goo blog サービス終了のお知らせ 

ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

聞き耳を立てる

2012-01-27 16:59:42 | 感想
 今、世界で由紀さおりさんの歌がブームになっているとか。

「夜明けのスキャト」どんぴしゃ、私の青春の歌でした。

駅の構内に戻ってきた汽車が汽笛を鳴らし連結する音が流れた後にこの歌が流れてきました。

当時、私のラジオは20×10×5cmの大きさで裏に電気コードを入れるところがあり

あまり性能の良いものではありませんでした。

それを三畳一間の部屋で隣に気を遣いながら音量を絞って聞いていました。

ですからどうしてもラジオを見つめながら集中して聞いていました。

音ですから別にラジオを見つめる必要はないのですがそうなってしまいました。

どの年代まで思えているか解りませんが

昔、ビクターレコードのキャラクターは首をちょっと傾げて音楽に聞き耳を立てている犬でした。

あの真剣に尚且つ不思議なものを耳にする姿が可愛かったことを思い出します。

鳥でも犬でもおそらくほとんどの動物が興味を持つと不思議そうに首を傾げるでしょう。

その様はコケテシュであり愛するべき姿です。

ペットのそんな姿を見たくてよくからかったりしたものです。

幾つになっても何かに興味を持って好奇心を旺盛にしていると年を取らないのではないかと

私に置き換えて考えてみました。


財産は一代を基本とすべきなのか。

2012-01-26 16:51:07 | 感想
 親が子供に色々なものを残したいのは人情であろう。
現代、特に田舎に住んでいると年寄りだけで暮らす方を多く見かける。
本来若者は新しいこと見知らぬことに挑戦するものであるから都会に就職する様になるのはやむおえないのであろう。
従ってどんなに立派な家を建てたとしても子供に住んでもらえないのである。
それはとても悲しいことであるし、私には勿体ない気持ちが先になり怒りさえ覚える。
何かが間違っている感がしてならない。

 とりあえず話が横に逸れるが後で結びつくので勘弁願いたい。 
本州の弥生時代には北海道では続縄文時代というのがありその後に6~13世紀くらいまで擦文時代という文化が続きます。
急に何かが変わる訳ではないが土器を使用した文化であり今まで文様を縄で付けていたのをへらで掻いた文様になった。
簡単に言えばこうなるが実際には土器の製法や地方の違いなど複雑なものであるがここは割愛してこの時代に見られる墳墓について書きたいのです。
墳墓が出土する状況は多々ありますがその中で住居の中に穴を掘って埋葬した遺跡があります。そして服飾品も出土しています。
当然、当時にあった埋葬のあり方の一つではあったでしょう。これに対する学説も色々あるようです。
ただ、私が在っても良いのではないかと思う説がないので残念な思いがしました。(私が知らないだけかもしれませんが)
それと最初に伝えるべきでしたが遅ればせながら云いますとこの擦文時代からはアイヌの文化なります。ただ、遺伝子的にはオホーツク人と混血したようです。

 またまた話は変わりますが釧路市出身の作家で原口康子さん云う方がいます。当然、北海道を舞台にした作品が多いのですがその中の一つを紹介したいと思います。
時は明治、淡路島には土佐と同じに元々の地侍がいました。当然、冷や飯食いでしたから時の政府から北海道の開拓を薦められてその気になります。散々苦労した挙げ句に今の新日高町(旧静内)に落ち着きます。そこで主人公は牧場を経営して成功します。その成功の鍵は馬に詳しいアイヌ達を雇ったからでした。最後までアイヌを庇う主人公に対して成功をやっかんだ人達に罠に嵌められ没落します。
この話の中に年老いたフチが一人小屋で住んでいるのですが彼女が死んだ時にアイヌ達は家を燃やすと言い出します。ですが当時の法律上許可にはならず無念な思いをした状況を詳しく説明しています。
彼らが家を燃やす云うことの意味はフチが天国で住む為の家を持たせてやることなのです。和人のかってな法律で個人に十分なことをしてやれなかったアイヌの人達は大変無念な思いをしたでしょう。

この事を考えると財は一代と考えた方が良いのかと思ってしまいます。あまりに多くの財産を残したばかりに兄弟の争いが起きたり子供が働ら無くなった例に事欠きません。子供に残すべき唯一の財産は親の背中を見せて育てることかと思います。そうすれば親も恥ずかしくない生き方しなければならなくなります。
きっと擦文人達にも死後も住むところに困らないようにとの思いで住居に埋葬したのかもしれません。
私はそう思いたいのです。

神様との関係

2012-01-25 10:27:26 | 感想
 旭川市のフチ、杉村キアナブックさんが語ったオイナ(神謡)を読んで。

Ⅲ 父熊の愛
この物語は神である熊と狐が登場して当人が語っている。

父熊が鴉から妻が人間に連れ去られたことを知らされる。
早速行って見た父熊はそこに小熊が残されていたことを知る。
大変に怒った父熊は小熊を連れて人間の村へ復讐に向かう。
途中で狐が現れて人間は小熊がいたことは知らなかったのだから
夢に見させば解るから村を襲ってはいけないと諭す。
それでも怒りの収まらない父熊は村を襲う。
人間達も熊の襲撃を知って戦う用意をしていたので
反撃に遭いトリカブトの毒矢で死んでしまう。
(ここで云うところの死は神の魂が抜けた状態を云う。
だから気絶から覚めた熊の魂が殺された熊の状況を子細に眺めて語るのである。)
そして、小熊に気付いた人間が大切にして連れて行くのを見ているのである。
自分の間違いに気付いた父熊は寂しく家に帰るのである。
家に帰ってみるとすでに母熊がいて人間から貰ったイナウやお酒等のご馳走を食べていた。
そして、母熊に散々馬鹿にされて食べ物も滓しかもらえなかった。
何回も何回も怒られてすっかりしょげて後悔する。

概略はこの様な筋書きです。
文章をそのまま載せたかったのですが
キアナブックさんのオイナは必ず一小節ごとに枕詞が入り
また狐や母熊の語りにしても同じことを何度も言うのでものすごく長い文章になっています。
ですから私のつたない説明で済ませました。

読んで頂いて解る様に人間との密接な関係が理解できます。
熊の体を提供した母熊は色々なものを捧げられて天上で良い暮らしが出来ます。
一方、村を襲った父熊は何も捧げてもらえないものですから天上では散々な暮らしをすることになります。
アイヌの世界では神と人間はお互いに助け合う存在なのです。
先回、NHKの番組の感想で本来、人は助けあわなければ生きていけない存在だと書きました。
古代の宗教はこのアイヌの神の様に人同士だけでなく神も同じ助け合う存在としていた可能性あると思いました。

期待したいものです。

2012-01-23 13:33:58 | 感想
 昨夜、NHKの9時からのスベシャル番組「ヒューマン」(なぜ人間になれた)のかを見ました。
時々番宣が入っていたので期待して待っていました。連続ものなので最初は絶体に外せないものと思っていました。
案の定というかやっぱりと云うべきかNHKらしく勿体振った演出には辟易しました。
しかし、内容には感心させられました。近年の考古学の発達には驚くものがありますがこれは他の学問との共同研究により新たな新事実が解ってくるからなのでしょう。その新しい結果を基に人類はこうあるべきとの姿を見せて希望を抱かせることを目的とした企画であるようでした。
 
 人類が猿と枝分かれしたのが700万年前とされています。
そしてアフリカの喜望峰で現在発掘されている10万年前の遺跡からは首飾りに用いられたと思われる沢山の穴の開いた貝が発掘されています。そして画面は現在のアフリカの一部族に移ります。そこでは皆が沢山の首飾りを掛けています。彼らの説明によると親しい人からのプレゼントであり沢山掛けていると云うことは親しい人が沢山いることになります。それは如何に楽しい生き方をしているかの証拠でもあるのです。
ここでは人が寄り添って生きることが本来の姿であることを伝えていました。

 年代を遡って20万年前、人間にとって嫌が応にも変化を強いられる出来事が起きます。
アフリカ北部にいた祖先はインドネシアでおきた大規模な火山活動為に地球上が雲で覆われて温度が10度以上も下がり食料が得難くなりました。当然、樹木が無くなりましたので平地を移動することになりました。結果、人類は二足歩行をすることになります。
今までの私の知識ではここで自由になった手で道具を使うようになり脳が発達した。
このことは間違った知識ではないのでしょうがでは何故人間は集団性が生まれたか迄は解りませんでした。正にここが今回のテーマである人間が他の生物と違うところなのです。
番組ではチンパンジーの実験の結果を放送していましたがここでは彼らは頼まれれば仲間に手を貸しますが自ら進んではしないそうです。
目から鱗こと言いますか私は以前から人間が他の生物との違いを色々と考えてみました。結局、アダムがりんごの実を食べていしまったからだと抽象的な結論だけの表現をしていました。確かにこれはこれはこれで正解だと思っています。
ただ仲間を作ることは猿も他の動物にもいるだろうと考えていましたが人間の場合それとは意味が違うようです。

 今度はチンパンジーと人間の♀の骨盤の違いから解ったことですが人間の場合は二足歩行のために恥骨が狭くなっていて子供が生まれる時に頭を横にしないと出てこないのだそうです。ですから自分だけで出産することが難しく自ずと他人の協力が必要になった。と云います。
それに早めに生まれるために独り立ちに時間が掛かりその間の無事を守るために協力しあわなければならなくなったと結論づけていました。
皮肉なことに二足歩行によって得られた頭脳に変えて失った能力の補助として協力しなければ生きていけない種族になったようです。
ですがその割には地球上の全生物の中で唯一同族内で好戦的なのは何故なのでしょうか。
この答えを今後の番組で明白にしていただけることを期待しています。

EUメルトダウン

2012-01-19 10:28:55 | 感想
 最近、ニュース番組に出ているコメンテーターで紫色に染めた髪できつい顔してきついことを云うおばさんをよく見かける。
あの人何者?の思いで何時も見ていたのだがなんと浜矩子さんという名前でれっきとした国際経済学者であった。
そして、EUメルトダウンと云う本を出版したので読んでみた。
副題に「欧州発世界がなくなる日」とあるので現在の欧州を読み取るには格好の案内書と考えた。
ところがというかやっぱりというかテレビのキャラクターそのままのきつい語り口には驚いた。それに加えておばさん駄洒落が炸裂しっぱなしなのである。それがまた絶妙な引用の仕方なので駄洒落と云うのは失礼である。
すっかり私はその虜になり氏の語り口に恋焦がれそうになってしまった。
その一例を挙げると。現在、ギリシャの破綻でEUの今後が懸念されている。その足を引っ張っている国々をこう名付けている。
PIIGS(豚さん達)。如何にも足が遅くて他の国に付いていけないイメージでしょう。

P=ポルトガル
I=イタリア
I=アイルランド
G=ギリシャ
S=スペイン

氏が言うにはこれらの国々はヨーロッパの中では外れにある国で憧れを持って欧州の中心を見ていた。と、私のようなガチガチの東洋人には解らないあちらの事情があったのだと知りました。そして、これらの国を加盟させた時点から今日が予想できた。と氏は書いてます。現実にその様な論文も当時から発表していたようです。
私は普段からその場凌ぎのニュースを垂れ流しする番組しか見ていませんので当然世界の真実を知るよしもありません。

当然、何処かの国が統合を希望すると云うことはその国が得をするからですよね。と云うことは損をする国が出ると云うことです。
私は前々から不思議に思っていたことでした。今、アメリカが進めているTPPには必ず落とし穴があると思うのですがそれを日本の政治力で防げるかというと些か不安です。現実はアメリカの経済を助る為の提案であることだ。今のドイツと同じ境遇に追い詰められるように思います。いやきっとそれよりも悪くなる可能性せいの方が高いでしょう。
氏は著書の中でEUの失敗は加入国が十分なレベルに達しないうちに統合したことにあると述べています。構想自体は決して間違ったては無かったと。ただ十分に時間を掛けれなかったことにあるようだ。

もう一つ氏の駄洒落を。
EMU(経済通貨統合)。
これを氏は鳥のエミューと訳した。勿論、あの飛べない鳥である。もともとと飛べない鳥を飛ばそうとしたのでから墜落して当たり前と皮肉ったのだ。

この他にはピータパンを妖精が連れて行こうとしたネバーネーバーランドは理想の国であるかもしれないが何時までも子供でいられる国は無くいずれ大人の世界に戻らなければならない。等々。

あまりに難しい問題なので感想もないのだが氏の例え話しの見事さには感心させられた。