~素晴らしく愛してる~

「夢野」の自己満ジャニヲタ日記。
2007年6月、移転しました。

千羽鶴その1(日付は赤坂晃氏誕生日)

1973-05-08 | 過去の想い出・宝物
赤坂氏が初めて舞台に出演した10数年前(ピーターパン出演は別)、
初舞台を是非、精一杯、頑張って欲しいと願いを込めて、
千羽鶴を折った。

はっきり言って、あきっぽい私。
果たして1000羽を折る事ができるものなのか、自分への挑戦だった。
1人で作成するので、1週間2週間ではとても完成しない。
1ヶ月2ヶ月はゆうにかかる。

折っている途中で、たまたまテレビ画面に映っていた、
プロ野球西武ライオンズのベンチ内。
その中に、ファンから贈られたと思われる、
物凄いカッコイイ千羽鶴を発見!

今思うと、その千羽鶴は、1000羽どころではなく、
5000羽位使って仕上げていたのであろう。
本当に素晴らしい千羽鶴だった。

その千羽鶴は、タペストリー風になっていて、
「Lions」と何かの絵が、鶴文字になっていた。
デザインもアイディアを脱帽ものだった。

これだっ!と思った。

このアイディアを勝手に参考にさせて頂いた。
タペストリー風に飾り「AKIRA」と鶴文字が浮かぶように鶴をつなげよう。
早速、方眼紙で計画実行。

千羽鶴の作成は、折ると言う単純な作業は時間がかかるが、頭は使わなかった。
が、折った鶴をつなげる作業が思いの他、苦労が多かった。

鶴をつなげる作業は、完全徹夜だった。
学生時代、どんなに一夜漬けのテスト勉強をしても2時間位は睡眠をとる私の、
初完全徹夜だった。

完成した千羽鶴は不器用が目立つ作品だったけれど、思い入れが強かった。
なんだか、手離したくないくらい、自分の分身のように思えた。

一応、記念に写真を撮り、赤坂氏が舞台を上演する近鉄劇場に発送した。
私が大阪遠征をして観劇する、何日か前の事だったと思う。

ファンからの千羽鶴は、当時、まだまだファンも多くついていた赤坂氏の事、
沢山、贈られていたと思う。
楽屋に飾ったりしてくれていたそうだ。

私が千羽鶴を発送したのは、初日を少し過ぎてからだった。
楽屋には飾る所がなくなったのだろう。
私が贈った千羽鶴は、赤坂氏の楽屋の入り口に飾ってあった。

どうしてそんな事が分かるって?

実は、年が明けて、赤坂氏から年賀状が届いた。
赤坂氏の家族が、10数年程前から、
毎年、ファンへ年賀状をお届けして下さっているものだ。

その年賀状は、赤坂氏が舞台「SANADA」の楽屋の入り口で撮った写真が、
プリントしてあった。
赤坂氏のうしろには、私が作った千羽鶴が写っているではないか!
こんな不器用そのものの千羽鶴を飾ってくれ、それをバックに写真を撮り、
その写真を年賀状に使ったと言う事だ。

何と言う事だっ!
年賀状を手に、馬鹿みたいにわんわん泣けてしまったっ。
その年賀状は、私の宝物のひとつだ♪

赤坂氏の実家には、お母様のご厚意で、
今までファンから贈られた千羽鶴を保管したり、飾ったりしてくれているそうだ。
感謝です。

こういうわけで私は、赤坂氏の舞台があるたびに、
千羽鶴を作成する事になる。

千羽鶴話しの、続編は、まだ後日。



2002年9月記

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