「消費税」を廃止したら――“ニッパチの理論”
消費税は廃止すべし――などと吹くと、およそ8割の人口は「それなら財源はどうするんだ?」と半ば嘲笑も交えて反論の声が飛び交うだろう。この、戦後、全日本国民がまったく経験のない空前の物価高に喘ぐ中、減税論が声高に吹き荒れるが、さりとて、さすがに「消費税の廃止」は論外、との考えが大半を占めていることだろう。消費税をなくしたら、政府は財源をどう確保するのか?、いくら何でもそれは無茶苦茶な話だと。
しかしここに落とし穴がある。その「思考」こそが政府の思惑に貶められて久しい日本国民の実情であることに8割以上が気づかないでいる。
“ニッパチの理論”が示す消費税不要
消費税はなくても財源は確保できる――これが結論だ。
日本はアメリカなどと異なり、従来、消費税はなかった。では政府は財源はどう確保していたか? 簡単なことだ。「直接税」がある。そう、日本は直接税で財源を得ていたのだ。極端に言えば、「直接税」とは金持ちから「多くの税金」を収めてもらい、庶民からは税金を取らない税制のことである。
とても当たり前のことだが、昭和期を生きてきた高齢者ですら、8割以上の人がこの事実への認識がほとんどない。消費税無しで日本は高度成長してきたのだが、そのド真ん中に当時いた人らがなぜかその事実への意識が乏しい、日本は世界の中で唯一、消費税のない、換言すれば大型間接税のない国――であったという事実への評価が。
海外の有名な著名な経済学者らが異口同音に日本を褒めちぎったのはこの「直接税主義」の日本の税制にあった。金持ちからは税金は巻き上げるが、そうでない人からは無差別な税金の支払いは要求しない、というものだ。
それでは、たとえば消費税を廃止し、昭和の頃のような直接税主義に戻しても大丈夫なのか? 今は令和の時代、昭和とはちがう。時代もちがうのだから、「昔」を持ち出すのは見当違いだろう、そう考えても無理はない。しかし一方、そう反論する人は“ニッパチの理論”をご存知だろうか?
「2:8の法則」
「2:8の法則」とも呼ばれるマーケティングのセオリーを。
「2:8の法則」はポートフォリオ理論と同様に古典的なマーケ理論だが、今日にも適用の不変の法則である。私は広告代理店にいた時、この“ニッパチの理論”をいたく体現した。あらゆる分野にこの「ルール」は適用できるし、されていて、私は日常を過ごしているのだと。会社も生活も思考もすべてがこのルールの元に成立しているのだと。
“ニッパチの理論”を見つめれば、大型間接税、つまり消費税は不要であることに気づく。
この経済理論を我々の日常で示すと、次のような例が挙げられる。
凡例:
会社のセールスを競う部署に10人の営業マンがいたとしよう。その部署では月間で100万円の売り上げがあったとして、これは10人がそれぞれ10万円ずつ売り上げての総計100万円であることはまずあり得ない。ほとんどの場合、10人中、2人が80万円を売り上げ、残りの8人が20万円を売り上げているのだ。つまり、売り上げに貢献しているのは少数の2割の「トップ・セールスマン」であり、多数の8割は「負け犬」である。
つまり、8割の営業マンは役立たずであり利益をもたらすわけでもなく、単に枠組みの形成に影響を与えている以外に何の存在価値もない。いわば給料泥棒でもあり、2割のトップ・セールスマンのおかげで給料を得ているともとれるものだ。このことはセールスに限らず、すべての「状況」に適用できる。営業部署や開発部門など企業だけでなく、日々のスーパーでの買物なども含まれる。

消費税は廃止すべし――などと吹くと、およそ8割の人口は「それなら財源はどうするんだ?」と半ば嘲笑も交えて反論の声が飛び交うだろう。この、戦後、全日本国民がまったく経験のない空前の物価高に喘ぐ中、減税論が声高に吹き荒れるが、さりとて、さすがに「消費税の廃止」は論外、との考えが大半を占めていることだろう。消費税をなくしたら、政府は財源をどう確保するのか?、いくら何でもそれは無茶苦茶な話だと。
しかしここに落とし穴がある。その「思考」こそが政府の思惑に貶められて久しい日本国民の実情であることに8割以上が気づかないでいる。
“ニッパチの理論”が示す消費税不要
消費税はなくても財源は確保できる――これが結論だ。
日本はアメリカなどと異なり、従来、消費税はなかった。では政府は財源はどう確保していたか? 簡単なことだ。「直接税」がある。そう、日本は直接税で財源を得ていたのだ。極端に言えば、「直接税」とは金持ちから「多くの税金」を収めてもらい、庶民からは税金を取らない税制のことである。
とても当たり前のことだが、昭和期を生きてきた高齢者ですら、8割以上の人がこの事実への認識がほとんどない。消費税無しで日本は高度成長してきたのだが、そのド真ん中に当時いた人らがなぜかその事実への意識が乏しい、日本は世界の中で唯一、消費税のない、換言すれば大型間接税のない国――であったという事実への評価が。
海外の有名な著名な経済学者らが異口同音に日本を褒めちぎったのはこの「直接税主義」の日本の税制にあった。金持ちからは税金は巻き上げるが、そうでない人からは無差別な税金の支払いは要求しない、というものだ。
それでは、たとえば消費税を廃止し、昭和の頃のような直接税主義に戻しても大丈夫なのか? 今は令和の時代、昭和とはちがう。時代もちがうのだから、「昔」を持ち出すのは見当違いだろう、そう考えても無理はない。しかし一方、そう反論する人は“ニッパチの理論”をご存知だろうか?
「2:8の法則」
「2:8の法則」とも呼ばれるマーケティングのセオリーを。
「2:8の法則」はポートフォリオ理論と同様に古典的なマーケ理論だが、今日にも適用の不変の法則である。私は広告代理店にいた時、この“ニッパチの理論”をいたく体現した。あらゆる分野にこの「ルール」は適用できるし、されていて、私は日常を過ごしているのだと。会社も生活も思考もすべてがこのルールの元に成立しているのだと。
“ニッパチの理論”を見つめれば、大型間接税、つまり消費税は不要であることに気づく。
この経済理論を我々の日常で示すと、次のような例が挙げられる。
凡例:
会社のセールスを競う部署に10人の営業マンがいたとしよう。その部署では月間で100万円の売り上げがあったとして、これは10人がそれぞれ10万円ずつ売り上げての総計100万円であることはまずあり得ない。ほとんどの場合、10人中、2人が80万円を売り上げ、残りの8人が20万円を売り上げているのだ。つまり、売り上げに貢献しているのは少数の2割の「トップ・セールスマン」であり、多数の8割は「負け犬」である。
つまり、8割の営業マンは役立たずであり利益をもたらすわけでもなく、単に枠組みの形成に影響を与えている以外に何の存在価値もない。いわば給料泥棒でもあり、2割のトップ・セールスマンのおかげで給料を得ているともとれるものだ。このことはセールスに限らず、すべての「状況」に適用できる。営業部署や開発部門など企業だけでなく、日々のスーパーでの買物なども含まれる。

消費税は大金持ち庇護の詭弁的税制
上の事例を税制に置換してみよう。
政府の一カ月の必要な財源をわかりやすく「十億円」とする。人口を一億人としよう。大型間接税、現在の消費税だと、国民一人から十円を徴収して必要な財源十億円が確保されることになる。
しかし、これらには十円などなんともない大金持ちが2割含まれている。そして残りの8割は十円を“大金”と考える庶民だ。腐るほど金のある大金持ちも十円に泣く庶民も同じ国民にはちがいないと一まとめにして税金を取るのが今日の「大型間接税主義」である。
対して、2割の大金持ちから八億円を取り、残りの二億円を庶民らに負担を仰ぐ、というのが「直接税主義」である。この事例からとれば、消費税というのは国民が本来払う必要のない税金を徴収するための「インチキ道理の仮面をかぶったぬいぐるみ」であることがわかる。日本にすれば必要のない税制だったのに、アメリカの口車の乗せられ、1989年(だったかしら?)消費税3パーセントを導入してしまった。97年5パーセント、今日は10%だ。
繰り返すように、消費税というのは大金持ちを庇護するための制度である。政治家さんらもまーまーのお金持ちさんなので自分らも庇護している、というわけだ。消費税に代表の大型間接税の促進は、金持ちや大金持ちを庇護するための詭弁的政府の策略とよく理解しよう。
「もし消費税を廃止したら、政府の予算はないじゃない」との巷間の風に、大金持ちの人々はそんな声に「まさしくその通り」と嘘吹き、腹中でほくそ笑んでいる。