社会不安障害と向き合え!

精神疾患のある大学生の日記です。気ままに更新します。※ブログタイトル変更(6/6)

理解のような無理解

2007-05-30 | 思考
昨年の語学の先生は、鬱病に多大な関心を寄せている人であった。授業中、毎回のように鬱病の話をしていた。テキストも健康に関するものだった。先生は「鬱病の疑いがある人は相談に乗るので気軽にメールをしてください」、というようなことを言っていた。私は人に自分の精神状態を告げるのは嫌だったのだけれど、とある理由で、何らかの精神疾患がある旨を先生に伝えざるを得なくなってしまった。

先生の助言を得て、初めて心療内科に出向く。正直に言うと、助言というより、脅しに近く感じた。「早く治療しないと手遅れになる」ようなことを言われたのだ。「鬱病は絶対に治る病気です」とも言われた。患者にそういう言葉は禁忌だろう。そもそも、鬱病だと確定していないのに。とは思いつつも、就活が迫ってくる前に治せたらいいなあということで、心療内科の門を叩いたのであった。

そして受けた診断が「社会不安障害(SAD)」。語学の先生にそう伝えても、鬱病が云々というメールばかりが来た。心の病は全て鬱病だと思っているんじゃないか。はっきり言って不快だったが、学生の私としては単位がかかっているので意見を述べることはしなかった。できる限り自分の症状の話はしたくなかったし。

私の遅刻・欠席癖について、回避性人格障害やADHD等の知識があれば「鬱病で遅刻するなんて聞いたことが無い」「もっと症状がひどかった人だって授業にはちゃんと出ていた」なんて言わずに、色々な可能性を探ってくれたはずだ。

ある時、唐突に「統合失調症を疑っています」なんてメールが送られてきたこともあった。何の脈絡も無く、何故そんなことを言い出すのか訳が分からなかった。後で分かったことだが、過去に鬱病だと思って精神科を受診した学生が統合失調症だった事例があったらしい。

先生には少々の驕りがあると思った。メールをしていると、あなたの考えていることはお見通しです、言いたいことは全て分かります、と言われているように感じたのだ。また、鬱病の知識を広めることで、啓蒙活動をしている優越感のようなものを得ているように思えた。病気を抱える当人としては、彼が持っているのは知識だけで、実体験は皆無なことが見て取れた。経験していないことが悪いのではない。知識だけで全て理解できていると思い込んでいるのが気になった。本当にそう思っているのかは知らないけれど、少なくともそう感じた。

でも、先生のような存在は貴重だと思う。精神病への理解が決して深いと言えない日本社会で、罹患者の多い鬱病について、授業で頻繁に触れてくれるのはありがたいことだ。やたら鬱病だけに固執しているのが気になるけれど、これからも精神病の知識を広め続けて欲しい。
(できれば、もっと色んな種類の病気を取り上げていただきたい。あと、病院に行ってもお金が戻ってくる学生健康保険制度についてや、精神病だと診断されると将来生命保険に加入できなくなる可能性があることについても教えるべきではないかと思う。)

全体的に愚痴ばかりになってしまった。去年抱えた憤りを、私はどこかで発散したかったのだろう。でも、先生には一応、感謝はしている。

最後に余談。統合失調症について、「統合失調症の疑い」メールを貰ったときは陽性症状(幻覚や幻聴など)のイメージのみが強かった。統合失調症については何回も調べたことがあったはずだったのだけれど。そして、さっきまた久しぶりに調べてみたら、陰性症状も代表的な症状としてあることが分かった。陰性症状のみであれば私に当てはまるものもなくはないけど、やっぱり私は統合失調症ではないと思う。