わが家の【アジサイ】
〜今朝のつづき〜
幼くして母を亡くした。
そんな姉と妹は、母方の
祖母のもとで育った。
祖母や母の妹の叔母は
信心深く故人を敬い
「お母さんを
忘れないで…」
祖母の思いもあってか
朝ごはんの前…
仏壇にむかい毎朝
「なむなむ」させられた。
(亡き兄と一緒)
私は4歳、姉7歳。
多分、意味もわからず
手を合わせていた姉妹‼️
父と祖母の間を
行きつ戻りつ、途中で
叔母(母の妹)家族と同居
従兄弟3人と私達の
まるで5人兄妹‼️
賑やかな家族になった。
当時から活発な姉は
地元の『ガキ大将』
今でも故郷の友との
交流を
続けているようだ‼️
私は正反対の
ばぁちゃん子😆
小学5年(9歳)
姉は中学1年
父と暮らす為上京
(職業軍人だった父は
厳しく怖かった(;_;)
祖母との別れが哀しく
夜通し泣いた私…
けれど
その時、悟った!!
「どんなに泣いても
思い通りに
ならない事もある」〜と
それまで、祖母を相手に
泣けばどうにかなったから(--)
それから少し強くなった(?)
....ような気がする😆
そんな幼年期を過ごし
姉妹は…それぞれ
お嫁さんになるまで
寄り添って生きて来た
姉は3人の子宝に恵まれ🎵
「私は4人の母」だと言う
1人は私⁉️
たった3つ違いの
『母と娘』そうやって
遠く、近く〜見守って
くれている姉だった。
しっかりし過ぎだよ😆
クールなのに暖かい姉
幼い時、姉が私に
付けたあだ名は
『メソポタミア』
いつもメソメソ〰️
泣いてるから〜と
祖母に、姉に、叔母に
守られて生きて来た‼️
🙇心から感謝の
人生でした🙇
あんな事あったね?
こんな事もあったね?
夜中までのお喋り〜
これも又
思い出になるンだろうなぁ🎵