最近は考古学とアイヌの本を適当に選んで読んでいます。あまりに何も知らないのでどれを選んでも問題はないのですが学術書等は途中で放棄することも度々です。年を取ってからは記憶することを諦めています。ですからすべてが初めてと思えば新鮮な気持ちで接することが出来て楽しいこともあります。
私がユーカラに嵌って色々と読んでいてずっと気に掛かっていたことがあります。
それはあの知里幸恵さん有名なオイナにもあるように、
「金の滴が降る降る私の周りに、銀の滴が降る降る私の周りにと歌いながら私は」は明らかに宝と言う財産のことを題材としています。
その幸恵さんでさえアイヌ神謡集には
「その昔この広い北海道は私たちの祖先の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児のように、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽のしく生活していた彼らは」で始まる美しい文章を残しています。
私も彼女と同じ思いで自由で身分の違いのない暮らし振りをイメージしていました。
ですから金の滴のような財産意識が生まれたのはつい最近の事と信じていました。
そこで巡り会ったのが瀬川拓郎氏の「アイヌの歴史」(海と宝のノマド)でした。
氏は現在旭川博物館学芸員 専門は日本考古学 と言うれっきとした考古学者です。
その氏が素人にも解りやすくアイヌに宝のと言う観念が生まれてどう身分制度が生まれたかを説明しています。
正に私の知りたいことでした。そしてそれは私がかってに夢想していたこととは違っていました。
縄文後期に周堤墓と呼ばれる大きな竪穴の周りに土を盛り上げた中に複数のお墓が発掘されています。
その一つに富良野市無頭川(ずなしがわ)遺跡の周堤墓があります。そのお墓からは沢山の石器が出土しています。この遺跡だけで2000点以上あってこの様な例は本州にはない事例なのだそうです。それで中央のお墓が首長では無いかと思われますが大きな身分の差と言えるものでは無かったようです。
それが続縄文になると様相が一変します。
明らかに首長と解るお墓からは数々の財宝と言われる品々が出土しています。この時代には完全に身分の差が出来上がっていました。
和人達と交易をして財産の観念が生まれると和人に隷属する前にアイヌがアイヌを使用人とする風習はもうこのころから出来ていたのです。
私があこがれた自由の天地を謳歌したアイヌは縄文時代で終っていたのです。
私は乙女のようなあまりな思い込みに真実を都合の良いように変えて見ていたのかもしれません。
私がユーカラに嵌って色々と読んでいてずっと気に掛かっていたことがあります。
それはあの知里幸恵さん有名なオイナにもあるように、
「金の滴が降る降る私の周りに、銀の滴が降る降る私の周りにと歌いながら私は」は明らかに宝と言う財産のことを題材としています。
その幸恵さんでさえアイヌ神謡集には
「その昔この広い北海道は私たちの祖先の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児のように、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽のしく生活していた彼らは」で始まる美しい文章を残しています。
私も彼女と同じ思いで自由で身分の違いのない暮らし振りをイメージしていました。
ですから金の滴のような財産意識が生まれたのはつい最近の事と信じていました。
そこで巡り会ったのが瀬川拓郎氏の「アイヌの歴史」(海と宝のノマド)でした。
氏は現在旭川博物館学芸員 専門は日本考古学 と言うれっきとした考古学者です。
その氏が素人にも解りやすくアイヌに宝のと言う観念が生まれてどう身分制度が生まれたかを説明しています。
正に私の知りたいことでした。そしてそれは私がかってに夢想していたこととは違っていました。
縄文後期に周堤墓と呼ばれる大きな竪穴の周りに土を盛り上げた中に複数のお墓が発掘されています。
その一つに富良野市無頭川(ずなしがわ)遺跡の周堤墓があります。そのお墓からは沢山の石器が出土しています。この遺跡だけで2000点以上あってこの様な例は本州にはない事例なのだそうです。それで中央のお墓が首長では無いかと思われますが大きな身分の差と言えるものでは無かったようです。
それが続縄文になると様相が一変します。
明らかに首長と解るお墓からは数々の財宝と言われる品々が出土しています。この時代には完全に身分の差が出来上がっていました。
和人達と交易をして財産の観念が生まれると和人に隷属する前にアイヌがアイヌを使用人とする風習はもうこのころから出来ていたのです。
私があこがれた自由の天地を謳歌したアイヌは縄文時代で終っていたのです。
私は乙女のようなあまりな思い込みに真実を都合の良いように変えて見ていたのかもしれません。