先日のとある夕方、何を考えることもなく、トンレサップ川の川沿いの石畳を歩いていると、突然、「ドーン、ドーン」」「パチパチパチ」と大きな音を響かせて、豪快に、豪華絢爛な「花火」が始まった。そう言えば、昼間に会った「おばさん」が、今日は何かの祝日だ、と言っていたのを思い出した。
「花火」があるにしては、交通渋滞もなく、人の混雑もない、日常とそう変わりない様相だった。若干、歩いている人が多かったかな。
カンボジアに入国して、1ヶ月ほど経ったころ、「カンボジアの正月」だというので、深夜に街中を散歩してみた。警官の数は少し多かったが、何の催し物もない「静かな正月」で、少し拍子抜けした。
「 静かなお正月だったね」私は、ホテルのスタッフに漏らした。ベトナムだったら、深夜から花火を打ち上げて、道路は集まってきた住民のバイクで渋滞して大変だよ」
すると「みんあ田舎に帰っちゃうからね」と、ホテルのスタッフは、そっけない。
ベトナムだって「チャイニーズ・ニューイヤー」には、たくさんの住民が帰省する。それでも、ホーチミンの残った者たちで盛り上がる。それがベトナムである。
そして、今回、このプノンペンでの突然の花火である。それでも、プノンペンの住民は、はしゃがない。
ずっと「大人な」印象である。
「花火,」は、結構長い時間続いた。突然始まったので、きっちりと時間は計れなかったが、優に30分以上あったように思う。奈良の生駒の例年の花火に匹敵する時間と数量である。ベトナムの「花火」が毎回、15分できっちりと終了する、そんな量ではなかった。ベトナムの 3回分を 1回にまとめたっていう感じだった。
後で、はてさて、今日は何の祝日だったか、と調べてみると、「シモハニ国王の誕生日」だった。さすが「王国」である。これは、「価値観」の問題だから、一概にどうこう言えないけれど、「国王の誕生日」は「新年」を上回る、ということか。あるいは、うがった見方をするならば、「新年」は、「忖度」して、「花火」をあげて祝う必要はないけれど、「国王の誕生日」は、「国王の取り巻き」が「国王のお気持ち」を「忖度」して、「豪華な花火」を打ち上げて、お祝いしているのではないかとと思うのである。
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