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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

徒競走大会

2014-12-02 00:16:05 | 日記
好きなことを仕事にする、というのは現代社会において、とても憧れでありとても良いこととされているように思う。
今まで、そんな風に生きようと思ったことがほとんどなかった、あるいは考えることを避けてきたので、今私が世間的に見て好きなことを仕事にしているという状況は、客観的に自分を見て結構驚きなことではある。

もしも潤沢にお金があっても止められないことの延長のことが仕事になるのであれば、それはそれは幸いである。
もしも潤沢にお金があったとしても、色んな意味でかなり淘汰したものしか受けないと思うけれど、仕事はするであろうと思う。
たぶん、この社会の紛れもない一員として自分の価値を勝負している、というような意味合いが仕事、お金を得るということ、にはあるからだと思う。

私が書家や書を教える仕事だけをするつもりがないのは、それだけで食べられないということももちろんあるのだけれど、他の仕事が面白いとか割が良いとかがあるからだ。
他の仕事とは、前職の会社からいただいているライターの仕事。
割に専門的なことを調べて書いたり、座談会に出席してそれをまとめたり、といったことを、その案件に応じてやっている。
私はこれについてほとんど自ら営業をしていないので、とてもとてもありがたい仕事であると思っている。

こんなブログが辞められない私なので、文章を書くという仕事も結構愛している。
それは自分が書きたいことが書けなくても、私個人の名前で書くようなことがほぼなくても、だ。
雑学的な何かを仕事として否応なく仕入れられるのは願ってもないことだし、それなりに文章がまとまればそれはそれで嬉しい。
実際私でなくてはならないような仕事ではないが、その意味における楽ささえもありがたい。

書道の仕事がどんなに上手くいって、仮にまあまあ稼げたとしても、リスクヘッジの意味を込めてライターの仕事はやらせてくださいとこちらからお願いすると思う。
まあ、自分でほとんど営業をしていないだけあって、案件が終了すれば私への仕事も終了なので、その点は非常に危うくもあるが。

ただ、市場開拓とか、その価値の新しい産生という、私に派生しない何か一つの事業推進に心を燃やすことはもうできないかもしれないと思う。
思う、というか、たぶんできない。
社会ではとてもダメなことかもしれないけれど、私に派生しない何か、にはできるだけタッチしたくないのである。

もちろん全部が全部やりたい仕事であるはずもないし、そういうものもやっている。
弁解のようになってしまうが、私は普通の努力をしているだろうし、普通のビジネスライクな考えも持っている。
その中で、総じて、私は好きなことを限りなく自分の采配で仕事にしているなあと思ったりする。
「お気楽でいいね」という目線も多々向けられるようになったけれど、「そうでしょ」と強がっても答えたい。

しかしながら、たとえば歌手とか、アイドルとか、大学教授とか、書道家とかそういうわかりやすい一芸的職業が所謂「好きなことを仕事にしている」と表されると思うけれど、営業であれ事務であれ好き嫌いがあるとすると、まあまあ多くの人が好きなことを仕事にしている、あるいは仕事に好きなことが含まれている、のではないかとも思う。
そうでもなければ、そんなにたくさんの時間を費やすことがどうして我慢できよう、と思う。

お金を稼ぐということは、本人の性別や年齢や体力や学歴などの資産によって制限はあれど、実際にはかなり広い選択肢があると思う。
ここに稼げるお金の量や、費やす時間、世間体、技術の有無などさまざまなことが天秤にかけ合わせて、自分で選んでいるわけだ。

ただ、私のように好きなことを一つに絞れず、とりあえず一通りのことに広く浅く、ときに深く興味がある場合は良いが、仮に「私には野球しか好きなことがなくて、それでしか食べていく方法が考えられないんです」という人がいたとしたら、それは選択肢が少なすぎて辛いのかなと思ったりもする。
いやでも、どうしても止められない好きなことの延長に仕事があるとしても、仕事の延長にどうしても止められない好きなことがあるわけではないから、どうしても止められない好きなことは原理的に言って失われない。
生きていくために稼がなければならない前提はもちろんあって、しかし、「それでなければ仕事ができない」というのは、その好きなものの内容、あるいは得たいものが別のところにあることになってしまう。

何だか熱が入ってしまったけれど、何が言いたかったかというと、結局とても多くのことを自分の選択によって成しているのだということである。
あと、「好きなことだけやってていいよね」というある種の堕落者のレッテルを貼るように言うのは違う。
好きなことだけやっているわけでもなければ、好きなことは身体的に不可能にならない限り失われないのだから、その点において私もあなたも一緒ということだ。

文章の拙さなどによって上手く伝わらないと、「お前はいいよな」ということにもなりかねないけれど。


音楽歴が浅いからか、全く通ってこなかったナンバーガールを向井秀徳から入って借りてみる。
私は単純に音に厚みがあるバンドサウンドを好むと勝手に思っていたのだけれど、これに限っては向井秀徳ソロの方が断然良く聴こえるのはなぜだろう。
ソロも数曲をYouTubeで聴いただけだけれど、彼の独立感、ときに孤独感とも言う、とはすさまじいなと思う。

次の展覧会は、何か他に上回るものが出ないか、もしくは私の気分が変わらなければ「自問自答」を書きたい、と早くも思っている。

会期を終えたので、今作を載せておきます。
わざわざ会場にお足を運んでくださった皆さま、本当にどうもありがとうございました。


玄関を締めて春待つ漫画本