鳥の撮影に限らないことだが、あぁ惜しい、もう少しだった、と悔やまれることは多い。
ギリギリでOKであった経験よりもギリギリでダメだった経験が多いように思うのは人間の習性だろうか。
鳥の撮影に関して言えば、
☆ もっと慎重に静かに歩いていけば鳥に気づかれて飛んで逃げられることもなかった。ああ、なぜ鳥がいるかもしれないと思わなかったのか。
☆ ああ、なぜ今日に限ってカメラを持ってこなかったのか。
☆ ああ、なんでカワセミ飛び込みのカメラ設定のままでヒタキの写真を撮ってしまったのか。撮る前にカメラ設定を確認すればよかった。
☆ ああ、なぜ川のこっち岸を歩いてきたのか、向こう岸であればバッチリだったのに。
☆ ああ、なんで諦めて公園を立ちさった後であの珍しい鳥が来たのか。SNSなんぞ見るんじゃなかった。前もって知らせてくれよ。
ギリギリでダメであった場合のみに初めてギリギリであったことがわかる。全くダメであった場合は、もう少しだったこともわからないので悔やまれることもないのだ。統計の分布的に沢山のギリギリのダメがあるからギリギリでOKもあり得るのだし、逆に沢山のギリギリのダメがないと次のOKに繋がらないんだよな。ギリギリのダメは次の成功への撒き餌。スポーツやっている人はよくわかっていると思うが。
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