文章を学ぶ学校で、地獄、あるいは不思議なことのいずれかを主題に、千二百字以内で小説またはエッセイを書くよう講師に求められた。
先月に「翼と空気」をリライトして、今月の初め、この講師の評を乞うべく託した。
ひとりよがりな書きものだと断ち切られた。丁寧な講評は原稿用紙4枚に及び、めげずに書けと温かく暖かく励ましてくれた。評を読み終えた僕は、その原稿用紙を持ち上げて、目礼した。
無論、反骨心に火を灯されてしまっているので、くやしい思いもあるが、嬉しくもある。不思議な感覚を味わっている。
京都に行ったからという訳ではなく、この講師の専門が時代考証であることに導かれ、地獄を主題に時代小説を書いてみた。講評を受けて、すぐに出すものゆえ、正面からぶつかってみようと思った。
本当に正面から、或はきちんと正面からぶつかっているのか、などと疑問に思われましたら、どうぞ以下をお読みください。もちろん、単純に興味を持って下さった方におかれましては、言わずもがな、でございます。
==============================================
「思いあずけ」
凛とした横顔と佇まいは、弟の定吉の目から見てもどこか浮世離れした風であった。伽藍の薄明りの中、せいは絵を見据えたまま、
「定さん、ええか。悪いことしはったら、こんな恐ろしい地獄に行くえ」
と言った。
「姉さん。十五のわてに言うことやないで」
定吉は鼻白んだが、思えば、姉はこの時もう彼岸へ発つと決意していたのだろう。
今、姉は菰(こも)がけの馬上で、平蔵と背中合わせに後ろ手に縄をかけられ、曳かれている。不義密通を犯した二人は市中引回しの後死罪となる。なす術なく見上げる定吉は、だが驚いた。何と晴れやかな二人。姉の口元に閃いたのは微笑か。
昆布の手すき職人である平蔵とせいの仲は、辺りで知らぬ者が無いほどの評判であったが、平蔵の主、白田屋の二代目当主伊織は、横車を押して仲を裂き、強引にせいをめとった。腕が立ち気持ちの真っ直ぐな、それ故手代たちの信も厚い同い年の平蔵への嫉妬の業火は、伊織の心を焼いた。二年前のことであった。伊織に借財を肩代わりしてもらった父母に、せいは何も言えなかった。以後、平蔵は武家かぶれの主の命により、恋人を「御新造さん」と呼ぶこととなった。彼は自制の限りを尽くしてそう呼び続けて来たが、今年、伊織が口入屋の勧めるまま妾を囲うに至り、
「せいさんが、あんまり、かわいそうです」
遂に思いのたけを、真っ直ぐ主にぶつけた。
翌日、平蔵は暇を出された。同日、定吉は突然実家に戻った姉に誘われるまま近所の西福寺を訪れて、地獄絵図を見たのだった。しばらくしてせいは出奔し平蔵を追った。二人は京を出た。いずれ捕まる迄の束の間の幸せな道行きであったろうと定吉は思う。ひと月の後、二人は大阪で捕まった。
西御役所の赤井忠晶の詮議は丁寧だった。せいの足取りから、ことの成り行きを辿った。
「そのもとは家を出て、どちらに行ったのか」
「先ず実家に。それから幼い頃両親に連れられ度々訪れた西福寺へ、弟と参りました」
「何故そこに行ったのか」
「地獄絵図を見に参りました」
「それはそうであろう。何故見に行った」
「私(わたくし)が旦那さまのところに嫁いだ後の、私共の歳月があれと同じかどうかを確かめに参りました。それから旦那さまには私共と同じ歳月をあすこで過ごしていただきますよう、ただ一心にお参りしました」
「私共とは」
「平蔵さんと私です」
赤井は穏やかに尋ねた。
「かの寺のあのようなものを信じておるのか」
「お尋ね申し上げます。私共に、信じるほかのどんな救いがありましょう」
赤井は熟慮の末、老中に二人の死罪と白田屋への幟(のぼり)あずけの伺いを建てた。―白田屋当主には、せめてもの贖罪を―と一文を添えて。
(了)
お読みくださり、どうもありがとうございます。
※幟あずけ
引き回しの時に使われた幟を主人に渡す一種の懲罰。
主人は、赦しが出るまでその幟を立て続けておかなければならず、毎年罪人の命日に与力が「幟しらべ」にやって来た。恥の文化ならではの恥の罰で、商家などはつぶれることもあったらしい。
・・・と、件(くだん)の講師に教授されたものを受売りいたします。
以下、すでにご案内の方々は、老婆心と一笑に付して下さいませ。
※暇を出す
解雇のこと
※西御役所
京都町奉行所の西奉行所をこう呼んだ。
先月に「翼と空気」をリライトして、今月の初め、この講師の評を乞うべく託した。
ひとりよがりな書きものだと断ち切られた。丁寧な講評は原稿用紙4枚に及び、めげずに書けと温かく暖かく励ましてくれた。評を読み終えた僕は、その原稿用紙を持ち上げて、目礼した。
無論、反骨心に火を灯されてしまっているので、くやしい思いもあるが、嬉しくもある。不思議な感覚を味わっている。
京都に行ったからという訳ではなく、この講師の専門が時代考証であることに導かれ、地獄を主題に時代小説を書いてみた。講評を受けて、すぐに出すものゆえ、正面からぶつかってみようと思った。
本当に正面から、或はきちんと正面からぶつかっているのか、などと疑問に思われましたら、どうぞ以下をお読みください。もちろん、単純に興味を持って下さった方におかれましては、言わずもがな、でございます。
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「思いあずけ」
凛とした横顔と佇まいは、弟の定吉の目から見てもどこか浮世離れした風であった。伽藍の薄明りの中、せいは絵を見据えたまま、
「定さん、ええか。悪いことしはったら、こんな恐ろしい地獄に行くえ」
と言った。
「姉さん。十五のわてに言うことやないで」
定吉は鼻白んだが、思えば、姉はこの時もう彼岸へ発つと決意していたのだろう。
今、姉は菰(こも)がけの馬上で、平蔵と背中合わせに後ろ手に縄をかけられ、曳かれている。不義密通を犯した二人は市中引回しの後死罪となる。なす術なく見上げる定吉は、だが驚いた。何と晴れやかな二人。姉の口元に閃いたのは微笑か。
昆布の手すき職人である平蔵とせいの仲は、辺りで知らぬ者が無いほどの評判であったが、平蔵の主、白田屋の二代目当主伊織は、横車を押して仲を裂き、強引にせいをめとった。腕が立ち気持ちの真っ直ぐな、それ故手代たちの信も厚い同い年の平蔵への嫉妬の業火は、伊織の心を焼いた。二年前のことであった。伊織に借財を肩代わりしてもらった父母に、せいは何も言えなかった。以後、平蔵は武家かぶれの主の命により、恋人を「御新造さん」と呼ぶこととなった。彼は自制の限りを尽くしてそう呼び続けて来たが、今年、伊織が口入屋の勧めるまま妾を囲うに至り、
「せいさんが、あんまり、かわいそうです」
遂に思いのたけを、真っ直ぐ主にぶつけた。
翌日、平蔵は暇を出された。同日、定吉は突然実家に戻った姉に誘われるまま近所の西福寺を訪れて、地獄絵図を見たのだった。しばらくしてせいは出奔し平蔵を追った。二人は京を出た。いずれ捕まる迄の束の間の幸せな道行きであったろうと定吉は思う。ひと月の後、二人は大阪で捕まった。
西御役所の赤井忠晶の詮議は丁寧だった。せいの足取りから、ことの成り行きを辿った。
「そのもとは家を出て、どちらに行ったのか」
「先ず実家に。それから幼い頃両親に連れられ度々訪れた西福寺へ、弟と参りました」
「何故そこに行ったのか」
「地獄絵図を見に参りました」
「それはそうであろう。何故見に行った」
「私(わたくし)が旦那さまのところに嫁いだ後の、私共の歳月があれと同じかどうかを確かめに参りました。それから旦那さまには私共と同じ歳月をあすこで過ごしていただきますよう、ただ一心にお参りしました」
「私共とは」
「平蔵さんと私です」
赤井は穏やかに尋ねた。
「かの寺のあのようなものを信じておるのか」
「お尋ね申し上げます。私共に、信じるほかのどんな救いがありましょう」
赤井は熟慮の末、老中に二人の死罪と白田屋への幟(のぼり)あずけの伺いを建てた。―白田屋当主には、せめてもの贖罪を―と一文を添えて。
(了)
お読みくださり、どうもありがとうございます。
※幟あずけ
引き回しの時に使われた幟を主人に渡す一種の懲罰。
主人は、赦しが出るまでその幟を立て続けておかなければならず、毎年罪人の命日に与力が「幟しらべ」にやって来た。恥の文化ならではの恥の罰で、商家などはつぶれることもあったらしい。
・・・と、件(くだん)の講師に教授されたものを受売りいたします。
以下、すでにご案内の方々は、老婆心と一笑に付して下さいませ。
※暇を出す
解雇のこと
※西御役所
京都町奉行所の西奉行所をこう呼んだ。
平蔵とせいが天国に召されますように。
時代考証的には
赤井忠晶さん、もうひと踏ん張りして死罪を
避けることはできなかったのでしょうか?と
考えてはいけないのですよね。。
高校の担任だった先生が
「えにしというらん」という本を出版し
購入し読んだところ、意外にも
不倫のお話でした
ということを思い出しました。
古くから不倫は文化なんですね。。。
後輩kiyoさん、私の後輩だけあって
同じ先生に国語を教わったそうです(笑)
最近のテレビの時代劇は酷いなぁというか・・
脚本が酷いというべきなのかもしれないです(´・_・`)
今の時代でも面白く感じられるように・・
そういう気持ちはわかりますが、腑に落ちないし
違和感しか覚えないので見なくなっています(>_<)
不義密通は・・死罪だったのを忘れるところでした(^O^)
未だにイスラム圏では、と思うと
良くない事とはいえ、罰としては重すぎないかと
全く別の事を考えてしまう津軽人でした(^_^;)
いつもコメントありがとうございます。
死罪の回避、人情話としては「あり」なのかもしれません。大岡裁きの様なお話で。
今も昔も、縁(えにし)と言うほかない出会いが、道ならぬ恋に至ることは仕方のないことなのでしょうね。
コメントにお返事をしたのに、出来ていなかったのか、消えてしまったのか、ある筈のコメントが無いことに、今頃になって気づいた次第です。
すみません。失礼いたしました。
テレビ、酷いことになっているのですね。時代劇には、結構水準の高いものがあったのになぁ。
イスラムと言えば、女性管理職の少なさなど、この国もまだまだイスラム的な社会だなぁと思った次第です。