数年前の話ですが、懇意にお付き合い頂いているピアニストから、新居に納めるピアノを探して欲しいとのご依頼を承りました。
時間的な猶予はある程度頂けたので、なるべくご希望に添える一台を探そうと色々と条件を絞り込んでいきました。
予算、大きさ、タッチ、響き、耐久性、品質……ピアニストなので、見た目にはそれほどの拘りはなく、何よりも音とタッチが最優先でした。
色々とツテを辿って、数ヶ月ほど全国を探し周りました。
途中、某最高級国産ピアノの出ものにも巡り会いましたが、決定的な魅力は感じず、なかなか難航しておりました。
ご依頼を頂いてから半年程経った頃、静岡県の某社よりご連絡頂きました。
手頃な価格で珍しい名器が入ったよと。
早速お客様と一緒に見に行きましたところ、国内では滅多にお目に掛かれないドイツ老舗のメーカー「IBACH(イバッハ)」のGPに出会えたのです。
早速弾いてみたところ、直ぐにはこのピアノの魅力は掴めませんでした。
いや、すごく良いピアノだとは思いました。
すごく鳴る上、弾きやすい。
音にパワーも感じるし、素直な発音をしてくれる……これが僕の第一印象でした。
ただ、第一印象で掴めなかったことは、何故こんなに弾きやすいのだろうか?という技術者目線での構造的な理屈です。
おそらく、ピアノが修理工場内に無造作に置かれていたことも一因です。
試弾には、もっとも適しない環境だったと言えるでしょう。
それ以上に、まず音やタッチより、豪華な外装やフレームに目を奪われてしまったことも大きな要因です。
それぐらいフレームの装飾も華やかですし、譜面台も凝っていたのです。
もともと、見た目には関心のなかったお客様ですが、それでも良いに越したことはありません。
しかし、彼女は流石はプロの演奏者だけあって、見た目や音場に惑わされることもなく、直ぐにこのピアノの本質的な良さを見抜きました。
まず、ベースはもちろんのこと、中音から高音に掛けて、音の伸びがすごいとのこと。
よく見ると、全弦玉作り張弦(一本張り)でした。
これは、有名どころだとベーゼンドルファーなどが採用している方式で、高度な技術や多大な手間と引き換えに、伸びのあるクリアな音を生み出し易いなど、沢山のメリットもある張り方なのです。
アクションは、全てレンナー製のパーツに交換済みです。(もっともオリジナルもレンナー製ですが)
筬の構造も独特で、バックレールの位置を随分手前に持ってきてます。
こうすると、鍵盤の高さを揃える際に、微調整がやや困難になりますが、バックレールクロスへの負担は軽減され、消耗と落下音と弾き心地はかなり改善されます。
ちなみに、筬の左側に筬受けの板バネが付いています。
つまり、このピアノはソフトペダルを踏むと、鍵盤が左へ動くのです。
さて、次の写真、これこそこのピアノの最大の魅力を示す特徴が隠れています。
すぐに気付いた方もいられるかもしれませんが、框(フレームの手前部分の外装)が通常の倍以上分厚いのです。
何故でしょうか?
これは、その分鍵盤を長くする為です。
鍵盤の動きは、円運動の断片です。
垂直に動くようで、実際には弧を描きます。
つまり、回転半径が大きい程、弧が線に近付く為、タッチ感が良くなります。
また、アクション側の運動にもロスが少なくなる為、ピアノは鍵盤が長い程有利な構造なのです。
小さなピアノなのに大きなピアノのような音量を出すこと、或いはそう感じさせることは、困難とは言え可能です。
例えば、スタインウェイのS型なんて、ボディサイズからは想定出来ない豊かな音を鳴らします。
しかし、小さなピアノなのに大きなピアノのようなタッチを得ることは、構造上の力学の要因が大きくなる為、どうしても誤魔化し切れない一線があるのです。
このイバッハは、この両方を一気に解決しております。
ボディサイズ以上のパワーを、ボディサイズ以上のタッチ感を伴って鳴らしてくれるのです。
それこそ、彼女が真っ先に気付いことなのです。
「この大きさなのに、フルコンを弾いてるイメージが出来る!」
構造的な理屈より前に、彼女は感覚で瞬間的に見抜いたのでした。
そのピアニスト特有の嗅覚に感嘆すると共に、私自身も理屈抜きにピアノの本質を見抜く直感や感性は、もっと磨いていかなければ……と痛感しました。