赤坂氏が初めて舞台に出演した10数年前(ピーターパン出演は別)、
初舞台を是非、精一杯、頑張って欲しいと願いを込めて、
千羽鶴を折った。
はっきり言って、あきっぽい私。
果たして1000羽を折る事ができるものなのか、自分への挑戦だった。
1人で作成するので、1週間2週間ではとても完成しない。
1ヶ月2ヶ月はゆうにかかる。
折っている途中で、たまたまテレビ画面に映っていた、
プロ野球西武ライオンズのベンチ内。
その中に、ファンから贈られたと思われる、
物凄いカッコイイ千羽鶴を発見!
今思うと、その千羽鶴は、1000羽どころではなく、
5000羽位使って仕上げていたのであろう。
本当に素晴らしい千羽鶴だった。
その千羽鶴は、タペストリー風になっていて、
「Lions」と何かの絵が、鶴文字になっていた。
デザインもアイディアを脱帽ものだった。
これだっ!と思った。
このアイディアを勝手に参考にさせて頂いた。
タペストリー風に飾り「AKIRA」と鶴文字が浮かぶように鶴をつなげよう。
早速、方眼紙で計画実行。
千羽鶴の作成は、折ると言う単純な作業は時間がかかるが、頭は使わなかった。
が、折った鶴をつなげる作業が思いの他、苦労が多かった。
鶴をつなげる作業は、完全徹夜だった。
学生時代、どんなに一夜漬けのテスト勉強をしても2時間位は睡眠をとる私の、
初完全徹夜だった。
完成した千羽鶴は不器用が目立つ作品だったけれど、思い入れが強かった。
なんだか、手離したくないくらい、自分の分身のように思えた。
一応、記念に写真を撮り、赤坂氏が舞台を上演する近鉄劇場に発送した。
私が大阪遠征をして観劇する、何日か前の事だったと思う。
ファンからの千羽鶴は、当時、まだまだファンも多くついていた赤坂氏の事、
沢山、贈られていたと思う。
楽屋に飾ったりしてくれていたそうだ。
私が千羽鶴を発送したのは、初日を少し過ぎてからだった。
楽屋には飾る所がなくなったのだろう。
私が贈った千羽鶴は、赤坂氏の楽屋の入り口に飾ってあった。
どうしてそんな事が分かるって?
実は、年が明けて、赤坂氏から年賀状が届いた。
赤坂氏の家族が、10数年程前から、
毎年、ファンへ年賀状をお届けして下さっているものだ。
その年賀状は、赤坂氏が舞台「SANADA」の楽屋の入り口で撮った写真が、
プリントしてあった。
赤坂氏のうしろには、私が作った千羽鶴が写っているではないか!
こんな不器用そのものの千羽鶴を飾ってくれ、それをバックに写真を撮り、
その写真を年賀状に使ったと言う事だ。
何と言う事だっ!
年賀状を手に、馬鹿みたいにわんわん泣けてしまったっ。
その年賀状は、私の宝物のひとつだ♪
赤坂氏の実家には、お母様のご厚意で、
今までファンから贈られた千羽鶴を保管したり、飾ったりしてくれているそうだ。
感謝です。
こういうわけで私は、赤坂氏の舞台があるたびに、
千羽鶴を作成する事になる。
千羽鶴話しの、続編は、まだ後日。
2002年9月記
初舞台を是非、精一杯、頑張って欲しいと願いを込めて、
千羽鶴を折った。
はっきり言って、あきっぽい私。
果たして1000羽を折る事ができるものなのか、自分への挑戦だった。
1人で作成するので、1週間2週間ではとても完成しない。
1ヶ月2ヶ月はゆうにかかる。
折っている途中で、たまたまテレビ画面に映っていた、
プロ野球西武ライオンズのベンチ内。
その中に、ファンから贈られたと思われる、
物凄いカッコイイ千羽鶴を発見!
今思うと、その千羽鶴は、1000羽どころではなく、
5000羽位使って仕上げていたのであろう。
本当に素晴らしい千羽鶴だった。
その千羽鶴は、タペストリー風になっていて、
「Lions」と何かの絵が、鶴文字になっていた。
デザインもアイディアを脱帽ものだった。
これだっ!と思った。
このアイディアを勝手に参考にさせて頂いた。
タペストリー風に飾り「AKIRA」と鶴文字が浮かぶように鶴をつなげよう。
早速、方眼紙で計画実行。
千羽鶴の作成は、折ると言う単純な作業は時間がかかるが、頭は使わなかった。
が、折った鶴をつなげる作業が思いの他、苦労が多かった。
鶴をつなげる作業は、完全徹夜だった。
学生時代、どんなに一夜漬けのテスト勉強をしても2時間位は睡眠をとる私の、
初完全徹夜だった。
完成した千羽鶴は不器用が目立つ作品だったけれど、思い入れが強かった。
なんだか、手離したくないくらい、自分の分身のように思えた。
一応、記念に写真を撮り、赤坂氏が舞台を上演する近鉄劇場に発送した。
私が大阪遠征をして観劇する、何日か前の事だったと思う。
ファンからの千羽鶴は、当時、まだまだファンも多くついていた赤坂氏の事、
沢山、贈られていたと思う。
楽屋に飾ったりしてくれていたそうだ。
私が千羽鶴を発送したのは、初日を少し過ぎてからだった。
楽屋には飾る所がなくなったのだろう。
私が贈った千羽鶴は、赤坂氏の楽屋の入り口に飾ってあった。
どうしてそんな事が分かるって?
実は、年が明けて、赤坂氏から年賀状が届いた。
赤坂氏の家族が、10数年程前から、
毎年、ファンへ年賀状をお届けして下さっているものだ。
その年賀状は、赤坂氏が舞台「SANADA」の楽屋の入り口で撮った写真が、
プリントしてあった。
赤坂氏のうしろには、私が作った千羽鶴が写っているではないか!
こんな不器用そのものの千羽鶴を飾ってくれ、それをバックに写真を撮り、
その写真を年賀状に使ったと言う事だ。
何と言う事だっ!
年賀状を手に、馬鹿みたいにわんわん泣けてしまったっ。
その年賀状は、私の宝物のひとつだ♪
赤坂氏の実家には、お母様のご厚意で、
今までファンから贈られた千羽鶴を保管したり、飾ったりしてくれているそうだ。
感謝です。
こういうわけで私は、赤坂氏の舞台があるたびに、
千羽鶴を作成する事になる。
千羽鶴話しの、続編は、まだ後日。
2002年9月記