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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

経験則に漏れず

2015-10-18 15:07:41 | 日記
2人目の子どもが産まれて、2か月の間けいこのかいがいしい世話も一旦終了して、てんてこまいになっているいもうとを援助に行く。
私の住んでいる場所から小一時間かかるので、遠い。

下の子はおかあさんを独り占めする知恵を心得ている、どうしてもそんなふうに思えてしまうのは、私が上の子の目線で見ているからだろうか。
もちろん自分ではまだ数センチ移動することも、向きを変えることさえもできないので、あらゆるお世話が必要なことはそうなのだけれど、起きているときは「私を抱いててくれないと泣いちゃうもんね」というアピールが、上の子に対して行われているような気がするわけである。
上の子がとても顕著に嫉妬を示しているので、それに対抗しているようにも見える。

下の子にかかる時間に、上の子は仕方なしに私の膝に入ってきたりする。
私はそれを、物理的な意味で、重たいな、温かいな、と思いながら、私じゃだめだよね、でも座る膝がないよりいいよね、と心の中で思う。

きょうだいのどのポジションであれ、思い通りにならない、という思いを日々やり込めながら皆複雑に成長していくのだろう。
姉には姉の、妹には妹の、それぞれの“思い通り”のために日々奮闘していくのだろう。

それもそうと、きょうだいというのはさまざまな関係があると思うけれど、きょうだい仲が悪い、という場合はほとんど親の愛情の取り合いに端を発しているものだと思う。
一人っ子の人が、「きょうだいが欲しかった」という切実な発言を私は未だかつて聞いたことがないのだけれど、おそらくそういうことだろう。
一人っ子が自分の“思い通り”になるかは別としても。

私といもうとは双子なので、もう少し特殊な関係性があったわけだけれど、今割と仲が良いのは、親の愛情を取り合うということはさほどなかったからのように思う。
幼い頃は、私よりもいもうとの方が身体が弱く、そのせいで置き去りにされていた私の心は荒れもしたけれど、その後けいこの愛情はほとんど平等に分配されたように思っている。
まあ、というより、けいこの愛情表現は孫に対するものとは全然違って非常に分かりづらいものなので、奪い合うそれは特になかったのだけれども。

それにしても子守というのは、本当に大変である。
上の子は3歳で、所謂「注目行動」で大人にとっての“悪さ”もするし、言葉が達者にもなって「何してるの?それ何?」「それ一個だけ食べたい」と外で煙草を1本吸うことも、コーヒーで小休憩することもままならない。

朝起きて、朝ごはんの支度をして、着替えさせて、食べさせて、片付けして、洗濯して、掃除して、上の子を保育園に送り、お昼を済ませて、買い物に行き、ワイドショーを見たら上の子のお迎えに行って、遊びに付き合い、夜ごはんの支度をして、食べさせ、片付け、洗濯物をたたみ、明日の準備をし、お風呂に入れて、寝かしつける。
その間に、下の子の授乳とおむつ替えを度々行い、泣くのをあやす。
夜は「ふえっ」と下の子が泣けば、むくっと起きて授乳をしておむつを替えたり、あやしたりする。
子どもがひとりなのとふたりなのとでは大違いだ。

おばさんの私は、授乳はもちろん、特にごはんを作ったり、おむつもめったに替えてあげないのだけれど、おむつは私が逆に付けてしまったりするので呆れられる、とりあえず、子どもから文字通りの意味で目が離せないということが問題なので、何を特別にしなくとも子どもを見ている大人が必要なことはよく分かる。
おとうさんもできるだけ早く帰ってきてほしいし、おばあちゃんにもいてもらいたいというのはよく分かる。

子どもの社会性を身に付けるべく、あらゆる時間に定刻が設けられているので、もう12時、もう3時、もう5時半、もう7時半、もう9時!と目まぐるしく一日が過ぎていく。
今の私は、仕事の都合以外は定刻で動くことが少ないので、これに付き合っていると全然私の“思い通り”にならない。
大人の私が何を言うか、だけれど。

私はかわいい姪っ子たちに、なるべく社会性のない生感が伴った意志のある行動、をおばさんに見せてほしい、という願望を密かに持っていもうと宅に出向くのだけれど、そんなものは0歳児であろうと3歳児であろうとそんなにたくさんはないもののように思えてきた。
子どもは子どもなりにかなりの状況把握をしているようだし、既に「役割演技」のような行動で手一杯のようにも見える。
あと、0歳児では行動の幅が狭すぎて、当然ながら何か意志を持って行動するにも表現力がなさすぎる。
というのもあるし、受け手側も0歳児の表現を読み取ること能力に乏しいというのもある。

誰のためでもない、ただそうしたくてそうしたの、そんな瞬間に立ち会えたらおばさんは幸せである。
ただ、私のイメージするそれは、きっと多くの場合男の子がするような行動のようにも思う。

仕事があるので、ひと晩泊まって朝早くいもうと宅を出る。
実家に帰ったときのように、私は早々にイヤホンを耳に突っ込む。
エアロスミスのスティーブンタイラーは、本当に「スティーブンタイラー様!」という感じがして、持っていかれる。


窓辺にてしぐれてきたよと長女言う




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