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ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

言われてみれば。

2013-08-01 10:09:21 | 感想
ロシア人の留学生でアリーナ・サヴィノアさんと言う方の話を聞いて。

今は大学院生だそうですがもともと、ロシアでの専門は日本語ではなかったそうです。

ですが何かの拍子に日本の事が気になり勉強するようになったそうです。

大変な美人でありますがそれ以上に頭が良いらしく勉強した年数が少ない割に正確な日本語を話していました。

それも時々、四文字熟語を入れながら。

そして、彼女が興味を持って勉強しているのが日本語は背景にあるものを理解してないと本当の意味が分からない。

それを研究していると話ていました。

その話を聞いて改めて目から鱗が落ちる思いがしました。

背景にあるものの意味が理解出来ませんでしたのですがその例題を聞いて納得しました。

その一つにサラリーマンと言う言葉があります。

これを外人が聞けば単にお金を貰って働く人、の意味しかありません。

ですが、これを日本人に尋ねると会社の為に尽くす人、一生を同じ会社で働く人、等々と沢山のイメージが湧いてきます。

これは日本語だけにある言葉使いだと彼女は言うのです。

もう一つ、あなたの働く姿は美しいと言えば立ち振る舞いから、その技術、果ては人生までも想像してしまいます。

ところが彼女の国の感覚で言えば単に身体が美しいとしか解しないと言うのです。

だから、日本語は面白いと言っていました。

当の日本人である私には当たり前すぎて気付きませんでした。

彼女のお陰で、改めて言葉の豊かな国民であることを知りました。

知らなかった。

2013-07-30 09:28:52 | 感想
大阪のテレビ番組で「たかじんのNOマネー」と言う番組があります。
その番組で水道橋博士が突然、番組降板した言う報道を見ました。テレビで降番の理由として橋本大阪市長の「こがねかせぎ」の暴言に怒りを感じたからとしていました。
私はそれを聞いて橋本氏ならあり得るかと思っていました。
それがたまたま、その時の映像を見てみますと大分、様相が違います。
それには前段があるのですがそれは後ほど触れます。
番組の中でお互いが意見を言い合っていて橋本氏が水道橋氏に反論を促したのですがそれに答えられずに「芸人の私にそれを答えられるか」と言いました。その言い分に対してそれならコメンテーターとして発言するなと言って例の「こがねかせぎ」発言が出ます。その後、水道橋氏は番組中黙って通して終わる5分前に黙って出ていきました。
これが真相です。
私は橋本氏の言い分を支持します。芸人であろうが政治に意見を言う以上はそれなりの信念を持って発言すべきです。ましてテレビで発言すると言うことは多くの人に影響を与えますから。

そこで先ほどの前段に戻りますが、これには前の週で橋本氏の慰安婦発言で意外な成り行きになった事を受けての企画だったと思います。
この番組は現在、たかじん氏は病気療養中で出演しておりません。
そこで、現在は司会者を真鍋かをり氏がしてます。
そして、この時の内容が橋本氏の慰安婦発言に対するものでした。

ここで、私の個人的な考えを先に述べておきます。私は橋本氏の意見に賛成の立場です。その理由はここでは言いませんが私の立ち位置だけは明白にしておくべきだと考えた上の事です。

では番組の経過をお話しします。
司会者、真鍋かをり氏が中央に座り画面、右側に大谷明宏氏、須田慎一朗氏後は左側に名前が分かりませんが三人の男性が座っていました。
コメンテンターの五人は皆さん橋本氏の意見に反対の方ばかりのようでした。不思議なことに真鍋氏もその意見に加わり場は橋本氏を糾弾する集まりとかしました。その意見が如何に民意であることを示したかったのでしょう。その場で橋本氏の発言に問題有る、無しを視聴者に問いかけました。
その結果です。問題有る 2011名  無し 7712名  でした。
この結果を見て真鍋氏が最初に言った言葉「こんな結果になってしまって」司会者がこれは不味いだろう。幾ら自分と違う結果になったから言って。
それからがまた面白い。大家氏、須田氏、普段は公平な立場で発言している筈の人達の発言が酷い。曰く、「これを見てるのが男ばかりだから」「地元の人間ばかりだから」「2者択一だから」とかそれぞれに自分達の意見と違う結果が出たことに対して理由を述べていた。
だが、違うでしょう。少なくとも貴方たちと違う意見の方が圧倒的に多いという事実を認めるべきではないのか。何のためのアンケートだったのか。
それで恰好が付かなくなった放送局が次の放送で橋本氏を招いて意見の交換となり、橋本氏に追求されて何も言えなくなった水道橋氏のあの行動と成ったのが事実です。

これでお解りでしょう。私達はマスコミに都合の悪いことは知らされていません。
日本は中国や北朝鮮、韓国と違うと信じていますが本当は日本も真実を知らされていないのが現状であることを知るべきです。


冒険者達。

2013-07-26 08:31:40 | 感想
中南米、西海岸側にエクアドルと言う国があります。
その国の或遺跡から土器が出土しました。時期は5000年前。
不思議なことに同じ形体の土器は他からは一つも発見されませんでした。
その国の他の土器とは異なる形体のものが場所的にも時代的にもポツンと発見されたわけです。
まるでタイムマシンに乗ってそこに突然現われたかのように…

そこで同じ形体、文様のを持つ、土器を世界に探したところ見つかったのが日本の縄文土器、中期のものでした。
そして、土の成分を調べたところ、青森地方の土器と判明しました。
こうなれば理論も何もありません。現物があると言う事は後世に誰かが運んだのでない限り青森の縄文人が現地に行ったことになります。
では次はどうやってと言う疑問になります。
海流の関係から三通りのコースが考えられるそうです。
先ずは太平洋を一度北上して北米大陸から海岸沿いに南下するコース。
次は何れも日本の海岸線を南下した後、赤道沿いに島々の間を抜けて東に向かうコース。
三つ目は上と同じに行った後インドネシア側から回り東に向かうコース。

何にれもしても大変な日数と労力を必要とします。
それに当時の船がこれ程の航海に絶えられるかも疑問です。
ですが当時の船の両側にアウトリガーが付いていれば可能であるとの実験結果が出ています。
それに長い期間の食料量の確保が可能かの疑問が残ります。
それを「太平洋一人ぼっち」堀江健一さんに尋ねると水は雨が降るので貯めておくものがあれば大丈夫で食料は船の影に魚が寄ってくるので釣り針さえ持っていれば可能である答えたそうです。

ではその冒険に出た理由ですが縄文時代の三内丸山遺跡から鯛等の沖合に出ないと獲れない魚が出土していますので外洋に出る航海技術はあったとされています。ですから私は何かの不都合が起きて漂流する羽目になったと考えています。そしてその大半は死亡したと考えられます。それら中でたまたま奇蹟に近い僥倖がエクアドルの地に足を歩みいれられる結果になったと考えます。

この私の説では冒険者とは言えません。
その可能性に触れた説があります。当時、北九州で大きな噴火があり関東地方まで長い期間にわたって火山灰に降った後が確認されています。当然、その層からは遺跡は発見されていません。その頃、青森地方は寒冷期に向かっていました。そこで主食である栗の木が育たなくなってきてこの地を去る者が出て来たとする説です。
これならば、エトランゼを求める正に冒険者であります。
ですがこの時代をこの地で乗り切った縄文人が沢山いたのは事実ですから自分達の意志で外洋に出たとする説を唱える方は夢追い人なのでしょうね。

「黙示」 真山 仁著

2013-05-30 08:11:47 | 感想
世界の食糧事情と日本の採るべき方向性を考えさせてくれる良作でした。
現在、日本が直面しているTPPの問題点。それに拘わってくるGMO問題を沢山の資料をもとに未来を予想する洞察力は流石に元新聞記者をしていた作者ならではの感がありました。
対抗する三者を主役にしてその中から共通の課題を見いだしてお互いの立場を理解して行く経過に引き込まれてました。
戦場カメラマンであって田舎に引き込んでから蜂蜜業を営む男。
農薬会社で長年、農薬の研究だけをしてきた男。
農政のエリート官僚であって異色の上司に見いだされた女性。

彼らが本人の意志とは関係なく周りの画策でお互いに対抗する立場で対談する立場になるがそれだけに共通する部分で深く分かり合う相手になっていきます。
温暖化で中国は勿論の事、現在、食料輸出国のアメリカやオーストラリアや南米等が何時、不作の為に輸出を禁止するかどうか分からないのが現状であると言います。それことの重大さを日本の国が気付いていない事に警鐘を鳴らしています。
その為には積極的にTPPに拘わるべきだとし、日本の食料の生産増加の為にもGMO(遺伝子組み換え技術)を環視を強化しながらでも取り入れるべきと主張しています。
この選択が正しいかどうかは分かりませんが自己の利害からだけの主張する人達とは異なる意見として拝聴に値するものと思います。

最後に蜂蜜業者の男の考えとして書いてあった事ですが
「人類は地球の自然を変える事でしか生きていけない存在であるならせめて変化を最小限に止める努力をするしかない」

O(ゼロ)を発見した人類には?

2012-11-27 18:04:51 | 感想
嫌な言葉ですが「アイヌ勘定」と言う言葉があります。
これは和人が商取引の際に取引を有利にする為に多くの数字を持たないアイヌを騙す為に用いた方法からきています。
始めにと言ってから一つと数え始め十と言ってから終わりと言い二つ分を誤魔化す方法でした。
最初の時には確かに数に認識の薄いアイヌ人は騙されたかも知れませんが数を認識してからはやむを得ず黙認していたとの話もあります。この事は能力の違いによるからではありません。
それまでのアイヌに多くの数字を必要としていませんでした。
ユカラ等の民話を読んでいると1つ2つの数は出てきます。そして沢山の意味を持つ6つの数字が最多の数字だったようです。
彼らはそれを知っているだけで生活に困る訳ではありませんでしたのでそれ以上の数を発明する意味はありませんでした。
そしてその事が平和で幸せな生活を保障していました。恐らく一月の概念はあったのでしょうがそれが30日と言う認識をしなくても困ることはなかったのです。

ところが残念なことにゼロと言う数値を人類が発見してからは科学の進歩が果てしなく続いてきました。
そして遂にその結果として利用している人類さえコントロール不能な状態になっています。
遺伝子の分野では神の領域に迄侵食している状態です。
伝達手段であるPCの世界に至ってはもはや独裁国家でさえ押さえ込むことが不可能になっています。
そして遂に原子力の気難しい厄介者まで人類にはコントロール不能になっても使用しなければならない状態に至っています。
この様に科学が発達した世界に本当の安らぎが訪れるのでしょうか。