社会不安障害と向き合え!

精神疾患のある大学生の日記です。気ままに更新します。※ブログタイトル変更(6/6)

薬の作用・副作用

2007-05-31 | 思考
語学の友達と喋り、サークルの仲間と夜九時過ぎまで歓談。

「ひとりぼっちの体験記」というブログタイトルが相応しくないように思えてきた。しかし私の脳内が、「ひとりぼっち」の看板を外すのをまだ受け付けない。今日が特別なだけで、まだまだ孤独を感じる日々は続くだろう。肝心のトークができるようになったのではないし。病気自体は全然治っていないんだし。でも、近々ブログタイトルは無難なものに変えるかもしれない。

二週間前に飲み始めた薬が効いてきているのだろうか。人に話しかけることに、前より抵抗がなくなったように思う。実際喋れるかどうかは別として。参考までに書いておくと、服用しているのはデパス、ルボックス、PZCの三種類。飲み始めなので少量ずつ。

だけど、副作用なのか、以前より無感動になったような。離人感が強くなったというか。自分の行動がやたら客観的に見える。自分との一体感は元々無いけど、前よりも無くなったような。自分が無表情なことに気づき、慌てて表情筋を整えることも増えた。それと食欲減退が著しい。食パン一枚、カロリーメイト、少しのチョコレート、ごくごく少量のうな丼が今日一日食べた物。食べる量が以前の半分以下で、しかも、食べなきゃ体が動かなくなると言い聞かせて無理に食べている。いつもなら更にお菓子をたっぷり食べていたし。んー、どうしたものか。今までが食べすぎだったのでちょうどいいと考えることにしようか。

今日はこのくらいで。

理解のような無理解

2007-05-30 | 思考
昨年の語学の先生は、鬱病に多大な関心を寄せている人であった。授業中、毎回のように鬱病の話をしていた。テキストも健康に関するものだった。先生は「鬱病の疑いがある人は相談に乗るので気軽にメールをしてください」、というようなことを言っていた。私は人に自分の精神状態を告げるのは嫌だったのだけれど、とある理由で、何らかの精神疾患がある旨を先生に伝えざるを得なくなってしまった。

先生の助言を得て、初めて心療内科に出向く。正直に言うと、助言というより、脅しに近く感じた。「早く治療しないと手遅れになる」ようなことを言われたのだ。「鬱病は絶対に治る病気です」とも言われた。患者にそういう言葉は禁忌だろう。そもそも、鬱病だと確定していないのに。とは思いつつも、就活が迫ってくる前に治せたらいいなあということで、心療内科の門を叩いたのであった。

そして受けた診断が「社会不安障害(SAD)」。語学の先生にそう伝えても、鬱病が云々というメールばかりが来た。心の病は全て鬱病だと思っているんじゃないか。はっきり言って不快だったが、学生の私としては単位がかかっているので意見を述べることはしなかった。できる限り自分の症状の話はしたくなかったし。

私の遅刻・欠席癖について、回避性人格障害やADHD等の知識があれば「鬱病で遅刻するなんて聞いたことが無い」「もっと症状がひどかった人だって授業にはちゃんと出ていた」なんて言わずに、色々な可能性を探ってくれたはずだ。

ある時、唐突に「統合失調症を疑っています」なんてメールが送られてきたこともあった。何の脈絡も無く、何故そんなことを言い出すのか訳が分からなかった。後で分かったことだが、過去に鬱病だと思って精神科を受診した学生が統合失調症だった事例があったらしい。

先生には少々の驕りがあると思った。メールをしていると、あなたの考えていることはお見通しです、言いたいことは全て分かります、と言われているように感じたのだ。また、鬱病の知識を広めることで、啓蒙活動をしている優越感のようなものを得ているように思えた。病気を抱える当人としては、彼が持っているのは知識だけで、実体験は皆無なことが見て取れた。経験していないことが悪いのではない。知識だけで全て理解できていると思い込んでいるのが気になった。本当にそう思っているのかは知らないけれど、少なくともそう感じた。

でも、先生のような存在は貴重だと思う。精神病への理解が決して深いと言えない日本社会で、罹患者の多い鬱病について、授業で頻繁に触れてくれるのはありがたいことだ。やたら鬱病だけに固執しているのが気になるけれど、これからも精神病の知識を広め続けて欲しい。
(できれば、もっと色んな種類の病気を取り上げていただきたい。あと、病院に行ってもお金が戻ってくる学生健康保険制度についてや、精神病だと診断されると将来生命保険に加入できなくなる可能性があることについても教えるべきではないかと思う。)

全体的に愚痴ばかりになってしまった。去年抱えた憤りを、私はどこかで発散したかったのだろう。でも、先生には一応、感謝はしている。

最後に余談。統合失調症について、「統合失調症の疑い」メールを貰ったときは陽性症状(幻覚や幻聴など)のイメージのみが強かった。統合失調症については何回も調べたことがあったはずだったのだけれど。そして、さっきまた久しぶりに調べてみたら、陰性症状も代表的な症状としてあることが分かった。陰性症状のみであれば私に当てはまるものもなくはないけど、やっぱり私は統合失調症ではないと思う。

見た目

2007-05-29 | 思考
等身大の鏡を眺める。ちょっとかわいい、と一瞬見入る。
角度を変える。これ、かわいいか?疑問符がつく。
笑ってみる。笑顔なら、いけるかも。
違うスマイルを作る。まあまあ、かな。
アングルを元に戻す。やっぱ普通じゃん。

見れば見るほど、かわいくなくなっていく。
見る時間が長いほど惹き込まれていくような顔ではない。
こんな顔の女に惚れる人はいるんだろうか、なんて考える。

好きな人の顔って、いくら見てても心がほわっとし続けるものだ。
私のこの顔、ずっと見ていたいなんて思う人がいるだろうか。

体型はお世辞にも良いとは言えない。顔をカバーできない。

全体の雰囲気は個性的かもしれない。
年齢の割に大人っぽいそうだ。
でも中身は子供以下だ。自制ができなくて、だらしなくて。
見掛け倒し。

今まで私のことを好きになってくれた人は、私の何が良かったの?
「独特」とか「波長が合う」とか言ってくれたけど、私が変わってるってことだろうか。

変だっていう自覚はある。
誰一人同じではないのだから、他人と異なっているのは当然。
だけど、あまりにもおかしい。そこを修正したい。

晴れ晴れする時、ゆううつな時

2007-05-26 | 思考
日によって落ち込みの度合いは異なる。

朝起きるとなんとなくすがすがしい気持ちになっている日。そんな日は、普段一時間以上はかかる支度を三十分で済ませることができることもある。逆に、充分に寝たのに布団から出たくなくて起きるのに苦労する日もある。(平均的な日は、家を出る一時間半前に起きて学校へ行く準備をする。)

日中の不安感・焦燥感もまた日ごとに違う。これまでの経験からすると、より人に会わずに過ごせる日は、感じる不安が少ない。

夏休みや春休みといった長期休暇中は、人混みのキャンパスに出向かなくて良いため安定しやすい。安定するといっても、対人関係から劣等感や不安感を抱かずに済むだけで、「話せない」、「人と面すると緊張する」等の根本的な問題は解決していない。

不安は、少なければ少ないほどいいってものでもないようだ。現状は人を避けていれば落ち着くのだとしても、避け続けると人と接する機会を一層恐れるようになってしまう。

それに、今日一日楽しかったなあ、と思える日というのは、誰かと会話が弾んだ日なのだ。つまり、誰にも会わないことが心の安定する秘訣なのではない。仲間と遊ぶことや他人とのささやかな触れ合いを通じて、本物の安定を得られる。

安定、ではないかな。安定を求めるのは間違っているだろう。生きている限り、心身は常に不安定なものだと思う。今まで、不安が無いという状態を求めすぎていた。病的に不安が強すぎるのが問題なのだが、全てのマイナスの感情を拭い去ることなどできないし、喜怒哀楽あってこその充実した生活があるのだろう。

今はまだ不安を感じすぎる。
できるだけ人と触れ合い、心や体が疲れた時は自分に遠慮せずに休む、というのが現在の私にとってのベストな過ごし方なのかもしれない。

話せない原因は?

2007-05-24 | 日記
昨日今日と、高校時代の唯一の友達と遊んできた。(「これまでの友人関係概要」に書き忘れたが、一人だけちゃんとした友達がいたんだった。)ウィンドーショッピングとカラオケと積もる話をメインに、二日間で十六時間近くを二人で過ごした。字面だけ見ると、私は社会不安障害から程遠い人のようだ。自分でも、こんな風に遊んじゃうと、自分が充実した生活を送っているように錯覚してしまう。

お店の商品を見て回ったりカラオケしたりするのはやりすごせるけど、やっぱり話すことは苦手だと実感した。彼女はとにかくよく喋る子なんだ。だからこそ私と長時間いられる。興味深い話をたくさん聞かせてもらっちゃったのに、私の方からは全然情報をあげられなかったような。九割方は彼女が喋っていた。

彼女はちょっと変わった子だ。私が話にそぐわない質問をしたり、突然話題をガラッと変えたりしてしまっても、全く気にせずに答えてくれたり次の話題へ移ってくれたりする。私が全然口を開かなくても引かない。(なぜなら、彼女がいつまでも喋り続けるからなんだけれど。)きっと、第三者が聞いたら支離滅裂だろう会話の繋がり方ばかりしている。だけど、「共有している空気」のようなものがあって、私たちの間では文法的におかしな会話はしていない、はず。

久しぶりに話し続けた気がした。しかし冷静に考えると、私自身は本当に口数が少なかった。彼女とはうまくやっていける。だけど、新しい友達を作る際や、何らかの組織に組み込まれようとする際に、話す能力の無さは大きな障害となる。

克服はできるのだろうか。とても不安であり、不安であるからまた喋りにくくもなる悪循環。いや、悪循環などではない。能力が無いだけ。いや、能力が無い、のか?原因が分からない。心理的な影響で話せないのか、情報収集が不足しているのか、元々アウトプット力が弱いのか。何なのだろう。

小さい頃からまとまった話をすることはできなかったと記憶している。ああ、そもそも小さい子ってのはまとまった話はできないか。ともかく、今口下手なのは、ひたすらに私が悪いのか、育ちの問題か、脳の機能的な問題か。三歳くらいの時に頭を強く打ったけど、まさかそのせいでもないだろうし。

なんなんだろうなあ。原因が分かれば、対策が練りやすいのだけれど。

SADの女は恋愛対象になり得るか

2007-05-22 | 思考
恋人に求める要素。顔、体格、性格、経済力などなど、人によって見る部分は多種多様だ。よく「顔と性格どっちを取る?」なんて質問があるけど、愚問だと思う。(真面目に反論するような質問じゃないのは分かってる。)顔と性格がその人を決定する全てではない。様々な要素が複雑に絡み合って一人の人間となっている。

そこで敢えて顔か性格か考えてみる。
私の場合、いくら優しくて頼りがいがあって自分を愛してくれる人でも、どうしても受け付けない顔というものがある。また、顔がまあまあで気もそこそこ合うと思う人でも、遊びに行った時にマナーがあまりになっていないと冷めてしまう、と言うか、自分との育ちの違いを感じてしまい、付き合ってもうまくいかないだろうと感じてしまう。
結局どっちなのか。やはり私はどちらともいえない。惹かれる顔の範囲はそんなに限定されているものではない。ジャニーズ系じゃなきゃ嫌だとか、年上の貫禄がある人じゃないとダメだとか、そういった限定はない。ただどうしても、どうしても無理な人がいるのは確か。本当に悪いなあと思うのだけれど。こんなこと書くと自分性格悪いって思われそうだけれど。
将来の私の恋人は、遊ぶなどするうちにいいな、と思えてかつ顔も愛しく思える人かな。

恋愛観を語るのはいいが、問題は当の本人である私だ。

私の容姿は普通だと思う。背は中くらいで、色白で、少しふっくらしている。美人だといわれることもあるけれど、美人って言葉は並の容姿であれば誰でも言われるものだから真には受けない。一目惚れをされたことがあるので、はまる人ははまる顔なのかもしれない。
筋肉が付きにくい体質で、二の腕や背中周りの脂肪が気にはなる。同年代の子たちと比べると、少し脂肪が多いほうだと思う。でも、自分の容姿に関してはコンプレックスはない。痩せられればベストだけれど、無理にダイエットをしようとすると鬱状態がひどくなるってわかってるから、とりあえず外見は今の自分で満足している。

でも、見た目はそこそこでも、私の場合中身がない。性格は優しいを通り越して気が弱い。すぐにおろおろしてしまう。一番の問題は、話すことが苦手なこと。社会不安障害の特徴の一つだ。
私が話す場といえば、サークルくらいしかない。(家では話さないも同然だし。)誰かに話しかけに行っても、ちょっと話すと会話が途切れてしまう。相手がお喋りだと結構会話が続くこともある。そんな時、私は基本的に相槌を打っている。だけど、いつもいつもそれでうまくいくとは限らない。というか、ほとんどの人とうまく会話が成立しない。入部してから分かったことだけれど、サークルの性質上、コミュニケーション能力が低いと活動していく上でかなりきつい。それでもなんとか居続けるのは、喋る場が完全になくなってしまったら自分が壊れてしまいそうだから。
五月は新入生がサークルに定着してくる時期だ。一年生に対し、今までは学部やら住まいやら趣味やらを聞くお決まりの話題で何とかやっていっていたが、そろそろ、私の化けの皮が剥がれる頃。ほんのり恋心を抱いてくれてた子がいたとしても、私がダメな先輩だって分かってすっかり冷めてしまうだろう。

ごく普通に友達になろうと近づいてくれる人も、私が話せない女だと分かると距離を置く。話せないから、私から近づくことは滅多にない。私を恋愛対象として見てくれる男性は、相当の変わり者だし、今現在、近寄ってくる男の人はいない。

授業は一人で

2007-05-21 | 日記
大学の授業はいつも一人で受けている。
小さな教室で行われる語学の授業も、大教室での講義も、友達と隣の席や近くの席で受けるというようなことはしない。友達がいないからだけれど、一人だと気楽でいい。
授業中、自由に自分の世界に浸れる。真面目に講義を聞いてもいいし、本を読んでもいい。小説を書いていたって誰にも気づかれないし、突然話しかけてくる人もいないので慌てて隠す必要もない。(ちなみに小説、いくつもあらすじを練り上げるのだが完成したことは一度もない。長くて一章で終わってしまう。なかなか続きを書く気にならないのだ。)

友達がいないとはいえ、誰とも喋ったことがないのかと言うとそれは違う。
私の通っている大学は比較的学生数が多いのだが、語学の授業となると、二十人から四十人、さながら高校のクラスのようだ。語学の授業は隣の人と組んで作業をすることがある。そうしてその授業だけで話す、表面的な友達は何人かいた。ノートのやり取りをするだけの割り切った関係の人もいた。

そういうタイプの知り合いは、毎年変わっていく。一年次にノートのコピーを取らせてもらったり取らせてあげたりした子とは、二年次には「微妙な知り合い」にすらならない。キャンパスで遭遇することも滅多にない。年に一度二度見かけたとしても、避けてしまう。

二年次では、英語のクラスの先生が共同作業をやたらさせる人だった。隣になった女の子とは次の授業も被っていたので、形式的に次の時間も一緒に出席した。本当に微妙な関係だった。お互いの名前を呼び合ったことは一度もなかった。それでも全く話す人がいないよりはマシだったのかもしれない。

私は毎学期、一ヶ月ほど経過すると学校に行かなくなる。分かりやすく言えば五月病のようなものだ。そのせいで親交を深められなかった人も何人かいるはず。話すようになってきたところで授業に出なくなるのだから。友達になりかけた子は別の子とどんどん仲良くなっていくのだ。とは言っても、毎週話し続けたところで私の中身のなさが露呈して関係終了だったろう。どちらにしろ長期的な友達はできなかっただろう、と言う結論にしておく。

それはさておき、三年生の今、私は完全にひとりで授業を受けていた。
英語のクラスでだけ、四月中に二言三言会話を交わした人がいたけれど、もう一ヶ月以上話さなくなっていた。
そこで私の五月病到来。学校に行かなければ落ち込みが余計ひどくなるだけと分かっているのに行けなくなってしまうのだ。そして、その英語の授業も三回連続して休んでしまった。
この英語の先生、出席率と授業への貢献度に、成績をつける上でかなりの比重を置くと明言していた。というわけで、そろそろ出席しないと単位を落とすことになる。まだぎりぎり大丈夫だと思い、今日は久しぶりに頑張って出席してみた。

ところがせっかく出た授業で、プリントを持ってくるのを忘れてしまった。だいぶ前に配られたものだった。別の授業のプリントを家でファイルから出した時に、重なっていてうっかり抜き取ってしまったようだ。ああ、ファイルの整理もしなくてはなあ。全部の授業のプリントが同じファイルに挟んである。整理整頓は非常に苦手なんだ。面倒くさがりだし。だけど授業に影響してしまうのはよくない。明日なんとかしよう。

これまたさておき、プリントを忘れた私は、隣の人に見せてもらった。それで何とかやり過ごすことができた。授業が終わると、前の席の子が振り返って、プリントをなくしたのか聞いてくれた。四月中に話したことのある子だ。プリントは家にあるって分かってたけど、コピーを取らせてもらうことにした。
すごく穏やかな男の子だ。同年代にしては落ち着いている。やさしい雰囲気の子なので、私は焦らず話すことができた。
この人とは、友達になれる。直感でそう思った。大学に入って、初めてそう思えた。
でも、今後どうなるかは分からない。話す回数が増えるにつれ話題がなくなって話せなくなる可能性だって無きにしも非ずなのだから。そう、これがいつものパターン。
彼とはうまくやれるかなあ。長ーく関係の続く友達になれるといいなあ。

SADの診断とその他疑わしい病状

2007-05-19 | 思考
二ヶ所の心療内科で、私は「社会不安障害(SAD)」と診断された。
一度目は、一年前、自分が社会不安障害だと思って診察に行った。
二度目はつい最近。
両方とも、初診の段階でぱぱっと診断を下してもらった。
私自身も社会不安障害が当てはまると思う。
だけど、他にも厄介な問題を抱えているはず。
回避性人格障害か、ADHDかアダルトチルドレンの性質も併せ持っていると思う。
自己診断がよくないのは承知しているので、早く医者に診断を貰いたい。
とくに、ADHDであるかないかをはっきりさせたい。
ADHDは昔から子供に現れる特質、と言われていて、大人のADHDを認めている医師はまだ少ないそうだ。
漢字に直すと「注意欠陥多動性障害」。
多動とは手足を動かすなど落ち着きがないこと。多動性がない場合は注意欠陥障害、またはADDという。厳密に言えば、私はこちらだと思う。
どうなんだろうなあ。

会話?

2007-05-18 | 思考
わからない。友達って何?
どうして、話すことが楽しいのだろう。
確かに誰かとたまたま話が盛り上がると、コミュニケーションっていいものだな、と思う。
でも、そんなことって一ヶ月に何回か、あるかないか。大半は人間関係が苦しい。

人との交流がかけがえのない大切なもの、だとかは理解できる。
多くの人が楽しんでいるものだとも思う。
もちろん、誰だってうまくいかないことがあることもわかってる。
馬が合わない人だっていることもわかってる。

だけど、私は人と会うだけで辛い。
この人と話していいものか、今話しかけていいものか、などといつも迷ってしまうのだ。


※6/12、若干修正

これまでの友人関係概要

2007-05-17 | 思考
物心ついた頃から、あらゆることに不安を抱く人間だった。
自分の意見を言えない、欲しいものがあっても決して口にはしない、そんな子だった。

小学校低学年では休み時間もクラス全員で遊ぶようなことが多かったため、
寂しい思いをした記憶はない。ただ、友達関係はどことなくぎくしゃくしていた。
私が感じていただけなのだが。
小学校四年の三学期、進学塾に通い始める。少し仲良くなった子は途中でやめてしまった。クラスが上がってからは特に、誰とも打ち解けることができなかった。
小学五年生のクラス替えで、地味な三人組の中の一人になる。けれど、他の二人とはなんとなく合わないと感じたし、二人だけで行動されることも時々あった。休み時間を教室内で過ごすようになったのは五年生から。何をしていたのかは覚えていない。例の二人と話すか宿題をやるかしていたのだろうか。
孤独感こそ生じつつあったが、いじめなんてなかったし、勉強はできたからどちらかというと周りから羨まれる存在だった。
塾は六年生の夏休み後に、あまりにつらくやめてしまった。やめたとはいえ、毎週日曜日にあるテストは受けていた。週末にテキストをぱっと開いてざっと読むだけ。四年生から繰り返し似たような内容を学習していたこともあり、週末の流し読みだけで、そこそこの点数は取れた。
中学受験は、傍から見れば大成功。自分では受かると思っていなかった学校に受かってしまった。

中学入学。小学校からの持ち上がりの子はいわゆるお嬢様ばかり。
他人との違いを気にして、コンプレックスを抱くようになったのはこの頃から。
この中学でなくても思春期に差しかかれば同様の結果になっていたとは思う。
中学でも、やはり友達作りがうまくいかなかった。表面的な友達はできたけれど、一緒にお弁当を食べるのもつらく、次第に昼食の時間も休み時間も一人で過ごすようになる。
学年によっては表面的な友達と昼食の時間を共に過ごすこともあったが、常に居心地の悪さを感じた。

中高一貫のため、高校でも状況は変わらず。今思うと、高校受験をして別の学校に行ってしまえば少しは楽になったかもしれないが、当時はそのようなことを思いつかなかった。
苦しさは積み重なればどんどん重たくなるもの。
高校生の頃は毎日「生きていたくない」と思っていた。「死にたい」ではない。
命を絶ちたいのではないけれど、日々生きることが、えも言われぬほどの苦痛だったのだ。
しかし、結果的には私の通った学校が母校で良かったと思う。社会的に困難な立場に置かれている人々への思いやりの気持ちを育ててくれたのはこの学校だからだ。(この記事でこんなこと書いてもわかりにくいかな。)

私は一年浪人生活を送った。最初に話すようになった子は、あまりにも合わないと感じて距離を置くようになった。うまくやれば、もう少しいい関係を築けたかもしれない、とも思う。
その子とは別に、時々話す男の子がいた。一年を通じて時々会話を交わした。
恋愛感情はなかったけれど、やわらかな笑顔の持ち主で、話すと癒された。
彼がいなかったら、私の浪人時代はもっと破綻したものになっていたかもしれない。
彼は私と同じ大学の別の学部に合格。現在は一切連絡を取っていない。

大学に入学して、私は変わろうと決意した。サークル探しを頑張った。中高が女子校で辛い思い出が多かったため、女の子が少なめのサークルにした。
今まで人と会話不足だったから、サークルの人とも全然話すことができなかった。だけど、とにかくサークルに居座ることにした。
三年目の今も、会話が苦手。同じ学部の友達はいないから、話す場はサークルくらい。その集団の中でも、話せる人・話せない人と二極化している。そして、大抵の人と喋れない。特に先輩。話せる人とも、中身のない会話しかできない。

改めて過去を振り返ると、友人と良好な関係を築いた記憶はほとんどない。
もしかしたら、生まれつきのコミュニケーション障害かな、とも思う。
今の時点ではまだ「社会不安障害」のみの診断である。
具体的な症状や心の病気についてはまた別の記事で触れる。