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DoaU315日目_Part1_牛肉と舞茸の豆豉炒め丼

2010-01-09 18:42:56 | レシピ
1/9(土)

Ding an sich
どうもこの単語が昨日からアタマに鳴り響く。
物それ自体
直訳すれば、こんな日本語になる。
18世紀のドイツ人、イマヌエル・カントが使いはじめた言葉。

物を認識するということ、それは哲学の大問題であった。
目を閉じた時に、それまで見ていた物が存在するか、
見えていないからそれを証明できない、
そう考えるのである、認識論では。
そこでカントは言う。

物自体を認識することはできない、人間の認識が現象を構成するのだ
つまり、物があるかどうか、そんなことは知らんが、
オレが見ているように世界はあるのだ、そういうことである。
彼はこの理論を認識論におけるコペルニクス的展開だ、
そう威張りくさった訳である。

いやはや、なんとも
18世紀、もちろんデジカメだってムービーだってない。
彼らは自分の寝相を見ることはできなかったけれど、
今では誰だって見られる、携帯で動画撮影なんて訳ない。

オレ様が見ているようにしか世界はない、
そんなことを言えば、統合失調症と疑われるだけだ。

いやはや、なんとも
こんなくだらないことを考えながら近所のスーパーに行く。
チョコレート工場と化した5日間を終えた嫁さんは、
パン工場への復旧を希求する。
しかし、パンを焼くのに必要な卵がない、だからである。

家に帰ってくれば、もう昼ごはんを作るタイミング。
カップ麺でいいよ
嫁さんは殊勝にもそう言う。

そうは言っても、チキンカレーを作った時に、
その後、キノコのカレーに変貌させようと舞茸を買ってきた。
昨日、夕日を眺めながら行ってきたキミサワで
198@100gの牛肉の切り落としも買った。
白菜も消費しよう。

こうしたらどうよ?レシピを話す。
のった!!
殊勝なんて言葉は嫁さんには似合わない、そう再認識する。

牛肉100g弱を一口大ぐらいに切る。
塩・黒コショウ、ナツメグをふり、日本酒を少々。
オイスターソース、スタミナ源たれも加えてよく揉み込む。
片栗粉をふって、ごま油を加えて、またもしっかり揉み込む。

舞茸はばらばらにほぐす。
白菜は芯と葉に分け、芯は縦に細切りに、葉は横に細切りに。

フライパンにごま油をひき、乾燥ニンニクを砕いていれる。
豆豉醤小さじ1を加えたら、弱火で加熱。
豆豉醤をごま油に馴染ませるようにする。

ニンニクの香りが出てきたら、強火にして牛肉に火を入れる。
完全に火を入れる必要はないので、ほんの数秒。

舞茸、白菜の芯の部分を入れる。



舞茸がちょいと古いので、しっかり火を入れる。
黒コショウを少々加える。



白菜の葉の部分を加えたら、鶏ガラスープの素を小さじ1。
日本酒少々に水も大さじ2ぐらい加えたら、牛肉を戻し、
オイスターソース、醤油もいれて、味を調える。
水溶き片栗粉でまとめて、最後にごま油をひとたらし。
解凍したごはんにかければ出来上がり。



オレの目には確かにこう見えていた。
しかし、フライパンを片付けに行っているわずかな隙に、
無惨な状態になっていた。

世界を構成するのは嫁さんの胃袋だ、
今さらながら認識する。


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