9月4日は、こたろうのおうち記念日。今日で丸4年です。
私がこたろうと出会ったのも、今日と同じようなお天気の日で、傘を持って出かけた記憶があります。
2017年の9月と言えば、2015年の10月に先代ロッキーが天国に行ってから、まだ丸2年弱。
そして、還暦にして一人で島暮らし体験をして、帰京して間もない頃でした。
娘が、出かけた先で雨に降られて、たまたま予定になかった道を歩いていて、たまたまそこにペットショップがあって
たまたま、ロッキーの子分のようなミニチュアダックスを見かけて、たまたまお買い得になっていた。。
ロッキーへの想いも、今よりもっと引きずっている時期でもあったし、ペットショップでわんこを飼う事は、ポリシーに反すると思った私。
娘に誘われても、見に行くつもりは全くありませんでした。
私は行かないよ、と口は言うのですが、体は勝手に出かける支度をしていました。
仕方がないので、かわいい動物たちに癒された後、ランチでもしてくるか~という気持ちで出かけました。
道中もずっと、見るだけ買わないと口が言いつつ、足が向かう。
開店したばかりのお店には、娘が見たというミニチュアダックスはいませんでした。
その日は月曜日だったので、週末に売れたんじゃないの?と娘と話していたのですが、今度は口が勝手にスタッフさんに声をかけてしまいました。
一昨日、ミニチュアダックスがいたんですけど・・。
あ、あのクリームちゃんですね~と言って、お店の奥から連れてこられた小さなミニチュアダックス。
一目見た時、変な顔の子だな~と思いました。とてもかわいいとは言えないお顔でした。
しかし、またも口が勝手に「どうしてこんなに安くなっているんですか?」と聞いてしまった。
「単純に月齢が進んだからです」と、スタッフさん。「どこも悪くはありません」と。
小さなダックス君は、すでに売れる時期を逃して、生後6ヶ月になろうとしているところでした。
ガーン。。
スタッフさんの言葉に心が揺れ動いてしまったわたし。
つまり、売れ残ったから?と。
しかし、命です。衝動買いというわけにはいきません。
再びわんこを飼うという事自体諦めていましたし、一旦お店を出て、娘とその辺をぐるぐる歩き回りながら、相談しました。
最終的には、私に何かあったら、面倒を見る約束ができるなら・・・という話に発展して、再びペットショップに戻りました。
複雑な手続きをする間、娘の膝の上で落ち着かないミニチュアダックスくんの顔をちゃんと見る事もなく、箱に入れてもらって
電車で帰宅。
楽しみだったランチは、ホットなドッグに変身(爆)
ロッキーが亡くなって、ペットシートも何もかもすべてを処分していたので、近所のペットショップへシートを買いに走り、
家にあったワイヤーネットをつなげて即席のケージを作って、使わなくなったお皿にご飯とお水を入れて。。
始めてきたおうちなのに、何のためらいもなく、歩き回る小さなミニチュアダックスくんの名前は、最後まで面倒を見ると約束した娘に託しました。
こうして、やせっぽちで、耳ばっかり大きなミニチュアダックスは、こたろうという名前をもらって家族の一員になりました。
毛が短いのもあるけど、食べさせてもらってなかったの?ってくらい細いですよね。
今に思えば、お散歩することもなくずっとペットショップにいて、筋肉がついてなかったのかなって。
あの日、私が何かに取つかれたかのように出かけていかなければ、また、ミニチュアダックスがお店に並んでいなかった時点でそのまま帰れば、
たられば、あのままお店の奥にいたミニチュアダックスは、どうなっていたのかな、と思います。
第一印象は、変な顔の子だなあ、でしたから、超かわいい~~と思って衝動買いしたわけでは決してなかったし、
月齢が進んで「お買い得」になっていなければ、買う事はできませんでした。
まあ、ワクチンやら保険やらで結構な値段になったのは想定外でしたが、それは責任のひとつでもありますから。
この4年の間に何度も記事にしましたが、こたろうとの出会いは運命なんです。
始まりはバブルの頃に飼っていた、黒猫のマイケル。
思えば、マイケルが私をアメリカに行かせたようなものだった。
・・・気がする。
アメリカに行って、最後にホームステイしたお宅のわんこ、バーニーくんのおかげで、長年苦手だったわんこを可愛いと思うようになった。
最初は家に苦手な犬がいて、どうしようかとビビったものでした。
アメリカに行くときに実家に預けていたマイケルが亡くなって、その後、たまたま通りがかったペットショップで、私と同じ誕生日のミニチュアダックスと出会った。
その頃、子どもたちが二人小学生になってて、犬を飼うのもいいなと思い始め、飼うならミニチュアダックスだな、と思っていました。
なので、同じ誕生日のわんこがいても、犬種が違えば飼っていなかった。
それがロッキー。
ロッキーとの最期は、私が手術後で心身共に最悪の時期2015年。
もっともっと優しく、もっともっとかわいがってあげればよかったという後悔が残っていたから、
独りよがりだとは思うけど、ロッキーが自分の代わりにこたろうと出会わせてくれたと思っています。
ボクはこたろうの中にいるからねと。
それは、こたろうが来て二日目、夜中にわんこがフローリングを歩く音を聞いて確信しました。
ロッキーがあるくと、爪が床に当たって、カチカチと音がしていた、あの音でした。
その時こたろうは、一人でケージで寝ていて、歩き回ることはできなかったし、小さくて軽くて歩いてもそんな音は出ませんでしたから。
同じ音を、娘も別の部屋で聞いていました。
聞いたにもかかわらず、私たちは何故か、心配して様子を見に行くという行動をとりませんでした。
きっと、ロッキーが様子を見に来たんだよと、後で二人で話しました。
その足音は二日続いて、その後は聞こえなくなりました。
さらにさらに、私はこたろうと出会う前日に、一枚の絵を描いていたのです。
子どもが描いたような絵なんですが、こういう光景をいつも心の中にイメージしていて、この日一気に吐き出しました。
見えるかどうかわかりませんが、日付はまさにこたろうと出会う前日の2017年9月3日です。
ピンクのもやもやは満開の桜のつもりですが(爆)
真ん中を走っているのは、ロッキーとマイケル。
描いた直後にマイケルはいませんでした。
この後、それこそ指が勝手に動いて、黒いパステルでマイケルを描き添えた後、涙が出たのを覚えています。
描き終えて何故か気が済んだように思えたのも不思議です。
私は今日まで、自分で描いたこれを俯瞰の絵だと思っていました。
天国に行った二人を、何故か上から見下ろしているつもりで描いたのですが、今朝見たら、これは桜の花の隙間から二人を見あげている絵なのかな、と感じました。
マイケルは新緑の頃、ロッキーはコスモスの頃に天国に行ったので、桜とは関係ないはずなのですが。
このピンクのもやもやも違うものに見える日がくるんでしょうか。
そして、いずれここにこたろうを描き添える日が来るでしょう。
いつも言っているように、こたろうを看取ってから死ぬことが、今の夢でもありますからね。
マイケルもロッキーもこたろうも、きっと彼らが私を見えない糸で引き寄せたのだろうな。
ペットは飼い主を選べないっていうけど、本当は私たちの方が彼らに選ばれているんです、きっと。
そう思えば、飼育放棄などありえない。
人間は未熟で間違いも起こすけど、彼らはきっとすべてを受け入れ許してくれる。
だから、出来る限り彼らを大事にしなきゃいけないって思う。
そう思えば、利益のために命を作り出す事も、都合が悪くなって放棄することもできるはずがない。
ペットと暮らしている皆様、ペットという言い方もあれですが、家族の一員ですもんね。
ペットショップであれ、保護された子たちであれ、私たちは命も意思もある彼らに選ばれたのです。
犬猫保護のNPOの実態も様々ですが、それらの活動が一切なくなってくれるのが、私の理想の一つです。
人の善意につけこむようなこともね、あるようですし。
さて、長くなるのは私の悪いくせ。
ボクは、こたろう、漢字で書くと鯉太郎だって。
この服、もう頭も入りません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫