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撮影・Shigemi TakamatsuのLIVE映像の紹介 from 10/Apr'06

私は原発反対運動家ではありません!!!

2011-04-02 | 福島原発事故
平井憲夫さんの告白文です

二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

筆者「平井憲夫さん」について:
1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
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何処も彼処もこの様な状況

2011-04-02 | 東北地方太平洋沖地震


今朝ツイッターで震災地ボランティアの状況を伝えているBlogを拝見しました。

何処も彼処も同じような事になっていると思いますので一部転載いたします。
<いわきEricoのブログよりhttp://ameblo.jp/cafeaulaitcup/>

3月25日
いわき市の物資の集配所になっている「いわき市平競輪場」に行きました。
そこには、全国から届けられた物資が有りました。
行くと、ひと・まち未来会議の橘あすかちゃんが居ました。
彼女は、地元のお祭りや花火大会の実行委員会のメンバーで
実業家でもあります。
何やら数人で、話し合っていましたが
次から次に人も来て、取り付く島もないような感じでした。

しばらくして、話を聞くと
物資は届いていますが、システムもないまま個人からの救援物資も受け入れたらしく
どう見てもうまく機能していませんでした。

個人からの救援物資は、段ボールの中に食料も日用品も一緒になって入っています。
それを仕分けし、分類するボランティアを募集しているとのことで行ったのですが
これもまた、受入れ体制の整わないままの、言わば見切り発車だったようです。

担当者は分からない(誰が職員で、どこの何の人なのか)、
仕事もはっきり決まっていない
何かしたいと競輪場にやって来たボランティアを仕切る人が居ない。
物資は当初来たものから、整理も出来ず山積みの状態だったようです。
どんどん来てしまって、整理できるような状態ではなかったという事です。
そこも戦場だったのでした。

二日前に、あすかちゃんが見に来て、やっと物資の4割の「置き場所」は整理したとのことでした。

しばらく見ていると
機能していないのが分かり
組織体制作りからしなければならないと思いました。

平競輪場は、広い。
その地下駐車場が丸ごと物資置き場になっているんですから、巨大な倉庫です。
普通は、物流のプロでないと管理できないと思いました。
その時点で、避難者の数はおおよそしかわからない。確か9000人ぐらいでした。

自衛隊が食料を持ってきて運ぶのも同じ場所です。
誰が誰だかも分からない。
ボランティア受付をボランティアがするという状態でした。
その時は、なぜ?と思いましたが、そうするしかない状態だったのです。

私は、愛知万博のディレクター経験から
ボランティアをエリアごとにリーダーを決めてまわす
簡単な体制を作ろうと思いました。

そこから、私の競輪場 通いがはじまりました。



2011年04月02日

posted by cafeaulaitcup

私を、支援してください
テーマ:大震災
震災後、地元人として
自分よりもっと困っている方へと
バタバタと出来る事を出来るだけで動いてきましたが

被災地と被災者の状況は
刻一刻と変化しています。

それは、様々な情報を整理していると感じます。

昨日、欲しかったものが
今日は要らなくなったりすることもあります。

命を繋ぐ救援から
避難所などの生活の質を上げるQOLにシフトして行っています。

被災の程度が全く違うので
地域や避難所でも大きく差が出ています。

人数の多い避難所は、区長さんもいて、小さな村となっています。
またあるところは、学校のようです。
個人で救援のための物資を送るのは、今は止めた方がいいと思います。
ニーズが変わって、マッチングが非常に難しくなっています。
個別に欲しいものを聞かないと、必要なものはお届け出来ません。

私たちは、地元のもので任意団体を作り
避難している方の必要なものを聞き、出来る限り直接届ける努力をしています。
頂いた物資が、出来るだけ、必要な方に届くように。
膨大な量ですけれど。


現場は今
救援から支援の段階にあると思います。

「復興」と言う言葉を使うのは
まだ早いです。


昨日、アパートの水が出ましたヾ(*^▽^*)ノ
水が出なかったので、ずっと主人の実家の和室に居候しています。

家賃も心配です。
ボランティアをしていたら、収入も入らない。
仲間みんな、今は自分が生きるための収入をどう得るかというのが悩みどころ。
みんな、仕事が欲しいです。

どなたか、私の活動を
私を、支援してください。
  
たとえば
臨時雇用して頂ければ
自分は生活していける。
(県外、海外の企業だと望ましいと思っています)

その他の支援活動に専念できます。
規模は小さくても、支援事業を展開していけます。

仲間は
任意団体
「がんばっぺ!!いわき!!のがんばっぺ隊」です。

地元の若者が集まっています。
フェアトレードコーヒーの輸入販売や
印刷関係、地元のネットTVの制作会社など様々です。

それぞれに、仕事で持っていたノウハウを活かして
地元の被災者のための活動をしていました。

私は、そこに、仕事を生み出したい。 
そして、さらに、もっと大変な被災者のお手伝いをしたいのです。  

地方自治体の機能も上手く動いていません。
私のようなボランティアで行ったものが、
現場で、自衛隊さん、市の職員さん、議員さんらと話し、次の作を一緒に考えています。

地元の企業が元気になれば
地元で助け合えます。

瓦礫撤去隊や
お話聞き隊(孫のようにお話を聞く、カウンセリングやセラピー)
被災地からの動画での情報発信
映画上映なども考えています。

未曾有の災害で何もかもが実験のような状態です。
馬鹿なことと思われるかも知れません。

でも、出来る事からやってみるしかないと思いました。

どうぞ、これを読んだ方で
少しでも話を聞いてみたいと思われた方は
メッセージまたは、ついったーでご連絡ください。

よろしくお願い致します。


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