には大粒の汗を浮かべているが、そんなことは気にする様子もなく里奈たちの居る公園の一角まで走ってきた。
「……お義母……さん……」
 涼太のお義母さんだった。
 涼太の前まで来ると、母はすぐに涼太を抱きしめた。
「……よかった……無事で本当によかった…………涼太まで居なくなったら……私……」
 涙を流しながら強く強く息子を抱きしめる。
「お義母さん、どうして……」 
「涼太が出て行ってからすぐに探したのに見つからなくて、でもさっき涼太がここにいるって聞いてそれで……本当によかった……涼太……」


「そういえばさ、どうしてあの時私の服掴んだの?」
 親子が仲良く手を繋いで帰ろうとするしたときに、少し気になったことを聞いてみた。
「なんていうか……お姉ちゃんが僕のお姉ちゃんと同じ感じがしたんだ。雰囲気っていうのかな、優しい感じの」
「ふーん、それは私が優しいってことでいいのかな?」
「うん!」
 涼太は頷いた。
 母親は何度も「ありがとうございました」と里奈に頭を下げて、公園の出口のほうへ涼太と一緒に歩いていった。そこには確かに愛があった。まるで目に見えるような愛。
 公園から出る直前に涼太が振り向いて、
「またね!」
 と大きく手を振ってくれた。同じようにマリンも可愛らしい声でキャウと吠えた。多分涼太と同じことを言っているのだろうと感じて、「私犬語分かるかもしれない!」なんて思ってみた。
「おー! またなー!」
 里奈も手を振って涼太に答える。次第に二人、それと一匹の影は遠のいて行って、そのうち見えなくなった。
「よし、それじゃ私も帰ろっかな」
 大きく伸びをしてから、里奈も歩き出した。
 結局美紀子のとこにはいつもどおりお泊り旅行になっちゃったなぁ。
 でもま、楽しかったからいっか。また泊まりに行こう。
 とりあえず考えなきゃいけないのは帰ってからなんて言おうか、だ。
 どうせあの父が謝るわけないんだから私が謝らないと。でももしかしたら……万が一……億が一くらいで、少しくらいは可能性が……ね?
 里奈もまた家に向かって歩き始めた。


 傍にある。
 支えあって、時々喧嘩して、でも仲直りして。
 小さいのに大きなそれは、見えないけど大切なもの。
 それを抱えてみんな生きていく。

先に書くあとがき

2008-08-02 | one day-小さな子犬の鳴かせ方-
ども、そういえばかなああり前にこの小説のためのカテゴリを作ってから放置しすぎたと反省しているポコピンです。
こんばんは。

多分いろいろテストとかはさんで出すタイミングを失ったんだと思います(´・ω・`)
この作品は我がポコピンの通う大学の文芸部が大学祭の出展時に販売する本に掲載される予定となっている作品です(日本語あってる?
夏の終わりごろ(8月20日くらい)に皆の書いた作品の批評会のようなものがあって、
それが終わっていろいろ編集してからUPしようかなとも思っていたり。
でも面倒だったので先にUPしました(´・ω・`)


見ての通り今作は文芸部の規約によってものすごおおおおおく短編です。
大体10日くらいで書き終えましたよ。
構想3日、製作10日、編集2日。
多分こんな感じ。
先ほど確認したところ、今期の我が文芸部の作品集の中では最大のページ数です
・・・これで最大ページとかもうどんだけかと(’A`)しっかりしてくれ


内容は初の文芸部投稿ということもあってかなり無難です。
途中の夕食をソバにしようかソーメンにしようかを3日悩んだのは今となっては良い思い出。
(音が良かったのでそーめんになりました)
このそーめんもひらがなにするかカタカナにするか悩んだり(´・ω・`)
ポコが始めてワードの置換機能を使った作品である。
本当はもっとどんよりしていてどうしようもなく救えないお話なんかも書きたかったのですが、
それをこのページ数で収める自信はまったくなかったので、それはまたの機会に。


さて、『one day-小さな子犬の鳴かせ方』はいかがでしたでしょうか。
面白かったら笑ってください。
つまらなかったら笑ってください。
皆様に両手いっぱいの幸せが訪れますように。
(大好きな作家のあとがきより)