社会不安障害と向き合え!

精神疾患のある大学生の日記です。気ままに更新します。※ブログタイトル変更(6/6)

これまでの友人関係概要

2007-05-17 | 思考
物心ついた頃から、あらゆることに不安を抱く人間だった。
自分の意見を言えない、欲しいものがあっても決して口にはしない、そんな子だった。

小学校低学年では休み時間もクラス全員で遊ぶようなことが多かったため、
寂しい思いをした記憶はない。ただ、友達関係はどことなくぎくしゃくしていた。
私が感じていただけなのだが。
小学校四年の三学期、進学塾に通い始める。少し仲良くなった子は途中でやめてしまった。クラスが上がってからは特に、誰とも打ち解けることができなかった。
小学五年生のクラス替えで、地味な三人組の中の一人になる。けれど、他の二人とはなんとなく合わないと感じたし、二人だけで行動されることも時々あった。休み時間を教室内で過ごすようになったのは五年生から。何をしていたのかは覚えていない。例の二人と話すか宿題をやるかしていたのだろうか。
孤独感こそ生じつつあったが、いじめなんてなかったし、勉強はできたからどちらかというと周りから羨まれる存在だった。
塾は六年生の夏休み後に、あまりにつらくやめてしまった。やめたとはいえ、毎週日曜日にあるテストは受けていた。週末にテキストをぱっと開いてざっと読むだけ。四年生から繰り返し似たような内容を学習していたこともあり、週末の流し読みだけで、そこそこの点数は取れた。
中学受験は、傍から見れば大成功。自分では受かると思っていなかった学校に受かってしまった。

中学入学。小学校からの持ち上がりの子はいわゆるお嬢様ばかり。
他人との違いを気にして、コンプレックスを抱くようになったのはこの頃から。
この中学でなくても思春期に差しかかれば同様の結果になっていたとは思う。
中学でも、やはり友達作りがうまくいかなかった。表面的な友達はできたけれど、一緒にお弁当を食べるのもつらく、次第に昼食の時間も休み時間も一人で過ごすようになる。
学年によっては表面的な友達と昼食の時間を共に過ごすこともあったが、常に居心地の悪さを感じた。

中高一貫のため、高校でも状況は変わらず。今思うと、高校受験をして別の学校に行ってしまえば少しは楽になったかもしれないが、当時はそのようなことを思いつかなかった。
苦しさは積み重なればどんどん重たくなるもの。
高校生の頃は毎日「生きていたくない」と思っていた。「死にたい」ではない。
命を絶ちたいのではないけれど、日々生きることが、えも言われぬほどの苦痛だったのだ。
しかし、結果的には私の通った学校が母校で良かったと思う。社会的に困難な立場に置かれている人々への思いやりの気持ちを育ててくれたのはこの学校だからだ。(この記事でこんなこと書いてもわかりにくいかな。)

私は一年浪人生活を送った。最初に話すようになった子は、あまりにも合わないと感じて距離を置くようになった。うまくやれば、もう少しいい関係を築けたかもしれない、とも思う。
その子とは別に、時々話す男の子がいた。一年を通じて時々会話を交わした。
恋愛感情はなかったけれど、やわらかな笑顔の持ち主で、話すと癒された。
彼がいなかったら、私の浪人時代はもっと破綻したものになっていたかもしれない。
彼は私と同じ大学の別の学部に合格。現在は一切連絡を取っていない。

大学に入学して、私は変わろうと決意した。サークル探しを頑張った。中高が女子校で辛い思い出が多かったため、女の子が少なめのサークルにした。
今まで人と会話不足だったから、サークルの人とも全然話すことができなかった。だけど、とにかくサークルに居座ることにした。
三年目の今も、会話が苦手。同じ学部の友達はいないから、話す場はサークルくらい。その集団の中でも、話せる人・話せない人と二極化している。そして、大抵の人と喋れない。特に先輩。話せる人とも、中身のない会話しかできない。

改めて過去を振り返ると、友人と良好な関係を築いた記憶はほとんどない。
もしかしたら、生まれつきのコミュニケーション障害かな、とも思う。
今の時点ではまだ「社会不安障害」のみの診断である。
具体的な症状や心の病気についてはまた別の記事で触れる。