社会不安障害と向き合え!

精神疾患のある大学生の日記です。気ままに更新します。※ブログタイトル変更(6/6)

授業は一人で

2007-05-21 | 日記
大学の授業はいつも一人で受けている。
小さな教室で行われる語学の授業も、大教室での講義も、友達と隣の席や近くの席で受けるというようなことはしない。友達がいないからだけれど、一人だと気楽でいい。
授業中、自由に自分の世界に浸れる。真面目に講義を聞いてもいいし、本を読んでもいい。小説を書いていたって誰にも気づかれないし、突然話しかけてくる人もいないので慌てて隠す必要もない。(ちなみに小説、いくつもあらすじを練り上げるのだが完成したことは一度もない。長くて一章で終わってしまう。なかなか続きを書く気にならないのだ。)

友達がいないとはいえ、誰とも喋ったことがないのかと言うとそれは違う。
私の通っている大学は比較的学生数が多いのだが、語学の授業となると、二十人から四十人、さながら高校のクラスのようだ。語学の授業は隣の人と組んで作業をすることがある。そうしてその授業だけで話す、表面的な友達は何人かいた。ノートのやり取りをするだけの割り切った関係の人もいた。

そういうタイプの知り合いは、毎年変わっていく。一年次にノートのコピーを取らせてもらったり取らせてあげたりした子とは、二年次には「微妙な知り合い」にすらならない。キャンパスで遭遇することも滅多にない。年に一度二度見かけたとしても、避けてしまう。

二年次では、英語のクラスの先生が共同作業をやたらさせる人だった。隣になった女の子とは次の授業も被っていたので、形式的に次の時間も一緒に出席した。本当に微妙な関係だった。お互いの名前を呼び合ったことは一度もなかった。それでも全く話す人がいないよりはマシだったのかもしれない。

私は毎学期、一ヶ月ほど経過すると学校に行かなくなる。分かりやすく言えば五月病のようなものだ。そのせいで親交を深められなかった人も何人かいるはず。話すようになってきたところで授業に出なくなるのだから。友達になりかけた子は別の子とどんどん仲良くなっていくのだ。とは言っても、毎週話し続けたところで私の中身のなさが露呈して関係終了だったろう。どちらにしろ長期的な友達はできなかっただろう、と言う結論にしておく。

それはさておき、三年生の今、私は完全にひとりで授業を受けていた。
英語のクラスでだけ、四月中に二言三言会話を交わした人がいたけれど、もう一ヶ月以上話さなくなっていた。
そこで私の五月病到来。学校に行かなければ落ち込みが余計ひどくなるだけと分かっているのに行けなくなってしまうのだ。そして、その英語の授業も三回連続して休んでしまった。
この英語の先生、出席率と授業への貢献度に、成績をつける上でかなりの比重を置くと明言していた。というわけで、そろそろ出席しないと単位を落とすことになる。まだぎりぎり大丈夫だと思い、今日は久しぶりに頑張って出席してみた。

ところがせっかく出た授業で、プリントを持ってくるのを忘れてしまった。だいぶ前に配られたものだった。別の授業のプリントを家でファイルから出した時に、重なっていてうっかり抜き取ってしまったようだ。ああ、ファイルの整理もしなくてはなあ。全部の授業のプリントが同じファイルに挟んである。整理整頓は非常に苦手なんだ。面倒くさがりだし。だけど授業に影響してしまうのはよくない。明日なんとかしよう。

これまたさておき、プリントを忘れた私は、隣の人に見せてもらった。それで何とかやり過ごすことができた。授業が終わると、前の席の子が振り返って、プリントをなくしたのか聞いてくれた。四月中に話したことのある子だ。プリントは家にあるって分かってたけど、コピーを取らせてもらうことにした。
すごく穏やかな男の子だ。同年代にしては落ち着いている。やさしい雰囲気の子なので、私は焦らず話すことができた。
この人とは、友達になれる。直感でそう思った。大学に入って、初めてそう思えた。
でも、今後どうなるかは分からない。話す回数が増えるにつれ話題がなくなって話せなくなる可能性だって無きにしも非ずなのだから。そう、これがいつものパターン。
彼とはうまくやれるかなあ。長ーく関係の続く友達になれるといいなあ。